11月自作 (冬支度) お米のお札2/2
- カテゴリ:自作小説
- 2020/11/30 23:55:30
その晩も女の良人は床から出られず、苦しそうにうんうん唸っていた。
何日も寝たきりのせいで、手足の節々が痛むという。
かわいそうにと女は、娘と一緒に良人の体をさすってやった。
そうして翌日、日が傾くのをじりじりそわそわ待って、市場へ出かけた。
五色の吹き流しが下がるお店に入れば、昨日の少年が白い歯を見せて笑ってきた。
それじゃあ描くよと硯に墨をひたして横に一閃。それから縦に一閃。
「おやまあ」
女は字があまり読めないけれど、それは市場でよく目にする字だった。
これは、十という数字を表す文字ではあるまいか。
「なぜに?」
「頭に浮かんだ。だから描いた」
「はあ?」
少年は十の間に点々を四つ入れた。これもまた、市場でよく目にする字だった。
「おやまあ、お米?」
「これを部屋に貼るだけでなく、たらふく食わせるといい」
「はい?」
「憑いているのは、たぶんそんなやつだ。米が食いたい奴。餓鬼っていうのだろうな」
「ガキ?」
「有り体に言えば、腹が減っては戦はできぬというやつだよ」
首を傾げながらも女は家に戻り、炭で飯を炊いた。
米は一番の高級品だから年に数度、とっておきの日にしか食べられない。だがこれで良人についている鬼が消えるのなら万々歳。また働きに出て、存分に稼いでもらえばよろしかろう。
「米! うはあ!」
いつもならば正月に食べる、煮たての姫飯(ひめいい)を出すと、良人は目を輝かせてガツガツ食べ始めた。
「うめえ。いやあ、うめえ。幸せだなあ! ああ、おまえらも食えよ。みんなで食おう!」
普段は粟とかきびとか、雑穀の粥が主食である。
病人がガバッと跳ね起きて食べるものだから、女も娘も少し驚いたけれど、白くて艶々強い米の粥を一緒に口にした。とろりとしてほんのり甘みのある粥はなんともおいしい。何杯でも食べられそうだった。
「なあ、これからは月に一度は、食いたいわ。いやいや、週に一度ぐれえは、食えるようになりたいもんや」
鍋いっぱいでは足りずに、もっと、もっと。
櫃に入れていたとっておきはすぐ無くなって、それでもまだ足りないから、翌朝市場へ駆けて、米を買えるだけ買った。
良人が橋を作って稼いだ銭はすっからかん。いったい何杯、大きな鍋に煮たことか。
それを良人はすっかり平らげて、大満足で眠った。があがあと丸一日寝て、そのまた翌日、弾けるように跳ね起きた。
「親方に、仕事もらってくるわ」
良人はすっかり良くなり、仕事に復帰した。できるだけ実入りの良いのを紹介してもらって、銭を稼ぐのだと意気揚々。かなり遠方の国へと出稼ぎに行った。
女も娘も良かった良かったと、喜んだのだが――
「おやおかみさん、ごきげんよう」
ひと月後、女は米と描かれた護符を持って、五色の吹き流しが下がる店を訪れた。
「これ、必要無くなりましたんで、どうやって処分したものかと」
「お役に立ちましたかな」
「ええまあ。足腰が立たない病の鬼は、祓えたんですけどね」
週に一度は米を食べたい。
良人はそんな思いで遠い国へ行った。だがそこで死んでしまった。
凍った河に落ちた子を助けて、また鬼に憑かれてしまったらしい。燃えるような高熱を出して、逝ってしまったそうだ。
「助けた子というのが、国司さまの御子やったそうで。うちらは都を離れて、その国司さまのもとに、引き取られることになりまして。ぜひ恩返しをしたい、面倒をみたいといわはるもので。なにより良人は、あちらに埋められとりますし」
「おや。そうだったのですか」
「護符はこっちで処分するよ」
店の奥から水干姿の少年が出てきて、にっこりと微笑んだ。
「代わりにこれ」
良人が死んだ国へ行き着くには何日もかかる。道中つつがなく事故などないようにと、少年はまたぞろ紙にさらさらと筆を走らせた。
「おやまあ」
これは読めない。縦に横に斜めに、それから丸い印もちらほら。
「地霊に引っかからないように。風神が後押ししてくれるように風の印もつけておく」
「はあ?」
「無事行き着けば、幸せになれるぜ。そういう相が出てるからさ」
「ソウ?」
「これのお代はいらないよ。俺からのお悔やみと手向けだから」
それはどうもありがとうと、女は複雑な模様が描かれた護符を持って帰って行った。
女の姿が薪を頭に抱えた大原女たちの行列にまぎれて消えていくと。店主はまったくと、残念そうにため息をついた。
「あれこそ値千金の護符だったろうに。おまえ、お人好しすぎるぞ」
「いいじゃん、減るもんじゃなし」
「俺は家の財を増やしたいんだが。やっぱしあの米の護符、もちっとふっかけるべきだったか」
「何言ってんだよ、あれには何の御利益もないぜ。宇治の橋の工事、人夫たちに配給ろくにしてねえって、悪評がたってじゃんか。だから飯を食わせりゃ治るって見込んだ通りだったわけで。でも今度のは、のるかそるかの旅だからさ」
「のるかそるかってなんなんだかな」
「運命の分岐って、いっとう大事なんだよ。のれば一生、幸せになれるからさ。あ、念のために守護神霊も送っておくかな」
「おいおい」
少年はぶつぶつ何かおどろおどろしい言葉を唱えて、ささっと指で印を切った。
「……よし、これで完璧。それじゃあ父ちゃん、師匠のとこにいってきまーす」
商売っ気がないのが玉に瑕だと、店主はぼりぼり頭を掻いた。
「まったく。でもまあ、出世してくれればええか」
水干の少年はひょいひょいと、市場を通る人ごみを軽やかにかけ抜けていった。
まるで突風のように。
五色の吹き流しが、大路を吹き抜ける風に大きくなびく。
その上に掲げられた看板を見上げて、店主は苦笑した。
「あいつほんま、すごいらしいからなぁ。やっぱし、この〈蘆屋〉を、継いではくれへんやろなぁ……」
蘆屋道満は、陰陽師として名高い安倍晴明の宿敵として有名である。
道満法師とも呼ばれる彼は晴明と法力勝負をするなど、様々な逸話が残されているが、一説には晴明の弟子であったとも伝えられる。
なれども詳しい記録は一切残っていない。
史実には存在しない人物であったと、今の世では語られるのみである――
お米のお札・了
꧁༺taᖙy༻꧂
@103Tadyさんからのツィッター・コメントです
読了後、気になって過去のツイートを遡り検索したら…
やはり『ねこま憑き (深海著)』様でした
こういう時代背景や当時の庶民の暮らしに密着した信仰等物語は個人的に惹き込まれて大好きです!
http://ncode.syosetu.com/n2092gk/23
映画よりもドラマ版のほうが、ドーマンさんがよく描かれているような。
少年は式かと思ったら後継ぎさんでしたか。
勝負してから追放になったと、宇治だか、鏡だかにあったような。
またしばらくしたら、古典を読んでみたいと思います。
たのしいお話をありがとうございます
まあ良いお話で有ります事です。