生存報告
- カテゴリ:日記
- 2022/05/08 14:53:10
5月7日は、昨年、愛犬のミニチュアダックスりんごちゃんが余命宣告を受けた日です。
亡くなるまでの2ヶ月半のことは、今でも苦しい思い出となっています。
亡くなってからは毎日、もっと長生きさせられなかったことへの後悔と、謝罪と、出会えたことへの感謝を思っています。
深夜業務を終えて車で帰宅途中、ひとり車内で涙すること数え切れません。
正直なところ、私の母親や妹と家族でいることには絶望や失望が多いのですが、この家族の元に生まれてきたことでりんごちゃんと会えたのですから、そこだけは感謝しています。
生きていてもしょうがないな、早くりんごちゃんが迎えに来ないかなと考える日々です。しかし、あまりこういうことを考えていると、せっかくりんごちゃんが教えてくれた大切なことを見失いかねず、りんごちゃんも悲しむと思うので、なるべく思い悩まないよう、頑張って前向きに生きるようにしています。
もう一匹の同居犬くり子は、食欲の衰えがややあるものの元気です。フレイル防止に母に散歩に行ってもらっているので、私は動物病院にワクチンなどの用事で行くだけ。
りんごちゃんが亡くなってからは、かかりつけの動物病院に行くのも若干の恐怖が伴います。特にひどいことをされたわけではないのですが、なんとなく、医療者への不信感や、何もできなかった過去を思い出してつらいからかもしれません。
くり子のワクチンを受けに行った時、院長が「蒼雪さん、大丈夫ですか」と、さりげなくペットロスを案じてくれたことには感謝しています。昨年、りんごちゃんの訃報をはがきで伝えたきりの私の家に、お悔やみのメッセージと小さな白い紫陽花の花籠を届けてくれたことにもお礼を言えました。
ただまあ、この院長、業務としての話題ふりをするので、何回も同じ質問に同じ答えをしなきゃならない。例えば、「くり子の散歩は蒼雪さんが?」「いえ、母が」「くり子ちゃんは蒼雪さんのお父さんが保護されたんでしたか」「いえ、私です」とかです。行くたびにこれだから参ります。
こちらを覚えてもらってないというのは、無関心と一緒で、飼い主に本当の意味で寄り添ってないことなので、一人一人を覚えられないのならこういう質問はやめてほしいです。特に世間話はしたいと思っていないので。
T市の動物大学病院でも、医師の皆さんはあくまでマニュアルとして、「こういうふうに飼い主には話しかける、ペットにはちゃんをつける」などと教え込まれているのだと思います。
だから一見飼い主の味方にも思わせられるのだけど、言葉も心も優しくない医師もいるので、あまり全幅の信頼を置かないようにしたほうがいいです。
医師になるとそういうデリカシーを忘れてしまうのでしょうか。親身になってくれる看護師や助手の方がいると、いくらか救われます。
大学病院の先生方も、彼らなりに全力を尽くしてくれたことには感謝しますが、どうにもできず家で看取るしかないような時は、飼い主にはっきり言う勇気も必要ではないでしょうか。そして飼い主も、自分から「こうしたい」という意思を伝えなければなりません。
もし、また犬を飼うことがあれば…同じ過ちは繰り返したくないと思っています。
またしばらくはこちらにログインしないつもりです。りんごちゃんの思い出を書いたことで、それを振り返ることにもなり、自分のページを見るのも怖いからです。
訪問に来てくださる皆様におかれましては、不義理を貫くことになりますが、皆さんが元気な毎日を過ごせますよう、お祈りしております。