ともだちってなあに? その1
- カテゴリ:友人
- 2020/07/08 15:39:29
【ともだち】(「だち」は複数を表す接尾語)志や行動などをいっしょにして、いつも親しく交わっている人々。現在では単数にも用いる。友人。友。(日本国語大辞典)
【ともだち】親しく交わっている人。とも。友人。朋友。元来複数にいうが、現在は一人の場合にも用いる。仁賢紀「―有りて其の意を悟らずして」。「遊び―」(広辞苑)
病気になったり、失業したり、他のいろんなトラブルでお金が必要になったときに、どうしただろうか? 親兄弟や親戚が貸してくれなかったとしたら、ともだちに頼るだろうか?
私は仕事の代償としてか、一緒にランチを食べに行ってうっかり財布を忘れたといったすぐに返せる状況以外で、友人とお金の貸し借りをしたことがない。頼まれたとしても友人関係はここで終わるよって言って「捨てる」覚悟でお金を渡す。お金が絡むと友情は台無しになることを知っているからで、親しい友人に頼るより、会社の上司とか地域の民生委員とか、そういう深いつながりがない人に頼る。友人だと思うと絶対に甘えが出るから、返済がずるずる延びる。
「残酷な世界を生き延びるたったひとつの方法」橘玲著によると。
”あるアメリカの社会学者が、マサチューセッツ州ニュートンのビジネスマン(男性の専門職、技術者、管理職二八二人)を対象に、どのようにしていまの仕事に就いたのかを調査した。新聞の求人広告や民間の紹介機関を利用したり、直接履歴書を送ったひとを除くと、過半数の五六パーセントが知り合いを通じて仕事を見つけていた。
次に、「知り合いの実態」を質問した。すると五五・六パーセントは、その知り合いとは「ときどき会う」だけだとこたえた。二八パーセントは、「めったに会わない」と回答した。頻繁に会う「友人」に仕事を紹介してもらったひとは、一七パーセントに満たなかった。知り合いを介して仕事を見つけた六人中五人は、「弱い絆」の恩恵に与っていたのだ。
この奇妙な現象は、ふつう次のように説明される。
強い絆で結ばれた親しい友人は似たような仕事をしていることが多いから、転職の相談には不向きだ。それに対して弱い絆の相手は、自分とは異なる世界に暮らしているからこそ、新しい可能性を指し示してくれる。
でもこれは、「弱い絆」効果の本質ではない。
自分の血縁者を会社に入れるのはきわめて政治的な行為で、重い責任がともなう。すなわち、血縁者がトラブルを起こせばそれは自分に跳ね返ってくる。
それに対して弱い絆の紹介行為は、たまたま知り合ったひとを、たまたま知っている別のひとにつなぐだけだから、失敗しても責任を問われることはない。逆にその人間が役に立てば、相手から感謝されて貸しをつくることができる。これはいわば、損をしない投資みたいなものだ。”
おそらくはみんな経験していると思うけれども、ともだちは一緒の空間にいないとすぐに友情は枯れてしまう。受験で進学先が違ったり、就職して地元を離れたり、結婚してお互いに疎遠になったりすると、離ればなれになってしまう。小学生や中学生の友人と都会の大学のときの友人と会社に入ってからの友人は別々で、お互いいに引き合わせて遊んだりすることも滅多にない。人はひとつのコミュニティにしか存在できなくて、会社でも子どもの学校でも町内会でも活躍できるのはスーパーマンとしかいいようがない。何年も離れていても直接会えば友情は復活するけれども、その友情を維持し続けることは難しすぎる。だからこそ、お金では壊せないのだ。
こんにちは^^コメントありがとうございます。
日本の場合、年上とか年下になると先輩、後輩となってなかなか友人にはなれない特殊な環境で、会社に入っても入社時期があとさきで先輩後輩になるなど難しいですね。
学校の同級生とか会社の同期とかホントに限られたメンバーしか友人になれないのかもですね。
コミュニケーション能力が高い人は、会話が続くように話すことが出来て、そのコツは相手が話しやすい分野の話題を振ることらしいですが、そんなことよりSNSだったりしますからね。
こんにちは^^コメントありがとうございます。
ずっと地元で強い絆ばかりのコミュニティで生活すると変化ができなくて、思考が硬直化してしまいそうですね。過疎が進んでいる田舎だと強い絆をキープすることが至上命令なのでどんどん先細りになりますね。
コミュニケーション能力が高いと弱い絆がたくさんできてストレスが少ない生活ができるのかもしれませんね。
深い悩みでなければ、簡単に解決策を問いかけて、情報を共有することができますね。
どこどこ行きたいけれど誰か行ったことがある?どうだったか教えて。
アルバイトいいのあったら紹介してほしい。
kiriさんの日記にあるアメリカ人のお話しで、「職業を紹介してくれた知人」は、
こういった人たちのことを指しているのかもしれませんね。
一生付き合っていけるような大切な友人を得られる機会は、本当に少ないです。
その人たちに見合うように、しっかりとした自分を保ちつづけて、つきあっていきたいです。
本当に苦しい時も、ほんの少しだけ嬉しいことがあるときも、自分のことのように一緒に泣き笑いしてくれる友人は、会えなくてもいつも心の中で、自分を支えてくれる存在です。
娯楽などに使い込み、お金を借金するようなルーズな生活をして、友人に迷惑をかけることはしたくないと思います。
たしかに小さなコミュティに縛られていると、上手くいっているときはいいけれど、問題が起こった時、助けを求めようにも、相談したら最後、みんなに知れ渡ってしまいそうな気がします。村社会のような感じでしょうか・・。