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ともだちってなあに? その5

さまざまな資格を持ち、一匹狼で、あらゆるトラブルを解決する大前春子が老舗食品会社「S&F」で活躍するドラマ『ハケンの品格』。第1シリーズが話題になり、第2シリーズが放送中だが、実は大前春子には友だちがいない。

日本の会社は、一斉採用が基本で同期が一緒に研修をする。だから、同期は職場が離れても連絡を取り合うし、付き合いは続いていく。同時期に始まった池井戸潤原作の『半沢直樹』では、主人公の半沢直樹と同期入社の渡真利忍や苅田光一がいろいろ助けてくれる。『ハケンの品格』においては、大前春子の上司の里中賢介は東海林武と同期でいろんな悩みを相談する友だちとして描かれているが、スーパーハケンの大前春子は「S&F」を助けるばかりで誰からも助けられることはない。

「残酷な世界を生き延びるたったひとつの方法」橘玲著によると。

”二〇〇八年末、東京・日比谷公園に「年越し派遣村」が設営された。仕事を失い、住む家もない若者たちが何百人もそこに集まってきた。
ぼくたちがその映像に衝撃を受けたのは、非正規労働者の悲惨な境遇とか、世界金融危機の深刻さを知ったからじゃない。ついこのあいだまでごくふつうの若者だったのに、彼らには迎えてくれる家族も、貧しさを分かち合う恋人も、援助してくれる友だちもいなかったからだ。現代の貧困とは、たんに金銭的に貧しいだけではなく、愛情空間や友情空間を失い、裸のまま貨幣空間に放り出されることなのだ。”

『ハケンの品格』の脚本は『Doctor-X 外科医 大門未知子』を書いた中園ミホで、大前春子の人物像は大門未知子と共通点が多い。ふたりとも高いスキルと知識を持ち、仕事は速く、なれ合いはせず、友だちがいない。そして恐ろしくコミュニケーション能力が低い。

”世の良識あるひとたちは、ひととひととのつながりが薄れたことを嘆き、共同体の復権を望んでいる(最近ではこれを「新しい公共」という)。でもぼくは、こうした立場にはかならずしも与しない。彼らの大好きな安心社会(ムラ社会)は、多くの人に「安心」を提供する代わりに、時にはとても残酷な場所になるからだ。
政治空間の権力ゲームでは、仲間(友だち)から排除されることは死を意味する。いじめが常に死を強要し(「死ね」はいじめのもうひとつの常套句だ)、いじめられっ子がしばしば実際に死を選ぶのは、人類史(というか生物史)的な圧力の凄まじさを示している。友情はけっしてきれいごとじゃない。
それに対して貨幣空間は「友情のない世界」だから、市場の倫理さえ遵守していれば、外見や性格や人種の出自は誰も気にしない。学校でいじめられ、絶望した子どもたちも、社会に出れば貨幣空間のなかに生きる場所を与えられる(そしてしばしば成功する)。これはとても大切なことだ。(中略)
その一方で、「友情のない世界」がバラ色の未来ではないことも確かだ。そこでは自由と自己責任の原則のもとに、誰もが孤独に生きていかなくてはならない。愛情も友情も喪失し、お金まで失ってしまえば、ホームレスとなって公園の配食サービスに並ぶしかない。”

現代のコロナ禍にあっても、世界はよりフラットになって友だちを必要としない世界へとなっていく。決してバラ色の未来ではない。時給3000円の大前春子はどこででも食べていけるが、万が一体を壊して働けなくなれば友だちがいない世界で孤独に過ごすしかないのだ。





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