Nicotto Town


しだれ桜❧


刻の流れー45

夏の昼下がり、三代目田中は一人執務室で電話を受けていた。
「・・・バーテンダーは始末できたようだがルポライターはまだなんだな?」
「とにかく、逃げ足の速いやつでして・・・しかし、網ははっておりますので・・・」
電話の相手が言う。
「言い訳はいい。結果で示せ!」
ガチャンと電話を切った三代目田中は渋面を作った。
「ねずみがちょろちょろしおって・・・」
田中が犬飼の名前を聞いたのは昨夜、夜半過ぎだった。倶楽部の周辺を嗅ぎ回っている情報屋の存在が先週発覚し、その黒幕を探る為に尾行を付けていた。幸い、一匹狼の単独行動と判断され、口を封じようとした矢先に、このルポライターが登場した。まずは情報屋、そして、ルポライターとひょっとすると何か知ってるかもしれないバーテンダーを消せば、一件落着のはずが、一匹網を掻い潜ったようだ。
倶楽部の存在は、決して表に出してはならない。そのためには不安の芽は問答無用で素早く刈ってしまうというのが田中のやり方だ。対処は常に迅速で、極秘裏でさえあれば手段を選ばない。倶楽部にはそれだけの組織力がある。街中で白昼堂々ガス爆発を起こさせるところなどは、相当訓練された部下がいることを彷彿とさせる。過去に幾度も首を突っ込む輩たちが現れたが、田中の決断は常に素早かった。秘密を守る為であれば、相手が誰であろうが容赦はしない。彼の下にはその為に編成した支店長直属の特別部隊がある。倶楽部のダーティーな部分を受け持つこの部署のメンバーは外人部隊経験者や、元自衛隊員が大半を占め、行動力も破壊力もある。人を殺すのに禁忌を感じない集団なのだ。

情報室の斎藤が倶楽部の報告書を手に田中の執務室に入ってきた時、田中は壁に掛けられた小ぶりの絵画を睨むように眺めていた。
「昨夜のレポートです。」
斎藤が報告書を机に置く。田中は片目でちらりと見ただけで、
「それはもういい!」
と、にべも無く突き返し、イライラした目を壁に飾られた絵に戻した。
その絵は印象派の作品で斎藤の知る限り、何十年もこの壁の同じ位置に掛けられていた。あまり趣味のよい装飾品のない田中の執務室で、この絵だけは『例外』だ。上司であったの石橋の影響で少しは芸術を解する斎藤は常にそう思っていた。
「すばらしい絵ですね。」
本心なのか、べんちゃらなのか、斎藤が言った。
「ふん・・・」
田中はそれを鼻で笑って椅子を斎藤に向ける。実の所、田中には絵画に対する興味は全くない。この男にとっては絵がそこにあっても、それは壁の一部のようなものなのだ

「どいつも、こいつも、用を得んやつらばかりだ。」
と、苦々しくつぶやいた。
「ルポライターの件ですか?」
情報室は田中直属の部署で、エリート集団であり倶楽部のブレインでもある。その一員である斎藤も情報屋に端を発した一連の事件を承知していた。現在ルポライターを追っている部隊を直接指揮しているのは情報室の室長である。つまり、この一件は支配人田中にとっての、否、倶楽部にとっての最優先事項といえた。
田中は視線を斎藤に戻したが、斎藤の問いを無視するように
「神戸はまだ何も言って来ないのか?」
と聞いた。斎藤は一瞬3代目から目をそらし、言葉を選ぶようにしばらく口を結んでいたが、
「ここしばらく代議士の来店が無いと言うことです。」
と、答えた。
田中は納得できないいら付いた視線を斎藤に投げたが、今はそれどころではない。
「そうか、・・・。で、今日の客のリストは?」
もう店に出る時間だ。田中は身繕いをしながら椅子から立ち上がった。ルポライターの件は気になるが、そればかりに構っているわけにはいかない。斎藤の返事を聞きながら田中は紐育倶楽部支配人、三代目田中一郎の穏やかな顔を取り戻していった。





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