Nicotto Town


ぴのぴののなんでも日記


『どうする家康』姉川でどうする?鑑賞録です。 



    
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 記憶の薄れないうちに、まずは家康記録を書いて寝まーす。
 いよいよ「ラストマン」が始まって、頭の整理できないままの二連発の日曜日の夜になってきたあ。ラストマンは録画を水曜日に回すか??
 
 では「姉川でどうする?」考察です。
・冒頭、かまされたのが、期待の「金ヶ崎の退き口」が省略だと――っーー!!先週ラストにあれだけ引っ張って、殿の名シーンの消滅っありかい??コストをこんなとこで切るか。
・サルのアピールは予想通りだが、金平糖の段取りは光秀か?去り際の一瞬の表情に、将来の伏線と見たが・・。
・さてメインの姉川の戦い。CG班の頑張り、行軍の蛇曲での多く見せ方、超遠方の兵の軍旗まで小さく揺らせるCG。しかし格闘シーンは限られた画面両幅の範囲のエキストラでのシーンの切り貼りで万単位の合戦にしていたなあ。
・今回も朝倉は顔も出なかった。このまま退場かあ。
・最終の家康決断シーンは「どうする?」にもう慣れてきてるが、石川数正、酒井忠次の芝居は凄い。松潤の「間」は取り過ぎ。
・それにしても「城」が出来るのが早いこと。その裏には農民の重労働があるんだろうな。
・武田信玄の「金の粒」の伏線は解けなかったあ。まさか浜松支援ではないので、財力で何かを封鎖する??
・ラストシーンの井伊直政は予告編見るまで全くわからず。女優だれだっけと思ってた。これは武田の刺客?親の仇?

 うーむ。まだ、浅井・朝倉は生きてるよな。お市奪還はドラマチックだったっけ・・。
 これ宿題だ。 
 
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2023/04/27 21:58
ユーミさん
 この大長文、何時間かかってらっしゃるのでしょう。大感謝です。
 合戦ファンには肩透かしをくった金ヶ崎でしたが、まだまだ先はあるので、我慢ですね。
 しかし、日本ハムファイターズの新球場で満員で3万名。はるかかなたの反対側の観客の顔は見えず、これが平原、山野に散って命がけで戦うことを考えると、ワクワクするやら、怖いやらですねえ。
 演出上、雰囲気としてよっぽど家康の方が恨み、ストレスが蓄積し、「本能寺」を起こしそうに持って行って、従属一辺倒の光秀の意外性を際立たせるようにするのでしょうね。
 このあいだのBSでの井伊直政の評価はものすごく高く、登場を楽しみにしていましたが、まさか女形とは思いませんでした。幕末の井伊家につながる名門の神将にどうもっていくか、見ものです。
 望月千代女って架空キャラだと思ってました。ちゃんと名のある有名人なんですね。きっとあの量の金の価値は凄そうだし、それでなにをしでかすかも興味ある伏線です。
 五徳姫と築山殿が強調されるほど、この先の悲劇の引き立てしてるのも余計に気にしてます。
 次回はGWどまんなかですが、ちゃんと復習しまーす。
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2023/04/27 17:32
武田信玄の「金の粒」は甲州金ですね。武田の財力の源と言っても良いと思いますが、当時はそろそろ枯渇し始めていた筈なんですけどね。
それはそれとして、信玄が望月千代女に渡していた金は、千代女に遠江を混乱させる為の軍資金でしょう。
徳川が遠江を完全にまとめ切れていないうちに混乱の種子を撒いて、いずれ信玄が遠江を侵攻する際の足掛かりを作っておけ、という意味ではないかと受け止めました。

井伊直正のシーンは、意味不明です。
次回を見ないと、ちょっと分からないですね。
とりあえず、家康は親の仇にはならないです。
祖父は桶狭間で死んでますし、父を殺したのは今川の筈。母は健在ですしね。

公式サイトの次回予告を見ると、遠江の民は徳川を恨んでいる、と直正(虎松となってました。調べたら直正の幼名ですね)が詰ってますが…
脚本家の解釈なんでしょうが…遠江って元々斯波氏の領土だったのを今川が奪ったものなんですよね。
それを今度は徳川が奪った訳ですが、領民にとっては斯波だろうが今川だろうが徳川だろうが関係ないと思っていたのでは。
「どうする家康」はどうにも腑に落ちない脚本が多くて今一つ入り込めないですね。

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2023/04/27 16:48
ドラマでは、信長の命令で本拠を岡崎から浜松(曳馬)に移しましたが、これは概ね史実。
ドラマの様に高圧的に命じたわけではないと思いますが、この浜松への移転の頃から家康と信長の関係は対等から従属へと変化したと見て良いとのことです。

武田信玄に備える為、最初は律令制の下で遠江の国府がおかれていた見付にかなりの規模の城を築きましたが、見付は天竜川の東(現在の磐田市)に在りました。それが信長がNGを突き付けた要因と思われます。
信玄が攻めて来た場合、見付では援軍を送るにも「暴れ天竜」の異名を持つ天竜川を越えなければなりません。万が一雨が降ったら、河を越えられない可能性が出てきます。(「鎌倉殿~」で頼朝挙兵時に三浦氏がすぐに合流できなかったのも雨で増水した河を渡れなかったからでしたよね)
渡れたら渡れたで、河を背後に陣を布く事になります。背水の陣ですね。通常は避けます。

その点、浜松であれば川の西側なので援軍を送るのに大きな障害はなく、また浜名湖の水運を利用出来て有利です。

このように信長が浜松を推したのには合理的な理由があるんですね。

また、ドラマの様に戦いの真っ最中に移れと命じたわけでもない筈。
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2023/04/27 15:49
おかげで信長は無事京に逃げ延びる事が出来たわけですが、その際の供回りは十人程度だったとか。
ただこれは、道中が過酷だったというよりは撤退を急ぐ信長が側近以外をおいてけぼりにしただけでは? と個人的には思っています。
信長公記でも整然と撤退して被害は最小限とありますし。

信長と家康は京で合流し会食をとって、それぞれ岐阜と岡崎に帰還しています。
会食しながら浅井討伐に関して話し合ったかもしれませんね。

さて、姉川の戦いですがこれのも諸説あります。
戦死者も2200人~9000人と幅が広く、どの説が正しいのか分かりかねます。
一次資料の信長が将軍側近の細川藤孝に送った書状によれば、朝倉軍15000,浅井軍5~6000に対して織田軍から攻撃を仕掛けて之を大々的に打ち破った、要するに大勝利した、とあります。
ただし信長と言う人は、物事を大袈裟に自分に有利な様に盛っていたそうなので、書面通りに受け取るのはどうか、と思われます。
実際信長公記には、大勝利どころか信長が浅井軍の奇襲を受けてかなりヤバい状況に陥った、と読み解ける記述もあります。浅井・朝倉の兵数も違っていて、朝倉が8000程、浅井が5000程で信長の書状の記述より少ないです。
奇襲説が正しければ、信長は桶狭間で自分がやった事をやり返されるところだった、とも考えられます。
批判も多いらしい奇襲説ですが、個人的にはこれを推したいですね。

ドラマでは浅井殿が好きだから味方したい、とお前は乙女か、と突っ込みたくなった家康ですが、実際はかなり好戦的です。
信長の書状にも、家康と信長の馬廻り衆(信長の親衛隊)が、どちらが先陣を切るかという事で言い争いになり、結局家康に先陣を任せることになった、と書かれています。
後年の狸親父のイメージが強い家康ですが、この頃はまだ20代ということで血気盛んだったのでしょうね。

姉川古戦場には血原や血川という地名が残っていますので、正面衝突にしろ奇襲にしろ姉川の戦いが熾烈極まりないものだった事は確かでしょう。
ですが、織田方大勝利はまずありえません。痛み分けというのが良い所だと思います。
この戦いで、浅井・朝倉方に重臣の戦死者は殆どいない筈で、両軍共に余力を十分残して撤退しています。
ただこの後、小谷城の重要な支城である横山城を落とされ奪われたのが、後の小谷城落城に繋がったのは確か。

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2023/04/27 14:50
こんにちは^^

なんやかや、で済まされてしまった「金ヶ崎の戦い」ですが、信頼するべき一次資料が無い為に描写のしようが無いとも言えます。
過去の大河ドラマ(麒麟が来るはその一例)では相当に熾烈な撤退戦として描写されていましたが、これは「太閤記」を元にしたものと思われます。
太閤記は幾つかありますが、最も史料価値が高いものは小瀬甫庵が記した甫庵太閤記です。しかしそれすらも歴史学者からは史料価値が甚だ低いと評価されていますので、撤退戦の記述にどの程度の信憑性があるのか疑問。

近年の研究では、金ヶ崎城ではなく若狭の国吉城に退いていたらしいんですね。
国吉城は越前からの侵攻を何度も食い止めた難攻不落の堅城なので、ここに籠られると手強い、という事で浅井・朝倉の追撃は無かった可能性すらあるらしいです。その場合は熾烈な撤退どころか、無傷で撤退出来ますね。

ちなみに徳川軍は、ドラマでは京から数百騎程度で同行してきて金ヶ崎で織田軍と一緒にいましたが、実際は上洛していないので岡崎から大軍を率いて金ヶ崎でいったん織田軍と合流。そこから先陣として越前に進軍しています。
木の芽峠に差し掛かった頃に浅井離反の知らせが入って織田軍が撤退。徳川軍も木の芽峠から撤退を始めますが、何しろ一番先行していたのが撤退になったので殿にならざるをえない状況だった様です。

この様にハッキリしない金ヶ崎の戦いですが現地には、壊滅状態に陥っていた秀吉軍が徳川軍によって救われた、という伝承が伝わっているそうです。
「鎌倉殿~」の八重姫伝承と同様に、確固とした根拠のある伝承とは言い難いですが、そのような伝承が残っているのは面白いですね。

ドラマでは全く描かれなかった信長撤退の方は、浅井が押さえているだろう琵琶湖湖岸ルートは避けて、朽木谷を通るルートで京に撤退して行きました。
朽木谷を治める朽木元網はマイナーな武将なんですが、一部にはコアなファンがいる武将です。
その朽木は浅井に従属する国人領主なので、最初は信長を討とうと意図していたのですが、朽木は代々幕府の奉公衆でもあり、京を追われた足利将軍を受け入れてきた(足利義晴や義輝は何度も朽木の世話になった筈)家ですので、信長に同行していた松永久秀(ドラマでは影も形も出ませんでした)の説得を受けて信長に助力する事にしました。


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2023/04/25 20:32
最後の浜松のうな重しか頭に残ってない(*_ _)
歴史苦手だけど 来週も見るよ




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