芭蕉が愛した木曽義仲 その17
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- 2021/07/30 17:14:06
能楽に「巴」と「兼平」という曲がある。
「巴」は木曽の山奥の僧が都へ上る途中、粟津で里の女が神前で涙を流している。わけを尋ねると「ここは木曽義仲の御霊がおられる」といい、「わたしの名前は里の者に尋ねなさい」と言って消えてしまう。木曽の僧はここで一晩中経を読むこととして神事に村の者もやってくる。『平家物語』木曽最期を受けての能で、巴は義仲と一緒に討死できなかった恨みで成仏できないと義仲の最期を語り始める。深い田んぼに入った義仲を助けて、「ご自害なされませ」と勧める。義仲は巴が後を追うことを許さず、小袖を里へ届けるように命じ、巴は周りの敵と戦い、気がつくと義仲は松の根元に横たわっていた。巴は形見の小袖を持って木曽へと落ちていくという話だ。
「兼平」は木曽の僧が同郷の英雄、木曽義仲を弔うために粟津を訪れたところ、琵琶湖の東岸矢橋の浦で、柴舟に乗った老人が現れます。老人の舟に乗った僧の一行は比叡山など琵琶湖の観光地を一通り回ったあと、粟津に到着すると忽然と姿を消します。地元の船頭が現れ、老人は今井兼平に違いないと、木曽の僧に供養することを勧めます。供養の最中に兼平が現れ、修羅道の苦しみを語ります。義仲を自害させるために奮戦し、義仲が自害を果たせず流れ矢に当たって討死すると、兼平は太刀をくわえて自らを貫いての自害を果たすという話。
どちらも粟津の戦いの無念を語り、巴や兼平の怨霊を慰撫する物語で、彼らにとっては救いの物語でもある。
能や歌舞伎はもともと怨霊慰撫のための芝居で、平家物語の義仲の段に人気があるのも、歌舞伎の「源平布引滝」で義仲誕生秘話があり、「ひらかな盛衰記」では義仲没後、樋口兼光が義仲の遺児駒若丸を守る話となっています。
続く。