Nicotto Town


ま、お茶でもどうぞ


振り返ってみると

 昨日、愛犬のりんごちゃんが肝臓の末期腫瘍と知った5月から今までのブログを読み返した。

 ほぼ毎日、りんごちゃんは腹痛に苦しみ、私が心を痛めている様子が書かれている。
 およそ2か月半、りんごちゃんは小さな体で、私が想像できない痛みと苦しみに耐えてきたのだ。
 あわよくば来年まで生きてくれないかと期待もしたが、食事も取れず毎日苦しんでいる姿を見れば、一日も早く楽になってほしいという願いもあった。神様は後者を取ってくださった。

 早く迎えに来てくれという願いは、人によっては非情に思えるかもしれない。
 介護が苦しいからではない。お金は何とかしてみせる。でも、毎日苦痛に耐える日々がどれだけ、りんごちゃんにとって負担だったか。
 それを考えたら、苦しんででもそばにいてくれと思う方がエゴじゃないだろうか。

 もっとも、りんごちゃんは、体がどんなに苦しくても、一日でも多く私たちのそばにいたかったのだと思える。
 とっくに死んでもおかしくない体調不良が何度もあったが、大学病院での入院を耐えて、来るべき日を先延ばしにしていたのだから。
 
 りんごちゃんが元気な時は、私がなでようとするとテーブルの下に逃げることが多かった。
 亡くなる数日前からは、私が寝る布団の真ん中に横たわったり、私の枕に寄り添ったりしていた。りんごちゃんなりに、私を慕っている思いを伝えたかったのかもしれない。


 母は、夜寝る時に、かたわらにりんごちゃんの骨壺を置いている。父が亡くなった時もそうだった。母なりの悲しみの向き合い方なのだろう。
 実は、りんごちゃんの火葬を急いだのは、母が遺体をいじるからだった。

 ネクロフィリア(死体に興奮する性癖のこと)ではないのだが、父が亡くなった時、しょっちゅう遺体のまぶたをこじ開けて「父ちゃん見えるか?」と言ったり、唇を開けて息をしていないかとか、そういういたずらめいたことをするのが、見ていて好ましいと思えなかった。

 母は2歳の頃、両親の愛情を知らずに里子に出された経歴があり、どこかで一般常識とずれているというか、愛情をよく知らないところがある。
 父の遺体いじりも、母なりに死と向き合っている表れなので、無理に止めなかったが、りんごちゃんに同じことをしてほしくなかった。
 りんごちゃんが亡くなって死後硬直したあとも、私が閉じさせた目を開こうとしていた。

 葬儀会社に火葬の依頼をした時、亡くなってからの時間を聞かれ、およそ8時間ほどしかたっていないと言うと、驚かれた。
 大半は、丸一日か、5日間ほど安置してから火葬する家族が多いとのこと。夏場でもドライアイスを使えば持つという。
 もっと長く家に安置したい気持ちが出たが、母のことを考えたら、その日のうちに終わらせようと思い、即日決断した。
 遺体安置が長いほど、ペットロスの回復が早まるという情報をネットで見たが、この判断は間違っていないと今でも思う。
 
 昨夜、寝る前に母の寝室をのぞいたら、傍らに置いてあるりんごちゃんの骨壺が、りんごちゃんが座っているように見えてぎょっとした。
 驚いたあと、苦笑する。あんなに自分が会いたいと思っていたのに、幻でも現実に見えると、「怖い」と思うなんて。
 りんごちゃんは、せっかく姿を見せたのにと、不服だろう。ごめんな、いつも勝手で。

 でもそれは健全なことで、愛情がなくなったわけではない。
 だいぶ落ち着いたとはいえ、今も、泣いてしまうときもあるし、長生きせず死んで、早くりんごちゃんに会いたいなあと考えるのはしょっちゅうだ。

 残りの人生、どうやって生きるかの岐路かもしれない。ペットボランティアも考えたのだが、それにはまず、お金と周囲の理解が要る。
 それに、ただ動物を相手にするだけではなく、要らなくなったペットを押し付けたり、拾ってきた犬や猫を押し付けたり、そういう醜い人間の心とも戦わなければいけないことを考えたら、尻込みした。ちょっと無理だなって。

 ただ、自分のためにだけ生きようとすると、長すぎて嫌気がさすのは確かだ。私なりに、無理せず社会貢献していく方法を探していきたいと思う。

 ※最近見つけた、ペットロスの記事。書き手の考え方が私と同じだったので共感した。みんな同じだなあって。
16歳の愛犬を亡くした心理カウンセラーが考えるペットロス
 https://joshi-spa.jp/973482
 
 
 
 




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