将門って本当はどんな人だったの? その30
- カテゴリ:勉強
- 2020/02/07 15:19:15
不動明王は一面二臂で三鈷剣と羂索を持ち、天地眼と牙上下出が特徴の仏教の守護神とされる。
仏説聖不動明王経には
”この大明王は大威力あり 大悲の徳の故に青黒の形を現じ 大定の徳の故に金剛石に座し 大智慧の故に大火焔を現じ 大地の劔を取って貪瞋痴を害し 三昧の索を持って難伏の者を縛す”
とあって、
大きな力があり、慈悲深く、大規模な鉱脈を持ち、タタラの炎をあげ、立派な剣を持ち、索を持って馬を縛ると読めばそのままタタラ製鉄の生活となる。
だからこそ、タタラ製鉄が盛んなところではかならず不動明王が祀られている。
タタラ製鉄といえば平将門も下総国猿島でタタラ製鉄を行ない、鉄の武器で朝廷の軍隊を蹴散らした。
朝廷がタタラ製鉄を行なっていた地域を征服していったときに、その土地の人間は鬼とされた。出雲しかり、吉備しかり、坂東しかり、蝦夷しかり。
鬼はかならず退治される悪役となり、物語となって刷り込まれていった。節分のときにかならず「鬼は外 福は内」と唱えるほどに。
しかし、鬼は外と言わないところもある。
稲荷鬼王神社(東京都新宿区)では「福は内、鬼は内」と唱える。
金峯山寺(奈良県吉野郡吉野町)では「福は内、鬼も内」と唱える。
といった別バージョンもあって、成田山新勝寺も「福は内」としか唱えない。
成田山新勝寺は不動明王は本尊で、歴史博物館には「繋馬の図」という常陸国の住人が奉納した絵馬が飾られている。
平将門の家紋は繋馬と九曜星で、将門追討の命を受けていた新勝寺が飾っておくことがばれたら大事になる。というものを堂々と飾っていることが将門を怨霊としていない証拠となる。
将門塚に数多く置かれているカエルの置物は「無事帰る」の語呂合わせのほかに、河原者(河衆)の製鉄民族の王だった将門を慕う気持ちとも言われている。
おしまい。
こんばんは^^
古代の日本史は産鉄地の奪い合いといってもいいくらい、朝廷による征服が行なわれていました。
出雲の国譲りでは大国主は殺されて大社に祀られ、事代主は敗れて海に身を投げ、建御名方は諏訪まで逃げて未だに諏訪大社で封じられています。
吉備では鬼ノ城の温羅の陣営を調略によって切り崩し、桃太郎伝説として鬼=悪のプロパガンダを行なっています。
九州の熊襲も、熊野の長脛彦も欺し討ちにされているし、八岐大蛇も大江の酒呑童子も騙されて退治されています。
朝廷にとっては反抗するもの=鬼で、どんな手を使っても殺すという政策でした。
だからこそ、怨霊が怖かったのですね、卑怯な手を使うから。
将門は将門記を見る限りでは、まともにぶつかっての敗戦なので、怨霊としていないのではっていわれています。
今週の「歴史秘話ヒストリア」は『鉄』の特集だったのですが、
これを見ると、鉄がどれほど貴重だったのかわかりますね^^
平将門が、鉄の武器で朝廷軍を蹴散らすのも納得!
それほどに強い軍事力を持っていたから、
タタラ製鉄が行われた地域の人間は、恐れられて鬼にされてしまったのですか?
鉄は武器だけではなく、建築や農具にも役立てられているのに悲しいですね。
でも、平将門を怨霊とせず、そういう風に慕う所もあるのが救いです。
カエルの置物がそういう意味だったとは!
面白いお話を教えて頂き、ありがとうございました(*^^*)