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殺された障害児の逸失利益の算定について


難聴女児の逸失利益は85% 地裁 - Yahoo!ニュース

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6455296
2/27(月) 14:50配信 朝日新聞

交通事故や医療事故などで命を奪われた女性や子供の逸失利益について いつももやっとすることがある。

①そもそも 遺族に対する損害賠償という発想

 なぜ その人が生涯働いて稼いだであろう金額を見積もって、遺族への損害賠償とするのであろうか?

 命の値段って、稼ぎ(お金)におきかえられるものなの??

 たとえば、事故で肉体的に損傷を負った人に対しては、
十分に体を回復させるための治療費とか 働けなくなったことにより本来得られたであろうその後の人生における賃金分を「逸失利益」として賠償するのはわかる。

 しかし 死者の遺族に対して 逸失利益云々は・・

 たとえば死者の配偶者や死者の子供に対しては、世帯の収入減少=逸失利益なんだから、そこはきっちりと支払ってもらわなくては困る。

 しかし 死者の親にまで支払う必要があるのか?
という素朴な疑問。

②子供を亡くした親にとっては、子供の命は 手中の珠に等しい価値ある存在なのだから、逸失利益としてではなく
 「命を奪われた」ことに対する慰謝料として、一律に支払えばよいのではないかと思うのだ。
 
 その値を決めるならば、独身の子供の奪われた命の値は
その年齢に関係なく 両親に対して「生涯にわたる全労働者の平均賃金」の2分の1づつを支払えば良いと思う。
(親が 子供の死亡時 あるいは子供の死亡後離婚しているまたは離婚することも考慮して 最初から 父・母 双方に同額支払えばよい。 わが子を失った後離婚する夫婦は多いから。そして 子供を亡くした後の親の歩みというのは、父と母でかなり異なるのが一般的だから、世帯に題して慰謝料を支払うのではなく 父と母それぞれに支払えばよい
 この場合の父と母というのは 生母と実父をさす
 親権云々を絡めるとややこしいから)

③障害者や女性 こどもの命を安く見積もることへの異議申し立て

「人の命に軽重はない」というのが 今の日本の そして建物としては世界の常識である。
 これは 人のありようを規定する基本的理念であると言ってよい。

なのになぜ 人の命を奪った後で、奪われた命の値段を
「子供は安い 女も安い 障碍者も安い」と算定するのか?
不遜である

これは 命の値段を 勝手に 「稼ぎの大小=逸失利益」に置き換えるからである。

便宜上 妻帯者に対しては、「稼ぎ手」とみなして逸失利益の賠償をするのはわかる。

が しかし 独身者の命は 一律に同じ値段にすべきである。
 それこそが 法の下の平等であり、「人に貴賎貧富の別なく 命の重さは同じ」ということではないか?

・人の命を奪えば 遺族に対して慰謝料=詫び金を支払う

・家計の担い手を奪えば、遺族に対して逸失利益分を賠償する 

 この二本立てで 「家族を奪われた者」に対する奪った者の責任を考えればよいのではないかと思う

(3-1)
未成年・未就労の子供を失った親への賠償金・慰謝料に「生涯にわたって働いた場合の賃金分を 逸失利益として支払う」という考えほど、子を失った親の心を傷つける所業はない。

 しかも 今の世に置いて女の所得は低いからと決めつけて
女児の命を安く算定したり障害児の命を安く算定するのは
男女平等の理念にも反するし、障害者差別を助長する行為でもある。

①言葉は悪いは、健康で平均的な肉体・知能を持つ子を育てるのはたやすい
 今の日本では 子供に飯さ食わせて置けば 親が養育放棄しても子供は育つ。
(その子の感情とか将来を考慮しなければの話だが)

 その一方で ハンディのある子を育てるには、母親の人生(生活)を犠牲にして その子の教育・養育に全力を注がなくては その子は 文字を読むことはおろか 話し言葉さえ身につけられずに育つのが現実である。

 ハンディを持つ子が就学年齢まで生き延びられるかどうかは すべて母親の献身次第、そして生まれた時から信頼できる医療機関と連携する必要(当然親が医師の診察や専門家の助言を受けるために通院・付き添いが必要)がある。

 就学後も 遠方の支援校に通学させるために送迎したりetc
家庭でその子がすごしやすいように物心ともに準備すべきことは多い。

 健康な子供を育てるよりも はるかに多額の費用と保護者の心遣いが必要なのだ。

 その現実を無視して わが子の命を「障害児だから」という理由で安く算定されたら 保護者の無念いかばかりか!!

 だからこそ 子供の命は 逸失利益で査定するのではなく
奪われた命に対する慰謝料として平等に同額が支払われるべきだと考える。

「奪われた命」を賠償するという観点に立つと

 障害のある子の成長には 保護者と関係者の無償の奉仕と努力が必須なである。
 嫌な言い方をすれば 健康な子供よりも 障害のある子の命の方が多額の金と手間がかかっているのである
  だからこそ 「賠償金」ならば 障害児の親に対してこそ多く支払われて当然ということになる。

 逸失利益という仮定よりも 「その命を活かし続けるために支払われた諸経費」という現実の支出・労力に対する賠償の方が優先されるべきではないか?

 そして 「賠償」という観点を振りかざせば
不妊治療の果てに産み出された「命」については
自然受胎・分娩により生まれた「命」よりも、より多くの資金が使われている点から、「賠償額」はかなり膨れ上がるのではないか?

 こうしてめいめいが 賠償されるべき理由を述べだすと
人々の心がざわめき 社会全体に憤りや嫉妬や不満がうずまくことになるだろう

だからこそ 子を失った親に対して支払われるべきは
「逸失利益への賠償」ではなく、「手中の珠であるわが子の命を奪われたこと」に対する慰謝料・謝罪金として、どの子どもの命に対しても 同じ値段をつけるべきであると考える

・・・
疲れたので 「逸失利益」の算定における「差」のつけ方の非合理性・理不尽については 改めて述べることにする
  







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