自作8月 精霊流し「夏の夜のお茶」1/2
- カテゴリ:自作小説
- 2020/08/30 23:23:09
今宵の空は晴れやかで、白鳥の十字星がはっきり見えた。
それでも、空気中の塵は少なくないのだろう。白鳥が遡上している天の河は、輪郭すらおぼろげで、織姫と彦星をへだてているものは何もないようだ。
縁側で足をぶらぶらさせるシノブは、空から手元のスマートフォンに目を移した。
幼なじみのタクミからラインが来ている。明日こそは部活をさぼるなと、怒り顔のスタンプが貼られていた。
――おまえ、副部長なんだからな。下級生に示しがつかねえって! 明日は来い絶対来い、そんで課題ちゃんと描いて行け!
中学校の創立記念は9月末。いわゆる文化祭が来月に迫っている。美術部は毎年教室をひとつ借りて、部員の作品を展示する。部員は最低一つ、作品を提出しなければならない。
――了解部長
不愛想な返事を打って、シノブは縁側に寝転がった。
「だから夜空を見てたっつーの」
インスピレーションを得るためというか、適当に星空でも描こうかと思って、空を見上げていたのだ。しかし絵の具でぽつぽつ細かな星々を描いていくのは、かなりの手間かもしれない。
「エアブラシ持ってないし。青空にすっかなぁ」
「そりゃまた安易な」
茶の間からずずっと、湯飲み茶わんをすする音がした。
ちゃぶ台にちょこんと、藍色の浴衣を着た眼鏡青年が正座している。
「あんた、まだいるの?」
シノブは眉間にしわを寄せて体を起こした。
「盆はとうに、過ぎてんの。しかもこのくそ暑いのに、湯気もうもうのお茶なんて飲むとかもう」
「いやあ、うちのお茶はほんと最高。シノブさんがお上品に喋ったら、もっと最高」
「うっさいわ!」
家は茶葉を作る農家で、昔ながらの木造建築。眼鏡青年は、かつてここの当主だった。ちゃぶ台の後ろの壁にずらりと並ぶご先祖さまの写真。その、右から五番目の人だ。
「盆が終わったらみんなちゃんと帰ったのに、なんであんただけ残ってんのよ」
てかなんでうちは、盆になるとご先祖がマジで帰ってくるんだか。わけわかんないったら。
シノブは頭を掻きながらぼやいてちゃぶ台を横切り、台所の冷蔵庫をがちゃりと開けた。コーラの缶を取り出し、ぷしゅっ。とたんに眼鏡青年が突っ込みを入れてくる。
「いやそれじゃない。夏に飲むのはラムネだろ。ちゃんと水だらいに入れて冷やしてるじゃないか」
「あのどうやっても、ビー玉がとれないやつ? 昭和の夏を押し付けんなって」
「僕、大正の人なんだけど」
「どっちでも同じようなもんでしょ!」
いやあ全然違うんだなあと、眼鏡青年はうすら寒く笑った。
「昭和の人だって、大正はレトロチックで、なんとも情緒があるという感覚を持っているよ。しかし僕にとっては大正こそが現代だからね。昭和も平成と同じく、SFな未来世界なんだな」
「何言ってるか、ちょっと分かんないわ」
「まあなんというか、ケンイチさんは宇宙人みたいなものだってことさ」
「ますます分かんないわ」
ケンイチというのはシノブの祖父のことだ。眼鏡青年には孫にあたる。青年はケンイチが生まれる前に亡くなってしまったのだが、お盆の時には毎年家に戻ってくるので、知らぬ仲どころか大変仲が良い。今年のお盆も共に連日、どんちゃん騒ぎしていた。
初盆だったから仕方ないわねと、祖母は泣き笑いしていたけれど…。
「たしかにさ、数年闘病して衰えに衰えて死んだくせに、いざお盆ってなったら、何なのってぐらいぼんれすハムのマッチョなおじさん姿でやって来てさ。全然別人じゃんって、唖然としたけど」
「だよねえ。あの姿、戦地に行ってた時の、まあつまり、一番体力あった時代の姿なんだよね」
あんなにぴんぴんしてるなら、ビールぐらい自分で淹れろっていうの。
シノブは帰ってきた祖父を思い出して口を尖らせた。
毎年必ずやって来るお盆の〈来客〉は、壁にかかる白黒の写真の数と同じ。十五人もいる。ご先祖さまをもてなすべく、祖母は毎年てんてこまい。帰省してくる親族の女性組も総動員。シノブも物心ついたときから手伝ってきた。
「やっぱ長男教で育ったやつはだめよね。今年はおばちゃんたち軒並み帰ってこれなくて、ばあちゃんとあたしはてんてこまいだったってのにさ。汗ぷったらしてお客さんの世話してるのに、じいちゃんは全っ然手伝わないで、ご先祖さまと飲めや歌えやの大騒ぎ。生きてたときからそうだったけどさ、空気読んでよって感じ」
「まあまあ。ケンイチさんは新盆だったんだから、大目にみてやってよ」
「ふん。みてやるわよ。ちゃんと帰ってきたからね。うちの父親とは大違い」
「シノブさん……」
私も、昔の人に会いたいですね。