悔やんでもしょうがないということ
- カテゴリ:日記
- 2019/09/18 15:55:53
父の火葬・通夜のとき、近い親せきが来てくれたのですが、伯母さんたちはしきりに、「転院できればよかった」「もっと病院がしっかりしていれば」「悔やまれて仕方ない」という内容の話を繰り返していました。
脇で聞きながら、気持ちはありがたかったけど、正直うんざりでした。
もう終わったことですから。
それに、がん再発時の兆候を見逃した私たち家族も落ち度がありましたし、すぐに別の病院へ行かなかった父も、失敗したといえます。
それに、決まった月ごとに受けていたPET検査なども、万全ではないのです。
全身に散ったがんの芽はとても小さく、写真や造影剤で全部写りません。
がんに効く薬も決まっていて、消去法で試すことはできません。
仮にできても本人の体力に負担がかかりますし、放射線もそれは同様です。
市民病院の医療チームは確かにダメでしたが、もう少し患者を人間らしく尊重してくれたらとは今でも思っています。
患者と家族に納得いく説明と、患者の希望をメンツなどにこだわらず考えてくれたらと願います。
2年前に発症した父の副鼻腔がんがステージ4だったなんて、知ったのはつい最近でした。
両親は何も教えてくれなかったので、そこまで深刻だったとは知りませんでした。心配かけまいとした両親に甘えて、現実から目をそらした私や妹も良くなかったです。
知らない、知ろうとしないということは、後々になって禍根を残します。
父はなんでも自分でやろうとし、家族が頼りなく見えたからか、財布のひもまで握りしめて亡くなりました。
母は10人兄弟で、家が貧しかったために、赤ん坊のころに養子に出されました。
その生い立ちのためか、現実からすぐ逃げる傾向があり、いつまでたっても私や妹を赤ちゃん扱いします。親子の在り方をうまく学べなかったせいか、理想の女性・母親を演じていますが、失敗も多いです。
前のブログで、両親は私たちの育て方を間違ったと書きました。
それは両親も同じく思っていて、なんだか自分たちの理想通りに生きてくれないもどかしさがあったようです。
でも、人間はいろんなことを経て変わっていくものです。
屈折しても、曲がっていても、考え方を変えていければ、自分の心に負担のかからない生き方ができると思います。