竹取の翁とかぐやの大事なおはなし その10
- カテゴリ:勉強
- 2021/10/05 16:34:58
大国主命、事代主は出雲の国譲りで、朝廷側に殺害された。おそらくは神在月の頃。毎年、旧暦10月11日から17日に出雲では神在祭が執り行われる。期間中は「謹慎斎戒して、歌舞音曲を行なわず、宮廷を払わず、家宅を営まず、最も静粛にして過ごす」ことになっている。旧暦10月17日から万九千神社で、旧暦10月18日から佐太神社で、御忌祭という下忌の祭りが行なわれ、こちらは御忌祭と呼ばれている。
出雲大社は、祟りを恐れた貴族たちが建てた怨霊慰撫の建物だった。かぐや姫も同じく怨霊慰撫、鎮魂の話だと桑原崇は高田崇史「QED 竹取伝説」の中で語っている。
「竹は現代の印象とは違って、昔は『賤』の象徴として存在していたんです。つまり、『竹から生まれたかぐや姫』というのは、彼女が低い身分の中から生まれてきたということを表しているんです。その彼女が、貴族たち-特に藤原氏などの-求婚を断り、なおかつ彼らに辱めを与えたということは、逆に言えば、当時は現実的にはとてもそんなことができないような状況だったということです。つまりこの『竹取物語』というのは、貴族たちに弄ばれた、低い身分の女性たちのための、鎮魂の物語だったというわけなんです。それを、作者である紀氏―おそらく杉本苑子氏の説の通りに『紀貫之』だと思います-が、オブラートに包んで書き残したものが『竹取物語』なんです……。ということは、もちろんかぐや姫のモデルは存在していたでしょう。なぜならば-『竹取物語』の中でも騙られているよおうに-かぐや姫というのは、帝のために用意された『一夜妻』のことであり、ということは取りも直さず『織経る少女』でもあるわけです。つまり、全員が『怨霊』なんです。特に小野小町の例などは、日本史上、あらゆる場面にそれを見て取れますね。まあ、簡単なものを一つ挙げておけば-。お盆は怨霊の命日です。だから、その霊を慰めるために、我々は盆踊りなどを踊るわけですが、これは元々は、念仏踊りに『小町踊り』や『伊勢踊り』などの要素が加わったものといわれていますからね。江戸初期、京都などでは七夕の夜に、少女たちが着飾って町を練り歩き、または輪になって唄を歌いながら踊ったのが、小町踊りの始まりです。別名を『棚機踊り』とも呼ばれています」
こんばんは^^コメントありがとうございますm(__)m
「顔に降りかかる雨」は桐生夏生さんの作品ですね。
もう読み終わったころでしょうか?
読み始めましたけど
すごく面白い作品です。
女性主人公のたんていものは
すくないから、よみはじめると
とまらないです^^
こんにちは^^コメントありがとうございますm(__)m
実際のところ、お祭りのイベントとなって広報しているので、見ても何も起こらないでしょうけれど、百鬼夜行の行進だったりしたのかもですね。
かぐや姫が帰るともの悲しいのは、叶わなかったものが叶ってからでもありますね・
戸を閉めて見てはいけない祭祀だった記憶が。。
見たらどうなるんだ?((((;゚Д゚)))))))
かぐや姫の物語は、結局、生まれた月に帰るから
育ての親と別れはするけれど、そこまで悲しい話ではないのに
読むたびに、どこか物悲しい感じがします。