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能力主義が平等になる理由 その3

人は無限の可能性をもっているから、教育によって能力を伸ばせば、人は何にだってなれるという、自己啓発の理想は、「なりたいものがあるなら努力するべきだ」という主張と、「努力できないのなら努力しなくてもいいじゃないか」という主張がすれ違う論点となっているが、この議論は永遠に交わらない。

だって努力しろって言っているほうは、なりたいものがあるなら「なるために努力すべき」と考えていて、努力しないって言っているほうは、なりたいものはあるけれど「なることをあきらめて」努力しないと考えているのだから。目指しているところが違うのだからいくら議論しても相手には届かない。

「残酷な世界で生き抜くたったひとつの方法」橘玲著によると。

”子どもの頃から神童とうたわれたデキスギくんは町いちばんの弁護士になって、同時に、町いちばんのタイピストでもある。シズカちゃんは歌手になる夢をあきらめて、タイプの勉強を始めた。
デキスギくんはは、法律家としても、タイピストとしても、シズカちゃんを絶対的に上回る(これを「絶対優位」という)。でもデキスギくんは、シズカちゃんを秘書として雇っている。なぜだろう。
法律家としての二人の能力を比較すると、デキスギくんはシズカちゃんより一〇〇倍有能だ。一方タイピストとしては、デキスギくんはシズカちゃんより二倍速く打てるにすぎない。このときデキスギくんにとって法律の仕事は「比較優位」、タイプの仕事は「比較劣位」にあるという(シズカちゃんは法律もタイプもデキスギくんより絶対劣位だけど、タイプは法律の仕事より比較優位にある)。この場合、デキスギくんは比較劣位にあるタイプをシズカちゃんに任せ、比較優位にある法律の仕事に集中することでずっと大きな利益を手にすることができる(このことは簡単な数学で証明できるけど、直感的にもわかるだろうから割愛する)。
シズカちゃんは、法律の仕事でもタイプの腕でもデキスギくんに劣っているけれど、タイプにおいては比較優位にある。法律に関してはデキスギくんの一パーセントのことしかできないけど、タイプなら五〇パーセントもできるからだ。このようにしてシズカちゃんは、たとえすべての面でデキスギくんに劣っていても、タイピストの仕事で世間並に暮らしていける。”

デイヴィット・リカードというイギリスの経済学者が「比較優位」の学説で証明した能力が劣っていても、比較優位を生かせば絶対優位の収入には届かなくても生活することができる仕事にありつける。と説明する。すべての人が働ける理想社会になるのだが、現実ではそうはならない。

グローバル社会においては、同じ能力の人たちがもらうお金をできるだけ同じに近づけるが、その結果、高いお給料をもらっていた人たちは外国の安い人件費によって仕事を奪われる。経営者もバカじゃないのだから、同じ仕事でできあがりが同じクオリティなら安い方に賃金を払うからだ。

つづく。





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