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わたしたちは夢見る子どもじゃいられない その2

ゲシュタルト心理学の創始者で「自己啓発」ブームのきっかけを作ったドイツ人精神科医師のフレデリック・パールズは1968年に自身のワークショップで「ゲシュタルトの祈り」という詩を発表した。

I do my thing, and you do your thing.

I am not in this world to live up to your expectations

And you are not in this world to live up to mine.

You are you and I am I,

if by chance we find each other, it’s beautiful.

If not, it can’t be helped.

 

わたしはわたしの人生を生き、あなたはあなたの人生を生きる。

わたしはあなたの期待に応えるために生きているわけではないし、あなたはわたしの期待に応えるために生きているわけじゃない。

あなたはあなた、わたしはわたし。

もしお互いに出会うことができたら、それはすばらしいこと。

もし出会えないなら、仕方がないことだ。

リベラルが主張する「自分らしく生きる」選択では、わたしが優先されてつながりは偶然になる。それぞれが自分の生き方を模索するとしたらいずれバラバラになるしかない。

勉強を頑張るのもサボるのも自由な選択で行われるが、結果はかならず自分に返ってくる。サボって将来まったく仕事にならなくて貧乏になったとしても、本人の責任で政府に助けてくれというのは筋違いだ。リベラルな世界は、自己責任とセットで成り立っている。人種、民族、性別、年齢、性的指向といった生来の本人が選択できない属性での選別は差別であり、本人の努力で獲得できる学歴、業績、経験などで評価がされる。現在わたしたたちが生きている世界はがんばった結果で評価される。

そして、すべての人に機会が均等に開かれていることから「自分が本当に劣等であるという理由で、自分が評価されない」という現実を受け入れざるを得なくなる。

教育者がよくいう「頑張ったら頑張った分だけ教育効果はあがる」は幻想であり、マイケル・ヤングが「メリトクラシー」でメリット(能力)は知能+努力と定義し、メリットによる支配は恐ろしいディストピアを生み出すと書いた。当然、人によって知能は違うから同じ努力でもスタートが違うと到達点が違ってくる。リベラルは認めないが、人間は自分では選択できない知能の違いを持って生まれている。となると、公平な世界も平等な世界も作ることはできない。

「自分が自分らしく生きる」選択をした世界では、他人のことなど考えて選択をするわけではない。一つしか椅子がないのなら、一番優秀な人間がその椅子に座るのが妥当だろう。自分らしく生きたいと思っていても、能力が足りなくて自分らしく生きられない。彼らは自分の人生は盗まれたと感じてしまっても不思議ではない。

続く。

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2021/08/28 16:40
>ありおりはべりさん
こんにちは^^コメントありがとうございますm(__)m
本文でも表記している通り、メリットは能力という意味で使っているから、一番能力が高い人間で能力が高いのは知能が高く、努力もしていることになります。
ひとつしかない椅子は、自分で用意するものではなく、就活などで用意されるもので定員の意味で使っています。だから一つしかない椅子は、募集定員ひとりで、ひとりだけ雇うなら一番優秀な人を選ぶのが自然でしょうという。

隣に嫁さんの恋人の席があるのは怖すぎる><間男は七両二分と値が決まりですかねー
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2021/08/27 21:22
一つしかないイスはいろいろとありますね

万物の霊長 とする人間ですから 自らを常識でしばるなら 本能的にも一つしかないイスに座るのが
人間らしいのかも知れません。

ただのエゴだとしても それはそういうモノだと思います。

でも一番優秀な人間ってどんな感じか考えてみたところ・・・・・・分かりませんでした。

それって本当に座ろうとするなら自分を思い浮かべるのが人間の中の常識の一部かも知れませんね

メリットを追いかける暮らし それは職業ですよね 仕事です。
お金がこの世に存在するから得るためには働く より得るために働く そんな感じで

メリットは欲の延長上なのかというと 違う気もしますが 自分が能動的に思うこと
それら全てをかなえようとするのが人間の目的やエゴだとして

なければ 人はだたの棒切れに過ぎず立っているだけの木人形と同じ位になります。

やはり 椅子は自室の椅子ですら一つしかないことを知れば 人は いろいろと欲を自分の前に置いて
きちんと整理し始めるのでしょうね~

衣食住 趣味に 異性の在り方など でも 自分は男性なので女性であることが第一条件ですが
それが違う人もいる 多様性と言いますが

やはり 人間は自分が考えている常識の椅子に座っているのではないでしょうかね~

だから 一人の席 自分の席 男性の席 息子の席で 父の席 兄の席 弟の席 複数のいずれかの
椅子に座り 旦那の席 となりに嫁さんの恋人の席となるのでしょうね~

まあ だから時には争う席もあるのが世の中な気がします。

パラリンピックを見ていると 金メダルに輝いたパラアスリートは
自分に勝ち得たのか?と思わなくもないですが

そう自分が思考するのもテレビの前の席

いずれかの居場所に居る それが人間ですね

では~
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2021/08/25 09:36
>Mt.かめさん
おはようございます^^コメントありがとうございますm(__)m
友人が塾講師と家庭教師をやっていて、今の中高生は両極端で頑張る子は放っておいても頑張るし、頑張らない子はどんな話をしてもまったく動かないとか。「生きているのはめんどくさいからこのまま何もしないで死ぬ」って生徒を叱咤激励しながら勉強させる友人はすごいって思っています。
なにかで響いてくれたらいいのにってよく言っていましたよ。
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2021/08/24 19:53
「やりたいことがある」「なりたいものがある」
素晴らしいですね、その高校生。なかなかそういう子は少ないです。
ただ、その職業がどんなものかはわかりませんが、諦めないと意外な方向から
道が開けることがあるということを知っているものですから、わたしがカテキョで
その子を教えていたとしたら「人生っておもしろいもんでねー・・・」っていう話を
しちゃいそうです(笑)
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2021/08/24 19:38
>Mt.かめさん
こんばんは^^コメントありがとうございますm(__)m
問題は単純化すると現実から乖離して、現実に近づけるとわかりにくくなるという。難しい問題は説明がかなり難しいです。私自身の理解度がちゃんと到達しているかにもよりますし。
近所で高校受験をする子どもがいて、話を聞くと行きたい学校があっても点数が足りないからいけない。らしいです。本人はなりたい職業があって逆算するとその高校なのですが、本人努力では足りなかったと。
いろいろ選択肢があるのはいいのですが、どうしてもなりたいものを足りないから諦めることもあるというのが「自分らしく生きる」ことのマイナス面でもありますね。ってことですね。

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2021/08/24 17:15
うーん、こういう単純化したものではないと私は思うんです。
どんな椅子がいいかは人によって違うでしょうし(笑)
それぞれがそれぞれの特性に合った生き方が
できればよいのではないかと。カエルに
砂漠に住めといっても無理ですし、ウサギは海を泳げません。
画一的な「成功」や「幸せ」は無理があるんじゃないですかねー。
わたしはできたら何もしないでゴロゴロして暮らしたいのですが、
そのためには多少の無理や無茶はやるつもりでいます。ゴロゴロ生活を
手に入れるにはゴロゴロできないというパラドックスを楽しみ中ですー(笑)




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