竹取の翁とかぐやの大事なおはなし その9
- カテゴリ:勉強
- 2021/10/04 16:31:52
一大タタラ場出雲といえば大国主命で、日本最古の薬の記録が大国主命が使った蒲の花粉とされている。
高田崇史『QED 竹取伝説』によると。
「大国主命の兄弟の『八十神』たちは、稲羽―因幡の八上比売と結婚しようとして、みんなでこぞって出かけた。その時に大国主命(大穴牟遅)は、大きな袋を一人で担がされて従って行った。その途中、気多岬―鳥取県気高郡の岬-を通りかかった時に彼らは、傷だらけになって倒れている女性と出会った。」
兎と書かれているが「宇佐妓」あるいは「宇佐伎」だろうと桑原崇は推測している。宇佐からやって来た女性=遊女だろうと。彼女はワニを騙して皮を剥がれたとこになっているが、ワニは鮫を指しているわけではなく、素直に考えて百済からの渡来人「王仁(わに)」氏のことだろう。と付け加えている。
「『大分県、宇佐神宮の辺りからやってきた女性―巫女、あるいは遊女―が、王仁氏を騙して、その結果、彼らに暴行を受けた』という話だ.八十神たちは、その女性に、海水を浴びて風の吹く丘の上に寝ているように言った。けれども、言う通りにしていたら傷の痛みが一層激しくなって、耐えきれずに泣き出してしまった。そこに後ろからやってきた大国主命が、アドバイスを送る。『今急かにこの水門に往き、水をもちて汝が身を洗ふ-』つまり……。『今すぐこの河口に行って、真水でお前の体を洗って、ただちにその河口の蒲の花粉を取って撒き散らし、その上に寝転がれば、お前の肌は元通りに治るだろう』とね。そして実際に彼女がそうしていると、傷は元通りに癒えたので、喜んで告げた。『八十神たちは、八上比売を得られず、あなたが得ることができるでしょう』。そして、その通りになった-。まあしかし、少しの傷ならば『海の傷は膿まずに治る』といわれているように、海水―塩出消毒するという方法も間違いではない。そして日光に当たれば殺菌効果もあるから、八十神たちも全くの嘘を教えたというわけじゃない。しかし、彼女の傷は、もっと大きいものだった。だから大国主命の判断は、非常に正しかった。まず、消毒・殺菌の済んだ彼女の傷口から、痛みの元である塩の結晶を洗い落して、その上に蒲の花粉を塗りつける-。蒲の花粉は『蒲黄』と呼ばれて、血管収縮・収斂作用を持ち、止血薬として用いられるからね。実際に漢方では、これに当帰や白石脂や甘草などを加えて『蒲黄湯』として使っている。遙か海を渡ってやってきた、少彦名命と共に、国土の開拓や医療の充実に、多大な貢献をしたんだ。しかしー結局は、殺されてしまったんだけどもね」
大国主命が出雲の国を平定したところ、朝廷からの使者である建御雷神と経津主神がやってきて、国を譲れと言ってきた。大国主命の息子の事代主は朝廷を呪って海に身を投げ、建御名方神は腕をもぎ取られて諏訪まで逃げた。大国主命は殺害された、あるいは自害させせられた。
朝廷は大国主命を滅ぼして、彼らが持っていたタタラ場も奪った。大きな神殿を建てて、大国主を祀った。祟られないように。
やはらぐる光や空に満ちぬらん 雲に分け入る千木の片そぎ 寂蓮法師
大国主命が祀られている出雲大社は『天下無双の大廈』と呼ばれる巨大建築物だった。高さ十六丈(46.48メートル)で十四階建てのビルと同じくらいの高さと言われている。さらに源為憲が作った『口遊』の中で、建物の項「雲太、和二、京三」とある。一番高い建物は出雲、二番目は、大和の東大寺、三番目は、京の大極殿」とある。東大寺の大仏殿は当時は高さ十二丈六尺(38.17メートル)あるいは十五丈(45.45メートル)で50メートル近くあったと思われる。
こんにちは^^コメントありがとうございますm(__)m
出雲大社権宮司千家国麿氏と典子女王とのご成婚ですね^^
昭和3年、秩父宮雍仁親王と松平勢津子さんとのご成婚も、松平勢津子さんが会津藩主、松平容保の六男、恒雄氏の長女で、なにも朝敵の娘をという批判があったみたいです。
ご結婚された時は天津神と国津神の
和解の象徴のような捉え方をする人もいたみたいですが;^^
いま、生きている人を通じて歴史を感じた時でした。
おはようございます^^コメントありがとうございますm(__)m
諏訪は権力から遠いポジションってイメージなのかもですね。諏訪氏は大祝の家柄で名門ではあるけれど、石高も低かったですし。封じ込めている人がいると、見張りもきびしくできるって意味かもですね。
江戸時代も吉良上野の息子が幽閉されてるし
山向こうになるけど高遠には絵島も。
もうちょっと南の大鹿村あたりも
後醍醐天皇の息子の墓があるらしいし・・・