「鬼滅の刃」考察 その2
- カテゴリ:勉強
- 2021/12/01 15:53:01
炭治郎は息があったネズコを背負って町へと走る。炭治郎の家族は、炭治郎とネズコを残して第1話で全員死亡してしまうが、墨坂の家系であることを考えると象徴的な名前のふたりが生き残ったことになる。竹雄、茂、六太、花子そして母親よりもタタラの一族としてふさわしい名前が炭治郎とネズコなのだ。竈門で炭を作る意味の炭治郎と、タタラ製鉄の炉をずっと見て寝ずの番をする不寝見の意味からネズコ。産鉄の一族は、大昔から朝廷や藤原氏に領土を強引に奪い取られている。家族とも引き離されて、男性は奴隷のように働かされ、女性は棚機女として扱われた。あるいは鬼による家族の死は、時の権力に奪われたことを意味しているのかもしれない。
雪山を下りる途中で谷へ落ちたふたりは鬼殺隊の富岡義勇と闘い、ネズコの可能性を感じた富岡義勇は炭治郎に鱗滝左近次という育手を紹介する。炭治郎とネズコは家へ戻り、家族の亡骸を埋葬して、狭霧山へと出発する。
現在は「墓地、埋葬等に関する法律」よって埋葬や墓地の管理は決められているが、戦前の田舎では土葬が当たり前であり、墓は田んぼの近くに作っていた。もちろん、作物の栄養とするためであり、死は今よりもずっと身近なものだった。現在でも、一部条例で禁止されているところを除けば、許可を取れば土葬は可能である。
鱗滝左近次が住むのは狭霧山。狭霧は神の名前であり、大山祇神と鹿屋野比売神との子である天之狭霧神と国之狭霧神が有名。さは接頭語であり、「さ」の音は神のものという意味を持つ。「さおとめ」は神の乙女だった。神は人との戦いで敗れて、殺された王であり、勝者である「ひと」のために願いを叶え続けた。無理難題を要求されても神と神の民たちは逆らうことができないくらい、なにもかも奪われていたから、生きるためにはそうするしかなかった。
鱗滝左近次が天狗の面を被っていること、彼の弟子が狐の面を被っていることはともに象徴的で、天狗は山岳信仰の修験者を比定しており、狐は来つ寝という外からやって来て一緒に寝るという遊女であり密偵でありを生業とする人たちを指していた。天狗も遊女も戦国の世ではいわゆる忍者として戦国大名の情報戦を担当する。表だって評価されることはない、鬼としての生き方だ。
話を戻して、炭治郎とネズコは狭霧山へ向かう道中のお堂で親子連れらしい3人を襲っている鬼と遭う。鬼は頸への一撃もすぐに治ると言い、ネズコが頭を蹴り飛ばして胴体から引き剥がしても生きていた。予想ではあるが、鬼は頭が生きている限り復活するのではないか。手足は自分たちの手下であり、頭と手足には見えない糸があり、手足と繋がっている。頭は戦国大名であり、手足は部将であり領民であり、頸やいろんなところを糸という絆で繋いでいる。絆が切れなければ頭は何度でも復活する。
朝廷や貴族たちも鬼の一族が何度でも復活することは怖かっただろうからね。鬼側としても怖くて仕方が存在だよね。
おはようございます^^コメントありがとうございますm(__)m
私が子どもの頃は飼っていた犬や猫や小鳥などのペットが亡くなると庭に埋めるのが普通でした。21世紀になるにつれて、死がどんどん遠くなり、身近な人を近くに埋めるという風習はなくなってきているかもですね。
神が人を超越した存在というのは西洋キリスト教の考え方で、日本は神社が建てられた場所を考えても、山の上だったり、川の傍だったりと人が住まないところに追いやられています。その一帯は禁足地になっていて、ここから出たらだめだの意味です。(決して入ったらだめだの意味ではなく)女人禁制は女性蔑視ではなくて、本来は女性が入ると子孫ができるから、鬼の一族を男だけにすると滅ぶということで使われたのですが、今は正反対の意味になっていますね。
しかし田んぼの近くとは…そんなだったのですね…しかも作物の栄養(汗(汗)
理解は出来るものの,知る人がそこに埋められて…というのはなんだか気持ち的に複雑ですね;
それにしても神は人との戦いで敗れて殺された王というのは意外です.神は常に人より上の存在だと思っていました^^;
こんばんは^^コメントありがとうございますm(__)m
鬼殺隊のトップが、神様を数えるときの柱という名称で呼ばれるなど、鬼に関する民俗学をかなり勉強してらっしゃるのでしょうね。物語の構成自体は編集者との関わりで考えられたと思いますが、桃太郎の物語で日本人に刷り込まれた鬼=悪者という世界観をうまく使ってわかりやすい物語になっていますね。
もちろん編集者の方とも相談しながら話を作り上げていったのでしょうが、すごいなぁと思います。
そう言えば、鱗滝さんは発案当初、お面をかぶっていなかったらしいですが、編集者の助言によってお面をかぶることにしたそうです。
何かで(SNS?)発案当初の顔を見たことがあるのですが、すごく優しい顔立ちでした。
こんにちは^^コメントありがとうございますm(__)m
よほどの訓練を受けてないと、現代人は突発的なことにはフリーズしてしまいますよね。
家族全員が血まみれで倒れているなか、ネズコだけを背負って走るだけでも炭治郎はすごいと思うのですが、物語のなかの鬼との戦いは一般レベルでは対応できないものだってことがわかりますね。
私も朝日が当たるまで悩んでいると思います。
私も「判断が遅く」て、ある程度前もって予想されることだったら
手を打てるのですが突発的に起こる予想外のことにはフリーズ
してしまうものですから。私もきっと朝日が当たるまで
何もできずに立ち竦んじゃうだろうなあ・・・