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じゃ爺の音楽な日々


旧新橋停車場 鉄道歴史展示室 (新橋)

今日は新橋、銀座を散歩。
駅に「特急”燕”とその時代」というポスターがあって、見てみると、特別展示の案内でした。
早速、行ってみました。

日本の鉄道の歴史について、特急”燕”を通して勉強した気分です。
これも、「東京と大阪を短時間で結ぶ」という日本の一大プロジェクトだったわけです。
戦争、技術革新とともに、特急”燕”は姿を消しますが、今でも九州新幹線としてその愛称は残っています。
機関車の開発、丹那トンネル、食堂車のことなども展示されており、当時の鉄道関係者の意気込みを少し伝わってきました。

旧国鉄の”燕”へのこだわりは、JRバスのマークに残っていたり、野球チームの名前”東京ヤクルトスワローズ”(旧 国鉄スワローズ)に残っていたり。

今日はいいものを見ました。

アバター
2009/10/11 21:35
コメント、ありがとうございます。

大陸までの鉄道計画とはスゴイですね。
歴史の中に埋もれて行ったわけですけどね。

そうですか、現代にいたっても、「つばめ」の愛称をめぐる裏事情は色々あったということですね。
勉強になりました。
アバター
2009/10/11 00:05
そうなんです。

「つばめ」は「ひかり」よりえらいのね。

昔、新幹線に一番えらい名前に「ひかり」にするとき国鉄九州局から「ひかり」をとりあげたのね、それでJRになった時のぞみより「つばめ」にしたかったかな~

そら、JR九州は帰さんやろ。

戦前の計画では、新幹線「つばめ」は東京から博多を経由して、海底トンネルで壱岐対馬を通って釜山に入り朝鮮鉄道、南満州鉄道で大連まで、蒸気機関車でも200km/hを予定してたんだよ。

その先は、ベルリンまで連絡させるつもりだった。
その技術の基礎は満鉄の「あじあ」号だった。川崎車両なの・・・



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