Nicotto Town


ま、お茶でもどうぞ


7月18日 午前1時14分

 17日。

 りんごちゃんは、おなかが痛いのか、しょっちゅう腰を浮かせて「お祈りのポーズ」をしていた。
 仕事に出かける前、大学病院でもらった止血剤、抗生剤、血を作る働きを助ける薬、肝臓の働きを助ける薬を砂糖水で溶かしたものを、注射器で飲ませた。
 もういいよ、と顔をそむけるも、「頑張って飲もう」と言うと、頑張って飲んでくれた。
 腹は腹水のためか、ぱんぱんに膨れ、両脇も不自然に横に膨らんでいた。ガスがたまっているようで、昨日から張りは収まらず、体が大きく見えた。
 血尿は、目立って出なかったが、うつぶせているペットシートには、点々と赤茶色の染みが付いていた。

 こんな毎日が、あといつまで続くのか。私は、仕事の休憩時間に夕空を見上げて神様に祈っていた。
 どうか早く、りんごちゃんの苦しみを終わらせてください。今日連れて行ってもいいです、と。
 仕事中は、ペットの遺毛や遺骨を納めて持ち歩けるケースやペンダントのことを考えていた。

 18日。
 残業があり、午前0時40分ごろに帰宅。
 家に入ると、母の寝室からりんごちゃんのうなり声が聞こえた。
 おしっこをしたいとき、低くうなって不快そうにするが、それとは少し響きが違っていた。呼んでいるようだったが、まず私は水筒の水を流しに捨て、暑かったので靴下を脱いで洗濯機に入れた。疲れていたので、先に自分のことを優先したかった。

 寝室に行くと、りんごちゃんは母の隣で寝そべり、私を見ていた。「おしっこか」と聞きながら、私は近くに敷き詰めているペットシートを見た。血が混じっていないおしっこの丸い跡を見つけ、そのシートを捨てた。
 それから、いつものようにりんごちゃんをトイレへ運ぶ。胸とおしりに手を差し込んで持ち上げ、腹を圧迫しないようにする。

 トイレトレーに下ろしたが、何も出なかった。りんごちゃんは、よたよたと歩いて寝室へ戻ろうとする。うんちが出やしないかと、私はペーパータオルを濡らして絞り、おしりを拭ってみたが、何も付いてこない。

 部屋が蒸し暑いので、りんごちゃんもつらいだろうと、新しくペーパータオルを濡らして絞って、廊下に伏せたりんごちゃんの顔を拭いた。格別気持ちよさそうにはしていなかったが、おとなしく拭かれていた。
 起き上がり、台所を回って母が寝ている寝室へ歩いていく。いつもは2、3歩でへばるのに、足に力が入らないながらも歩いていた。が、部屋を前に、居間にあるパソコン机の椅子の下に長々と伏せた。私がこうしてブログを書く間、椅子のキャスターぎりぎりに寝そべっていたように。(危ないよ、といつも言っていたが、離れなかった)

 伏せたままおしっこやうんちを出すことがあるので、しっぽを持ち上げてみたが、何も出ていない。暑いので、少しでも快適になってもらおうと、布タオルを水で濡らして冷やしタオルを作り、りんごちゃんの体に掛けた。

 なんとなく気配を感じ、しっぽを持ち上げると、うんちが出てきた。片付けるため、細切れにしたペットシートやビニール袋などを持ってくる。
 出かかっているうんちを取り除いたら、また出てきた。「いっぱい出たなあ」とりんごちゃんの顔をのぞきこんだら、瞬きをしていない。
 手を目の前にかざして振っても、つぶらな瞳はまっすぐ前を見たままだ。
 これは、と思った。体を見ると、呼吸がひどく弱い。ゆっくり、目を凝らさないとわからないほど浅い。

 おしりから、どろっと軟らかいうんちが出てきた。トイレットペーパーでは間に合わないので、キッチンペーパーを使う。どんどん出てくる。食べてないのに、こんなにおなかに溜めていたのか。

 犬が死ぬ前に見せる行動に、失禁があると調べていた。ついに来たかと思った。
 荒い呼吸などなく、りんごちゃんは頭を上げた。が、目を見開いたまま、首がぐうっと私の方に曲がってきた。

 「お母さん、早く。りんごちゃんが、もうだめだ」
 横倒しになったりんごちゃんを抱きしめ、私は母を呼んだ。「ええっ」と母は起きてきて、横向きになったりんごちゃんの顔を両手で包んで、「うそだ、起きろ、起きろ」と泣きながら呼び掛けた。

 りんごちゃんの体が弱くけいれんし始めた。私と母は、りんごちゃんに「ありがとう」「楽しかった」「幸せだった」と次々に声を掛けた。「よく頑張った。もう起きなくていいから。ゆっくり眠れ」
 りんごちゃんの口が、ぱくぱく動いた。声が出ないが、かすれた息で「ワン、ワン」と言っている。口元が微笑んでいた。
 返事をしていたのかな。それとも、大好きなお父さんが見えていたのだろうか。
 
 しばらくして、動きが止まった。終わったのだ。
 私は泣かなかった。母は号泣していた。「おい起きろ」と母はりんごちゃんの耳をパタパタさせたが、私は「やっと楽になったんだから。毎晩、痛いよ、苦しいよってつらかったんだから」と言うと、母はうなずいた。

 最期の抱っこをする。ぐにゃっと首が後ろに倒れ、手足がだらんとしている。
 本当に、本当に死んでしまったのだ。
 顔を見ると、目は開いて、口は半開きのまま笑っていた。最後に笑って逝くなんて、とてもりんごちゃんらしい。

 りんごちゃんは明るくて、やんちゃで、賢くて、遊びが大好きで、誰よりも食いしん坊だった。ミニチュアダックスイケメンコンテストがあるなら、間違いなく上位に入れる美貌の持ち主で、笑うと天使のように愛らしく、神々しささえ見せることもあった。
 数日前に携帯電話で撮影したりんごちゃんの顔は、こちらを見て微笑んでいた。わが家が大好きだったんだろうな、と思う。

 りんごちゃんも幸せでいてくれたのなら、良かった。私も幸せだった。闘病の日々も、苦しかったけど、お世話は楽しかった。お前のおかげで、私もずいぶん成長したよ。
 
 最期に、苦しまないで虹の橋を渡ったことは救いだった。母は、りんごちゃんがずっと玄関の方を見ていて、時々吠えたと言った。私が帰ってくるのを待っていたんだね。ありがとう。ありがとう。

 
 死後硬直が始まる前に、りんごちゃんが使っていた犬用ベッドに横向きに寝かせ、両足を整え、目を閉じさせる。ぐっすり眠っているように見えた。
 妹も夜勤から帰ってきて、母と3人でりんごちゃんを見守った。
 もう犬は飼うなよ、と泣きながら母は私にきつく言った。それはどうかわからないけど、と私は言葉を濁した。
 同居犬のくり子は、騒がずにおとなしくしていた。

 
 その夜は、いつものようにりんごちゃんを間に、母と川の字で寝た。母は一晩中泣いていたようだった。

 朝6時。夢を見たが、内容は覚えていない。りんごちゃんは出ていなかったかもしれない。
 目が覚めて、犬用ベッドに横たわるりんごちゃんの頭をなでた。耳まで完全に固まっていて、ああ、死んでしまったんだなあ、と思う。
 膨らんだおなかは、まだかすかにぬくもりがある。ぐっすり眠っているとしか見えない。

 これからペット葬儀会社に連絡して、火葬の手続きをして…。
 近いうちに動物病院へ連絡し、市役所へ行って、死亡届を出さなくては。
 
 まだ現実味が湧かない。
 今日、荼毘に付しても、私はいつも通り食事をし、ゲームをし、仕事に出かけるだろう。やるべきことが終わったら、たぶん、どっと悲しいのがくるんだと思う。




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