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楠木正成は怨霊となったのか? その6

後醍醐は実権を握ると、
①関白制の廃止。
②八省の長に大臣クラスを配置する。
③記録所・恩賞方・武者所・雑訴決断所の設置。
④蔵人所の充実。
⑤征夷大将軍を任命しない。
⑥国司制度の整備強化。
(逆説の日本史6中世神風編から)

といったことを行なった。

血統主義を廃し、世襲をやめて、軍事力から離れて、国を朝廷の直轄で治めようとしたのだ。しかし、この試みはあっとまにぼろが出てしまう。

倒幕の功労者の足利高氏に「正三位の位を与え公卿の地位にのぼらせた。そして武蔵・相模・伊豆を知行国として与えた。」のだ。

国は公領なので知行国はあってはならないのだが、武家の足利高氏に知行国として武蔵・相模・伊豆の私有地化を認めた。さらに、鎌倉幕府以来の守護を廃止することができず、多くが守護と国司を兼ねることとなった。さらに前代未聞の報償を高氏に与える。

後醍醐が自分の名前「尊治」から一字を取って高氏に与える偏諱で高氏は尊氏となった。日本の長い歴史で天皇の名前が武家に与えられたことはこの1回限りだった。

そして、後醍醐は足利尊氏を政権から完全に外した。

後醍醐は理想に燃えて、武家を政権から外すなど正しい道を通って政権を組み立てようとしていたが、あまりにも性急にやりすぎてしまった。大内裏の再建に手をつけてしまい、莫大な工事費を捻出するために「二十分の一税」を全国の武家全般に課したのだ。

来月から消費税は8%から10%になるけれど、二十分の一税は5%の税率アップだ。なにかあったら戦だってやってきた連中にそんなことをしたらどうなるか、後醍醐は想像することができなかった。

逆説の日本史6中世神風編」井沢元彦著によると。

”武士の目から見ると、後醍醐の政権になってからいいことは一つもない。
まず鎌倉以来認められていた土地所有権が白紙に戻されてしまった。必死に綸旨を得てもう一度所有権を確立した者もいるが一方で土地を失った者もいる。御家人という名誉と実利のある身分も失った。第一、武士の権益を守ってくれる最大の団体であった幕府が無くなってしまった。その倒幕の戦いに一生懸命働いたのに恩賞はろくなものが貰えない。これまで武士の鼻息をうかがっていた公家や寺社が突然威張り出し、武士を昔のように軽蔑した目で見る。挙げ句の果てに増税である。
これでは、武士たちが不満を持つのは当然だろう。”

一方、楠木正成、名和長年、赤松円心といった悪党たちは、後醍醐の銅銭の鋳造によって、武家としてではなく商人としての才能を発揮して勢力を伸ばしていく。

つづく。





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