Nicotto Town


ま、お茶でもどうぞ


志村けんさん、亡くなる

コメディアンの志村けんさんが29日に東京都内の病院で亡くなったと30日に母から知らされ、「なんで?!」と声が出た。


でも何となく、嫌な予感はしていたのだ。
最近テレビで見る志村さんの姿は、どこかしぼんで弱々しい印象だった。こういう人が大病にかかると、進行は早い。

重度の肺炎が死因とのこと。私の父が亡くなった時のことを思い出した。
私の父は、肺腺がんの全身転移になっていて、肺炎も重症だった。
ほとんど回復することなく肝臓の腫瘍が急激に増えて肝障害を起こし、末期は鎮静させてみとった。
志村さんも、呼吸器を着けた時に鎮静を受けたとのことで、意識混濁状態が続いていたという。
しかし、肺の苦痛を感じずに逝ったであろうことは、わずかであるが知る側にとって救いだった。
数年前に亡くなった私の伯父は肺気腫を起こして、とてつもない呼吸困難に陥って鎮静されるまで、もがき苦しんだという。そうなっていなくて良かったと思う。

私は、やや遅めのドリフ世代である。
初めてテレビで見たのは「8時だョ!全員集合」であった。
父が当直で不在が多かったためか、放映時間になると、母は明かりを消した寝室で小さなテレビをつけ、幼い私と妹と共に番組を視聴していた。

布団の中でテレビを見上げながら、いかりや長介さんのオープニング「おぃーす!(劇場のお客さんにあいさつをするところ」から始まり、どたばたコントがお決まりの音楽と共にしめられる。私はこの、しめの音楽が大好きだった。

続いて仲本工事さんの体操や、加藤茶さんのストリッパーの真似、少年少女合唱団などのコーナーが続く。
私が好きだったのはヒゲダンス。あの軽快な音楽は、志村さんがネタ探しにレコードを買い集めて見つけたものだという。大変な努力家だったのだ。

まだ小さかったので、ゲストのジュリー(沢田研二)が歌うころには寝てしまっていた。
全員集合は終わっても、「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」や「ドリフ大爆笑」、「志村けんのだいじょうぶだぁ」、「志村けんのバカ殿様」はずっと見続けていた。
全員集合の時から志村さんしか見ていなかったし、志村さんが大好きだった。荒井注さんがドリフターズに在籍していたと知るのは、かなり後のことである。
(※志村さんの芸がここまで引き立ったのは、ドリフのメンバーの存在あってのものであり、特に加藤さんの天真爛漫なお笑いは、志村さんにとってもなくてはならないものだった。今動画で昔の加藤さんと志村さんのコントを見ると、信頼関係あってのボケ突っ込みが心温まる)

ごきげんテレビでは、加藤茶さんとのコンビで、しがない探偵事務所のコントが面白かった。
毎回依頼主が心配事を抱えてやってくるのだが、志村さんが平たい太鼓をたたいて「だいじょうぶだぁ~」と歌う顔芸にげらげら笑っていた。
だいじょうぶだぁでは、変なおじさんの奇行に戦慄を覚えつつも目が離せなかった。
ドリフ大爆笑かだいじょうぶだぁか忘れたが、鮮明なのが「威勢のいいレンタルビデオ店主」のコントである。
志村さん演じる寿司屋のような威勢のいい店主が2名の店員と共に、客が借りたエッチなビデオのタイトルを連呼するというものだ。
この場面は今でも思い出すとふきだしてしまう。

子供の時は全く意味がわからなかったエッチなネタは、成長するにつれて爆笑が苦笑に代わってきた。
だんだん見ることを敬遠し始め、最近では、バカ殿様が放映されていても、「ああ、やってるな」ぐらいの意識しかなかった。
※晩年の志村さんのコント番組は、ごく親しい芸人たちとのマンネリコントに終始していた。特に、背後に控えている志村ガールズは大半が志村さんのお手付きだろうと推察され、没個性の彼女たちを見て、何となく彼の内面の寂しさを見た思いがした。そして完全な内輪の雰囲気が、決して閉鎖的ではないけれど、作品全体に縮こまった印象を受け、個人的に笑えなかったし、つまらなく思っていた。

母は志村さんの大ファンで、バカ殿様と志村どうぶつ園は欠かさず見ていたが、私は、デビューしてからずっと看板番組を持っている、大物芸能人という印象になっていた。
これからもずっといるのだろう、という安心感があった。
それが、流行り病で亡くなられるなんて、どうして儚いものである…。

志村さんには、主演映画や朝ドラ出演の話もあった。
志村さんの演技力はすさまじい。ごきげんテレビで、いしのようこさんと無言劇を演じていたが、悲しいオカリナの曲だけでせりふのない悲しい落ちの芝居は、子供心にも刺さった。むしろトラウマになっているほどだ。
覚えているのは、ふたつだ。
ひとつは、片思いの相手が事故で失明し、自分の角膜を提供して盲目になった男が、回復した女性の結婚式に、黒眼鏡と白杖で参列している結末。
もうひとつは、家庭内暴力をふるい続けていた男が、年老いて妻に先立たれた時、亡くなった妻を背負って、冬の灰色の海に入水する結末である。

楽しいお笑い番組に、どうしてこんなに悲痛な劇を挟んだのか、意図は知る由もない。けれど、「役者・志村けん」の神髄というか、彼の表現の実力と幅は、もっと早くに演技の世界に生かされていたら、と思わずにはいられない。

志村さんは喜劇役者としての矜持があり、ドラマや映画に出たがらなかったという。映画「鉄道員(ぽっぽや)」で高倉健さんに誘われなければ、役者として出演することもなかったそうだ。
鉄道員では、小さな息子と暮らす酒浸りの炭鉱夫を演じた。何かにつけて当たり散らす乱暴な男の姿は、ガラスが破裂したような激しい演技だった。
テレビ放送でそれを見た私は、「釣りバカ日誌」でひょうきんな姿しか見たことがない西田敏行さんの別の作品で、彼の強烈にリアルな演技を見て衝撃を受けたぐらいのショックを受けた。あれを迫真の演技と言わずして何というのか、と。

新作映画、ドラマ、聖火ランナーと、志村さんにはまだまだやりたかったことがたくさんあったはずだ。そして、私も主演映画を見たかった。
彼の命を奪った新型コロナウイルスの脅威を改めて感じた。今私たちが生きているのは、運がいいだけだ。
本当に、命はあっけない。いつ死んでもいいように、後悔のない生き方を…そういう考えも良いが、流行り病に関しては、行動の自粛や手洗いなど、自分が他人に迷惑をかけない行動を心がけたいと思った。
自分のためだけではなく、周りに生きる人の命も同等だと思って。








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