芭蕉が愛した木曽義仲 その13
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- 2021/07/26 17:36:13
今井兼平と2騎となった木曽義仲は、鎧が重くなったと弱音を吐く。激戦に次ぐ激戦で味方は劣勢。絶望的な敵味方との差は鬼神の如き義仲でもひっくりかえすことは不可能だった。兼平は自分を千騎と思ってくださいと励まし、武士の名誉のために静かに自害されよと粟津の松原へ行かせた。義仲は自害するために松原へ向かうが馬が田んぼに脚をとられて動けなくなってしまう。動けなくなった義仲は兼平のことが気になって振り返ってしまい、相模国住人石田為久が矢を放って兜の中を射貫いて討ち取った。義仲享年31。
義仲も歴戦の武士なので矢は兜を射抜けないことは知っていたはずだ。弓矢では一直線に狙うのではなく上に向けて放物線を描くようにして狙う。だから、顔を上げなければ矢は顔には絶対に刺さらない。それでも、顔面を射抜かれたのは兼平のことが気になって、顔を上げてしまったからだ。最期まで義仲は兼平を気にかけていたのだ。
義仲が討たれたことを知った兼平は、「今は誰をかかばはんとて、軍をばすべき。これ見給へ、東国の殿ばら、日本一の剛の者の自害する手本よ」と愛刀を口にくわえて馬上から飛び降り、愛刀に貫かれるという壮絶な自害をする。享年33。
源行家、源義資追討のため、河内国石川へ出兵していた樋口兼光は、義仲、兼平の死を知って都へ引き返す。途中、武蔵国児玉党が説得して源義経の軍に生け捕られた。1月26日、義経は義仲らの首とともに検非違使に引き渡された。武蔵国児玉党は自らの武勲の賞として兼光の助命を訴え、義経が朝廷に奏聞したが兼光の罪は軽くはないと認められなかった。2月1日。殿と一緒にいたいと頻りに願い、木曽義仲、今井兼平、根井行親、井上九郎、高梨冠者、長瀬判官代の首が引き回されている末尾を藍摺の直垂と立烏帽子という粗末な恰好でついて歩き、京童に嘲笑された。そして翌日、相模国の住人、渋谷高重によって斬首された。首は生前の嘆願通りに義仲の隣に置かれた。
続く。