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楠木正成は怨霊となったのか? その8

足利尊氏が出陣したのちに後醍醐は折れてしまった。尊氏が勝った場合の保険をかけて征東将軍という新しい称号を与えたのだ。
勝手に出陣したのだから、勝ったら勝手にやったこととしておけばいいものの、後醍醐は頭が良すぎて未来の力関係を考えてしまったのだろう。もしかしたら共倒れに近い状態でどちらかが勝つことを望んでいて、勝ったほうに新田義貞をぶつけるつもりだったのかもしれない。

ただ、尊氏の戦上手は尋常ではなく、北条時行の反乱軍が鎌倉を落としてから二十日あまりのちに鎌倉を攻め落としてしまった。時行は逃亡してのちのちの時代まで尊氏を悩ませることとなるがそれは別の話。

中先代の乱の首謀者であった西園寺公宗が死罪となって、貴族の処刑の先例となった。

現代でも反乱罪は死罪で、現代日本も例外ではない。
刑法77条の内乱罪の項で首謀者は死刑又は無期禁固と決められている。

ケガレを徹底的に嫌う後醍醐にしては珍しいが、西園寺公宗の処刑は見せしめということだろう。そして、勝手な行動をとって鎌倉で論功行賞を行った足利尊氏も排除する方向へ動き出した。

「逆説の日本史7中世王権編」井沢元彦著によると。

”後醍醐は、尊氏に従二位という武士としては破格の高位を与え、ついで上洛を命じた。
「今回の恩賞については、朕(後醍醐)の綸旨で行なう」との向上をつけてである。
ここが歴史の岐路であった。
尊氏は上洛しようとしたのである。
政治権力というものは、軍事力によって維持されてはいるが、それが永続するための最大の条件は論考恩賞の権限を握ることにある。
鎌倉幕府の創設者源頼朝がその権限を朝廷から奪うためにいかに苦心をしたか。そのために弟の義経を追放してまで「日本一の大天狗」後白河法皇とわたり合ったのである。
尊氏は自らの手で反乱を鎮めた。
そして、尊氏のもとには多くの武士たちが自発的に集まり戦ったのである。
ここで尊氏が鎌倉に居すわり、「幕府を開く」と宣言してしまえばもう誰にも止められない。もちろん後醍醐は最後の最後まで、尊氏を征夷大将軍に任じはすまい。しかし、実は征夷大将軍になることが幕府成立の絶対条件ではないことは、頼朝の例を見てもわかる。頼朝は「右大将」に過ぎず、すぐに辞任したから、正確に言えば「前右大将」であった。それでも地頭の設置などの有力な「行賞権」は既に獲得していた。頼朝が征夷大将軍になったのは、頑として任命を拒否していた後白河法皇が亡くなって後のことだ。
確かに、鎌倉時代にはなってからは、形式的な宮将軍にせよ、「将軍がいるのが幕府」というイメージはあったかもしれない。しかし、幕府とは実質的には「武士による、武士のための政府」なdのだから、その基本を押さえておけば後はどうにでもなる。
逆に言えば、後醍醐にはそれがわかっていたからこそ、尊氏を急いで都へ召還しようとしたのだ。鎌倉から引き離し、武士への行賞権も与えないために、従二位という「エサ」まで与えて。
ところが、尊氏はのこのこ出かけて行こうとしたのだ。武家政権設立愛大のチャンスを棒に振ろうとしたのであう。尊氏演奏には甥が政治のセンスはまるで無いと前に述べたが、そのことはこの時の反応でもわかる。
だが尊氏には直義という切れ者の弟がいた。この直義が「せっかくの好機なのにとんでもない。都に帰ったら何が起こるかわからない」と尊氏を制止したのである。
実際、この時、尊氏が都に帰っていれば、よくて軟禁状態、下手すると殺されたかもしれない。実は、西園寺公宗の処刑ですら、判決は「流罪」だったのに後醍醐が名和長年に命じて斬らせたという説もあるのだ。”

こうして尊氏は後醍醐に反旗を翻した。室町幕府は尊氏だけだったなら後醍醐にいいように使い捨てられて、直義だけだと戦で大敗して存在すらしなかっただろう。

つづく。

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2019/09/25 15:49
>ゆりかさん
こんにちは^^
尊氏が率いると敵を蹴散らしていくのですが、敵方に楠木正成がいると負けているのですよね。
正成は後醍醐のために闘い、七生報国として、戦前は大忠臣として学校でも教えていたそうなのですが、悪党だった赤松円心が後醍醐から離れて尊氏についたように、当時の悪党ってそんなに天皇大事って思っていたかなあって。
室町幕府は義満の頃が最盛なので、家康はその辺りから将軍がなくても運営できる幕府を目指したのかなとも考えています。昔の人は、考えているよりずっと歴史を勉強しているのですよね。
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2019/09/24 08:28
おはようございます、kiriさん。

前回のコメントのお返事で、北畠顕家と護良親王の名前が出てきて、かねてから興味深い2人だったので、そういう歴史も見てみたいな~と思いました^^
軍隊を持ってなかったから滅ぼされなかった、というのは考えさせられますね。

私は、尊氏より直義派なのですが、
kiriさんの日記を読んで、2人の力が合わさってこそ、室町幕府が存在したのだな~と思うと、
その後の決別が残念でなりません。
かつては「現世での幸せは直義にお与え下さい」と願ったはずの尊氏なのに…。
尊氏は戦はべらぼうに強いのに、突然出家すると言い出したり、
確かに直義がいないと、どうなってたやらですよね~^^;

今回もとても興味深いお話でした。
次回もまた、じっくり読ませて頂きます。




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