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竹取の翁とかぐやの大事なおはなし その6

竹が関係する行事は、77日の七夕の節句。別名笹の節句とも言われる。七夕はもともと中国から伝わった「乞巧奠」の行事で、77日の夜に供え物をして牽牛織女を祀り、女子が手芸に巧みになることを祈る行事だった。現在でも藤原北家御子左家の流れを汲む冷泉家では乞巧奠の行事を毎年8月に公開している。冷泉家は小倉百人一首を編んだ藤原定家の三男為家の子、為守から続く御子左家嫡流でもある。

七夕の行事はおそらくは恣意的にケガレを一身に背負わされて川や海に流される七夕流しへと変えられていく。

高田崇史『QED 竹取伝説』によると、

「七夕祭りの本質は、竹や短冊を飾って願い事をして、それが終わったら川や海に流して……ということじゃないんだ。最初から、人形-形代を流しすというところにある。実際に、長野県安曇地方では、木っ端で拵えた男女の人形に紙の着物を被せて、それを背中合わせにして藁船に乗せ、しかもそれに火をつけて川に流すという。また、新潟県糸魚川地方では、織姫・彦星を表す人形二体を吊るし、それから川に流した。つまり、庶民たちにとっての七夕の行事は、自分たちの罪や穢れを背負ってもらい、黄泉の国に運び去ってもらうための『祓え』の行事だったということだ。」

とした上で、七夕の頃にホオズキ市が開催されることを挙げている。ホオズキの根の『酸漿根』は子宮の蠕動運動を亢進させて、堕胎させる作用があり、妊婦には禁忌になっているのだが、昔は「稲の秋の刈り入れ時は、まさに猫の手も借りたいほどに忙しくなる。だから、その頃に出産でもされた日には大変なことになってしまう。そこで、七月七日の頃にまだ妊娠している女性がいるようならば、そこで無理矢理にでも堕胎させてしまおうというわけだ」と七夕流しとホオズキ市が重なっていることを説明している。

織姫は古代日本では棚機津女となり、「棚」はかけはしという意味が転じて捕らえる、捕縛という意味になり、「機」は機物つまり磔刑を意味している。棚機津女は、自由を全く奪われてしまった女性という意味になる。

「ご機嫌よう」という言葉は、『機嫌』という文字は『譏嫌』と表されていて「そしりきらう」ということだった。つまり「機を嫌う」ということで、『機は正に婢に問うべし』という言葉があって、機織りは身分の低い「はしため」の専売特許だという意味だった。

「天にまします神が年に一度、地上-山へ降臨するため、人々は川辺に『湯川板挙』と呼ばれる小屋を作り、そこに神の一夜妻となるべき処女を住まわせて、神の訪れを待ち受けさえた。この処女こそ、神の着物を織る『棚機津女』だったんだ。もちろん、彼女は『巫女』とも呼ばれた。特に小野小町などは、そのまま『更衣』-天皇のお召し替えの係だったんだからね……。つまり、かぐや姫に絡んでくる『木花之佐久夜毘売』も『衣通姫』も『小野小町』も、全員が『棚機津女』-全く自由を奪われて、自分の意志など誰にも認めてもらえない女性だったということだ。こうして、やがて『棚機津女』たちは、蔑視の対象にされてしまっていった。いくらその相手が帝だといったところで、貴族たちの彼女を見る目は変わらない。しょせん『遊行女婦』にすぎないんだ。それどころか逆に、皇后や、天皇の側近に仕えている女性たちからは、酷く嫉妬されただろうしね。それこそまさに、衣通姫や小町たちのように。そして、彼女たちが帝に愛されようものならば、その嫉妬心が裏返って-侮蔑を生む。あんな女のくせに、というわけだ。そしてこの『棚機津女』の別名こそ『蜘蛛姫(ささがにひめ)』なんだよ。まさに、衣通姫の歌に出てきた『ささがねの蜘蛛の行ひ』というやつだ。そしてこれは『小竹が根』とも『細蟹』ともいわれている。『小竹が根』というのは『竹=笹』からきている言葉だ。また『細蟹』の意味は、川辺をちょこちょこ這い回っている小さな蟹どもという蔑称になる。まさに、川辺で一夜妻を捧げるべく神の到来を待って、その支度に走り回っているいる人々というわけだ……」

さらに、中国から伝わった機織りの進歩に決して欠かせないものが竹だったという。

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2021/09/30 16:46
>Mt.かめさん
こんにちは^^コメントありがとうございますm(__)m
七夕というと牽牛ですもんね。
当時は言霊信仰の時代なので、名前ひとつでもよく考えないと謎が解けないですね。
恵比寿は、蛭子って名前で出てきて流されちゃう神様ですね。
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2021/09/30 15:47
あ、牛じゃなくて馬でしたか(^▽^;)
なんとなく牛のような気がしたのは七夕を無意識に想起したのかな(笑)
日本の神話にかかわる神様の話って興味深いものがおおいですよね。
「聖☆おにいさん」の最新刊19巻にはイザナギが出てきて
ちらっと恵比寿の話なんかもあって面白かった♪
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2021/09/30 09:56
>Mt.かめさん
おはようございます^^コメントありがとうございますm(__)m
素戔嗚尊が機織りの小屋に皮を剥いだ馬(読み直したら馬でした)を放り込んだときに、亡くなったのがワカルヒメで天照大神の妹とも同一神とも言われていて、神話では天照大神も機織姫って言っているよねって感じてました。七夕で織姫と彦星が会わないように呪いをかけるのは素戔嗚尊と天照大神が会って、八王子が生まれたことによりますからね。
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2021/09/29 16:51
そういえば日本の神話でスサノオが皮を剥いだ牛を
放り込んだのは機織りの女たちのところでしたねー。
なんでかなーって思ってたんだけど、なるほど機織り娘は
そういう境遇というか立場の女性たちという象徴的な意味合いもあるのかな。
うーん、深いですね(笑)




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