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ともだちってなあに? その2

『本格科学冒険漫画 20世紀少年』は浦沢直樹による漫画で、Wikipediaによると、


”高度成長による「夢と希望」に満ちあふれていた時代から、一転して経済は停滞しオカルトブームが起き、世界滅亡の空気まで漂いはじめた、1970年前後。

そんな時代の中で、少年たちは、地球滅亡をもくろむ悪の組織や、東京を破壊し尽くす巨大ロボットに蹂躙され、混沌とし、滅亡に向かっていく未来の世界を空想した。そして、それらに立ち向かい地球を救うのは、勧善懲悪の正義のヒーローとその仲間たちだ。下らないようなストーリーを描いたスケッチブックを、少年たちは“よげんの書”と名付ける。しかし大人になるにつれ、そんな空想の記憶は薄れていく。

1997年、主人公のケンヂは、突然失踪した姉の娘のカンナを養い、コンビニを営む平凡な日々を送っていたが、お得意先の一家の失踪や幼なじみの死をきっかけに、その薄れかけていた記憶を次第に呼び覚まされていく。そして世界各地の異変が、幼い頃空想した“よげんの書”通りに起こっていることに気づく。一連のできごとの陰に見え隠れする謎の人物“ともだち”との出会いによって、全ての歯車は回り出す。”

唐沢寿明、豊川悦司、常盤貴子、平愛梨、香川照之、石塚英彦、佐々木蔵之介らの出演で映画化もされたこのお話はともだちがキイワードとなっている。

「残酷な世界を生き延びるたったひとつの方法」橘玲著によると。

”ところでこの話は、よく考えるとちょっとヘンだ。ケンヂには中学・高校・大学とたくさんの友だちがいたはずだけど、大学時代のバンド仲間を除いて、彼らはこの物語にはまったく登場しない。オッチョやユキジ、ヨシツネなどの幼なじみも同じで、これまでの人生で築きあげてきたはずの交友関係はすべて排除されている。もちろん登場人物の人間関係をいちいち数えあげたら話が進まなくなるからだけれど、ここでいいたいのはそんなことじゃない。

読者や観客であるぼくたちは、このずいぶんと無理のある設定(物語の枠組)を無条件に受け入れている。なぜだろう?

それは、作者とぼくたちが”友だちの本質”を共有しているからだ。

友だちは、小学校・中学校・高校(幼稚園や大学でもいいけど)の同級生の間でしか結ばれないきわめて特殊な人間関係だ。学年がひとつちがうだけで、先輩や後輩と呼ばれるようになり、純粋な友情は成立しなくなる。

さらに友だちには、世代ごとに切り分けられ、互いに混じり合うことがないという、もうひとつの際立った特徴がある。中学校に進んで新しい友だち関係ができても、ふつうは小学校の友だちを紹介したりはしない。

ふだんは意識していないけれど、ぼくたちはみんな、友だちのこうした排他性に気づいている。『20世紀少年』の物語には、秘密基地で遊んだ小学校の同級生以外の、”別の”友だちが出てきてはいけないのだ。”

と友だちの特殊性を説明している。この前提を共有しているから、友だちと力をあわせて冒険し、問題を解決する過程が楽しめる。友情を再確認することもできるのだけれど。

つづく。





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