「鬼滅の刃」考察 その1
- カテゴリ:勉強
- 2021/11/30 22:43:23
『鬼滅の刃』第1話で、炭治郎は鬼に家族を惨殺される。炭治郎が山を下りて町で炭を売り、三郎爺さんの小屋で一晩泊まっての間に。母親と弟妹の5人が絶命しており、ネズコだけが生きていた。
ことわざに「朝蜘蛛は親の仇でも殺すな 夜蜘蛛は親でも殺せ」があり、一般には「朝の蜘蛛は縁起がよいから殺すな、夜の蜘蛛は縁起が悪いか殺せ」と理解されている。しかし、朝でも夜でも蜘蛛の顔が誰かに似てると判別できるだろうか。親の仇でも親でもというからには蜘蛛は人間を指していて、朝なら生かしておけ、夜なら殺せの意味ではなかったか。
日が暮れて逢魔が時よりあとの夜は、百鬼夜行の世界だった。鬼たちの時間帯にうろついていると鬼と見なして殺せ。夜蜘蛛を殺せとは、そういう意味だった。だから、江戸時代は夜になると木戸が閉まり、町を出歩くことはなかった。木戸が閉まる時間に間に合わず木戸番に開けてもらったときも、厳しく身元確認されて送り拍子木で合図を送ってからじゃないと中へ入れませんでした。治安維持のためですが、夜中に無断で歩き回るものは不審者であるとされたのは事実。
三郎爺さんは夜中に歩くものは鬼と見なされるから行くなと引き留めたのかもしれません。鬼狩り様が間違って炭治郎を斬ってしまうとまずいでしょうし。翌朝、炭治郎は家へ帰り、家族が惨殺されているのを見つけてしまうのですが、この場面では三郎爺さんを振り切って帰っていたとしても家族を助けることは不可能だったはず。判断が遅く、鬼を殺すことにためらいがあった炭治郎はもたもたしている間に命がなくなっていたでしょう。
三郎爺さんは「人喰い鬼が出る」と言って炭治郎を泊めるのですが、炭治郎の家族は殺されてはいても、原形を留めないほどには食べられてはいません。狭霧山へ向かう道中、お堂の中で人を襲っていた鬼も人を喰っている最中だったとしても、人は原形を留めています。もちろん、少年マンガなので残酷なシーンはできるだけ避けるだろうけれども、あのシーンでは鬼は戯れに人を殺したように見えます。野生の動物は獲物を狩りすぎたりはしないので、ネズコを含む6人を襲った鬼は、時間は充分にあったと思われるのに、ネズコを見逃し、また獲物である5人の遺体もそのまま残して去っています。
鬼は喰った人の数だけ強くなるとの記述があるから、ネズコだけ見逃すことは鬼にとっては損です。強さをネズコの分だけ諦め、そして炭治郎に鬼の正体が伝わることにつながってしまうのだから。
遊びで殺したとするなら、筋が通る説明があって、炭治郎たちが鬼と呼んでいるのは実は人間ではないか。古代日本では、殿上人だけが人であり、人についた民衆は虐げられながら生活していて、鬼たちは人の生活圏の外で貴族たちに取り上げられたものを取り返すべく闘っていました。炭治郎が住んでいたのは町の外で山の中。炭を焼いている。
「田の神は春に山から下りてきて田を見守り、秋には山に帰る」という田の神は、山で暮らしていた鬼であり河童であり天狗であり、里へ下りることで農作業を手伝い、秋になると里から山へ帰っていった。下りてくる時期は節分であり、追儺の行事でイワシの頭や大豆などのタンパク源を分けてもらい、秋の収穫時期には秋祭りで祝って帰っていったと思われる。
炭治郎が町で歓迎されていたのは田の神と同じ役割だったのだろうね。
こんばんは^^コメントありがとうございますm(__)m
家に出るクモは害虫を食べてくれるので益虫なのですが、8本足は異形なのですよね。
人は蛇が嫌いなタイプと、クモが嫌いなタイプがいて、蛇が出るところが和泉、クモが出るところが出雲という鬼のすみかに名付けられてました。日本書紀を読むとホントに悲惨な状態が書かれているので、大昔はホントに貴族以外は人間らしいことはまったくなかったんだと思います。
kiriさんの話がもっとみんなに伝わっていれば救われた命も多くあったかもしれません><
人(鬼)はいろいろな動物に譬えられていたのですね;
こんにちは^^コメントありがとうございますm(__)m
考察の全体のあらすじを組み立てたときは、小学生たちから聞いた物語とメディアでの「鬼滅の刃」映画評、アニメの第1話を観ただけでした。
日本の神話に出てくる動物は、人間を差していると思われます。因幡の白ウサギの兎は宇佐伎で宇佐神宮の遊女、ワニは王仁氏で豪族ではなかったかと。
あちこちで、キャラクターや名前を見たので
ネズコって変わった名前をつけてるなと思っていて
それにも触れられていたので成る程と思いました。^^
kiriさんの考察の3まで読んで
ストーリーを知らなくても面白く読ませていただいてます^^
こんにちは^^コメントありがとうございますm(__)m
ブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」に出てくるドラキュラは老紳士で、ルーマニアのヴラド3世から名前を借りているから貴族階級を日本に持ってきてというほうが鬼の存在は際だったかもですね。大正時代は華族制度があって貴族は存在してましたからね。
そのとおりで、鬼滅の刃より前に描かれた吾峠呼世晴短編集の中に
「過狩り狩り」というお話が鬼滅の刃の素になったお話です。
そこで作者は大正時代に和風のドラキュラを描いてみようと思って描いたそうです。
おはようございます^^コメントありがとうございますm(__)m
日本の民俗学にヨーロッパの吸血鬼の要素が入っている印象ですね。大正なので取り入れているのかも。
1巻から順番に書いているから、雲取山が三峯神社関係で修験道がっていうのは先の話です。順番通りはかなり難しい^^;;
炭治郎の家を襲ったのは無残で、陽の光を克服する鬼を
作るために血を分けてやった中で生き延びたのが、ねずこちゃんのみ
だったという設定だったかなー。「青いヒガンバナ」が炭治郎たちのいる山に
咲いていたというのもあった気がします。炭治郎の家が「まつろわぬ民」だったのは
その通りだと思う。ヒノカミ神楽もいにしえの習わしを彷彿とさせますし。
まあコミックの中ではヒノカミ神楽は「始まりの呼吸の剣士」の剣術の型なんですが(笑)