Nicotto Town


ま、お茶でもどうぞ


おべたふりがTSUGARU解説(加筆修正)

吉幾三さんの津軽弁ラップ「TSUGARU」が話題になっています。

青森県民でも古参の住民しか分からない難解な歌詞で有名になり、200万再生を超えました。CD発売決定もして、すごい勢いです。

で、この歌詞を標準語に翻訳したブログなどを見たのですが、なんだか微妙に意味が通じない…。
大体はあってるんだけど、直訳、もしくは誤訳で文脈がおかしいと思われる部分がありました。
私もネィティブではなく、両親が秋田県人ですが、青森県在住人として、おべたふりたけて(しったかぶりがその気になって)、その辺を部分的に解説してみます。

1番の歌詞の内容。
二人の男性が世間話をしています。
仮にAさん、Bさんとします。
この二人、お互いの家族の近況について話していますが、互いのことを何も知りません。
近くに住んでいても、何も知らされていなければ、誰の家に葬式が出ただの、結婚しただのという情報は入らないものです。

Aさん「あんたの家のじいさまとばあさまはどうしてる?俺のとこはじいさんが去年死んだよ」
Bさん「それはそうと、あんたの息子はどうしてるの」
A「俺の息子?はあ、知らねえよ!東京に行ったって(人づてに)聞いたけど、東京のどこにいるんだか。さっぱり知らねえよ、本当に馬鹿でしょうがねえ」
A「で、あんたの娘さんどうしてるの」
B「俺の娘はアメリカにいるよ。あっちで結婚して何年もたつが、こっちに全然戻ってこないんだよ、馬鹿なやつさ。子供ができたって聞いたけど、男の子だって。あれも女だなあ」
A「(そうとは知らず)お祝い金もあげられなくて、あんたに申し訳なかったなあ」

以上が1番です。最も難解なのが、

おどごわらしな おなごだな
いわいのじぇんこもつつまねで ほんとにめいわぐばかけてらじゃ

おどごわらしな~を、大半は「男の子?女の子?」と尋ねるか、男の子か女の子かもわからない、と訳している人がいました。

男の子か女の子かもわからんという状況は、アメリカで結婚した娘が音信不通ということにすればありかもしれません。
でも、子供ができたのを知っているのに子供の性別が不明の状況とは、意思疎通が中途半端ですね。まだ生まれていないならともかく。

話の流れからは、Aが「男の子?女の子?なんとまあ、俺何も知らないで、お祝い金もあげられなくて申し訳ねえ」という方が自然です。
でも歌詞はおどごわらし「な」おなご「だな」となっています。「な」は間投助詞と思われます。~なんだよな、なのさ、とかそういう意味。
質問するときは、「な」のイントネーションを上げてしゃべりますが、歌では音が下がっているので質問ではありません。

だな、は断定なんです。「おなご」も「わらし」より年上の、娘さんという意味が強い。
となると、男の子を生んだ娘さんを、女だなと納得、感心しているわけです。
女、というのは、年頃になったんだなあ、とか、女らしいところもあるんだなとか、そういう意味。
このニュアンス、田舎の方だと分かるのでは。
吉さんは振り付けで、視聴者に言葉の意味を伝えていますが、ここで小指を立てているのに注目してください。
ちょっと下世話なのですが、娘が女になったことを示しているんですね。
男親の心境の複雑さが、何となく表現されている気がします。

「迷惑かけてらじゃ」は、誰がそう言ったのか話者を見つけると、意味が通じます。
秋田県のなまりを聞くと、あちらでも「仕方ない」「申し訳ない」の使い方が独特です。この歌詞の「迷惑」も、標準語として使う用例にそのまま当てはまりません。
歌を聴いていると、どっちがどっちだか分からなくなります。
吉さんは話者を歌い分けていると思いますが、どちらも一人の主人公に聞こえてきます。
アメリカに行った娘の親の男ではなく、聞き手が「迷惑かけてら」と言っているのです。何も知らなくてすまなかった、という意味です。
え、なんであんたが恐縮するのと思った人もいるかもしれない。
しかし、この後に続く繰り返しの「しゃべればしゃべったってしゃべられる」の歌詞が、深い意味合いを持ってきます。

自分のことをべらべらしゃべる人は、おしゃべりだと噂される。
かといって、何も自分のことを言わない人は、水臭い人だと陰口を叩かれる。
じゃあ、どっちがいいのよと、嘆いています。

1番の歌詞では、互いの近況報告で、どちらも家庭がちょっと深刻な問題を抱えていることを知り、愕然とする内容です。
ここで、「しゃべねばしゃべねってしゃべられる」の歌詞が生きてきます。

AがBの事情を知らなかったのは、Bが家庭の事情を話さなかったからです。
それは悪いことではありませんが、相手の娘の結婚にお祝いもできず、世間の常識的にも良くないし、知り合いとしての礼儀を欠かしたことにもなり、悪いことをしたと自分を責めております。

BはBで、実家に帰ってこない家出娘のことを恥と思っており、だから人に話せなかった心情があります。そんなことをしゃべるような人は、「しゃべられる(おしゃべりと噂される)」となります。
1番の歌詞は、田舎の地方ではよくある内容、心情を表していると思います。
私の家でも、近所の噂を恐れて、父の訃報を周りに伝えませんでしたしね。
近所だからって、なんでも話せるわけではないのです。
特に田舎だと、コミュニティが狭いのと、家同士がやたらと離れているので、なおさらですね。
(動画の田園風景を見てください。家が見当たりません)

2番は一部単語が古参住民でないとわかりません。
おどげ(顎)、よろた(脚、太もも)、おたてまて(おたて=疲れた、しんどい=まて=~してしまって)は私もネットで調べました。
大雪が降って遠くへ行かれないおっさんが、近所の友達に話しています。
滑ってこけて顎を欄干に強打した彼は、額と尻に謎のイボができて激痛に参っているついでにしんどい脚と膝も近所の医者に見てもらう予定です。
田舎の病院なので、何でも診てくれます。整形外科で風邪薬の処方とか、昔はよくありました。
帰りは湯(冷温泉を沸かした銭湯)に入って、家で友達を誘ってもつ鍋で一杯やろうと誘います。奥さんは出かけたのか家にいません。冬の夜、独り身の気楽さと寂しさゆえに意気込んで家飲みに誘う心情を表しています。

3番、青森県は食べ物と酒がうまい。観光客は皆言います。そんな風土なのに、若者は定住せず、出たきり帰ってきません。

帰ればお土産もだへでや 
来るとき毎日くたこたね(合いの手・んだんだ)

この歌詞ですが、だいぶ省かれているので、補足するとこうなります。

(たまの里帰りで)子供が他県に帰る時は(青森の)土産を持たせてやるのに、お前たちが青森に帰って来た時は、いつも(お前たちが持ってきた菓子を)食べたためしはないんだよ

「来るときまいにち」は、独特の言い回しと思われます。毎日は「毎回、いつも」という意味に取れば前後が通じます。
土産のお菓子は、名産品でない限り、どこも同じ味。故郷に誇りはないのかと暗に責めています。だから合いの手が同意の「んだんだ」です。

菓子だきゃいらねじゃ じぇんこけれじゃ

そこを受けてのこのセリフ。気持ちのこもってない菓子より金をくれと。
故郷に住まないなら、土地も継がせないし売ってもお金はあげないと言います。
人口が減る故郷と、子供が身近にいない寂しい親心が最後にぶつけられておりました。

以上、解説でした。




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