1682番:仏教日記(8)
- カテゴリ:日記
- 2022/08/26 04:54:11
仏教日記(8)アメブロ1546番からコピペ
   覚りを得れば、幸せな一生が暮らせるのでしょうか?それは
 前世の行ないによりますので、何とも言えません.
   サーリプッタと並んでブッダの教えを瞬時に理解した俊才・
 モッガラーナの場合、悟りを得ても尚、異教徒たちの謀略に会い
 杖木瓦礫を受け亡くなりました.サーリプッタが駆けつけたとき
 すでにモッガラーナは息絶え絶えでした.「どうしてなのです?
 君の神通力で、簡単に逃げることができたじゃないですか?」
 とサーリプッタが言うと、「いやいや、私は過去世の罪を、今生
 で消滅させたいのです.そう言って息を引き取りました.
 
 迫害はお釈迦様にでも及びます.崖の上から、弟子だったデーバ
 ダッタから大きな石を落とされ、すんでのところで、かわして難を
 逃れたのですが、そのとき足に怪我を負いました. 
 
  覚りを得ることは「苦」からの解脱なのですが、そして「幸福」
 を身に付けることなのですが、そう単純なものではない、という
 ことなのかも知れません.悪魔はブッダの成道後もブッダにつきま
 とったと言われています.
  成道後も気を抜かずがんばりましょう、ということのようです.
 こんなことを言えば、「じゃどうして仏教にはげむのさ?」
 と言われそうですが、どこの誰が、何に励んでも、来るものは
 来るし、出て行くものは出て行く.地球は回る.日は登り沈む.
あまり気にせず、やってください.
 
PS:覚りの境地を旅行に譬えると、地図上で目的地を見つけた、
    ということになるのではないでしょうか?
 
 「目的地は見つけたが、現在地は、発見前と同じ地点にいる.
   さあ、移動を始めよう.この先も尚、難所は続くかもしれ
   ないが…」   


 
		




























