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能力主義が平等になる理由 その6

グローバル化が進む世界において、上位2割の富裕層に入るためには、自己啓発によってクリエイティブクラスでいられるようにしなければならない。理論上は努力すればすべての人間が同じように能力を高めることができるのだから、みんなで頑張ろうというのが教育ということになる。義務教育は社会に出て生活する上で必要な最低限度の教養を身につけるところで、高校、大学、大学院と高度な教育を受けてよりクリエイティブクラスに近づく能力をつける。

理想はそうだが、そんなに簡単にはいかない。

星稜高校で北陸の怪童と呼ばれた松井秀喜は甲子園で活躍し、巨人→ニューヨーク・ヤンキース→ロサンゼルス・エンジェルス→オークランド・アスレチックス→タンパベイ・レイズと日本のプロ野球、アメリカのメジャーリーグで結果を残しているスーパースターだけど、同じ星稜高校で甲子園へ行ったメンバーで2学年上の村松有人(ダイエー→オリックス→ソフトバンク)以外はプロへは進まなかった。同じ高校で同じ練習をしていたはずだが、同じレベルの努力にプラスして才能と運が必要なのがプロレベルの話になる。

一般的な事務仕事をこなすために必要な「読解力」「数的思考力」「ITを活用した問題解決能力(ITスキル)」を測定するPIAAC(ピアック)の試験というものもあって、日本人はこの試験で、
①日本人のおよそ3分の1は日本語が読めない。
②日本人の3分の1以上が小学校3~4年生以下の数的思考能力しかない。
③パソコンを使った基本的な仕事ができる日本人は1割以下しかいない。
④65歳以下の日本の労働力人口のうち、3人に1人がそもそもパソコンを使えない。
という恐ろしい結果も出ている。

つまり、全員が自己啓発でがんばればクリエイティブクラスになる可能性はあるが、努力の程度は人によって違い、生まれ持った才能によっては一生かかっても到達できないこともありうるという不公平な事実がある。

だから、能力主義は「がんばれない」人たちにとっては道徳的に不公平だと主張する人たちが出てくる。彼らは頑張れる人たちだけがんばって、格差がつくことも不公平だと主張することが多いから、いろんなことが行き詰まっていく。

本来であれば、能力が高い人たちが多く稼いで、税金をたくさん払って、社会を支えていこうという意識があるといいのだが、日本では税金を集める側に問題があることが多くうまく働いていない。ってことがあるんだよね。





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