Nicotto Town


ぴのぴののなんでも日記


『どうする家康 逆襲の三成』


♡・・*・・♡・・*・・♡・・*・・♡・・*・・♡・・*・・♡・・*・・♡・・*・・♡
 音尾琢真さんの壮絶な最期覚悟で見始めた今回、ラスト
まで息が抜けない緊迫回でした。きつね、たぬき、妖怪、
忠義者の混じり合いで、史実と虚実がめちゃくちゃになっ
しまいましたあーーっ。ググって自習する前に、記録を
残します。

 では、「逆襲の三成」の考察を開始します。

  • ・大野治長が「おおのしゅり」って何度も呼ばれてたが、
  • しゅりf修理。朝廷からの正式官職なの?しゅり、しゅりっ
  • て、なんか、かっこ悪。
  • ・先週、前田利長の名前があえて出てた伏線がこれだった
  • のか。しかし、最後にしゅりが強烈な表情の裏読みは、後
  • の活躍の伏線??
  • ・さて大谷吉継の動きはどこまでが史実?確か、茶碗の
  • 逸話は千利休の茶会。最初は三成指示ではなかったが、
  • その逸話が決め手で、急遽参戦、御輿に乗って、壮絶な
  • 最期!のはずだったのでは・・・。
  • ・さて、わき道ですが、三浦按針と『大奥2』の蘭学者が
  • 同一の外人役者って、ちょっとなめてんじゃないのかあー
  • 、NHK。お金有り余ってんのにわけわかんない。
  • ・もうひとつ、徳川軍団登場シーン、バックがふすまのマ
  • ス目横線で「身長」がはっきりわかるなか、井伊直政入場
  • は絶対に演出ミス。板垣くんかわいそ過ぎ。また現実、
  • あのヒゲの形は現代の技術でもむずかしい。
  • ・最近数回での疑問で、三成のすぐ傍で、常に取り次ぎ、
  • ささやき、報告してる、あの髭武将は誰なんだ??
  • ・先週くらいから、秀康、秀忠に「家康の次男」「家康の
  • 三男」とあえて強調して出してくるのはなぜ?これは、
  • このあとの後継問題?の伏線で順番を明確にしてるのか。
  • ・もうひとつ、わき道。北川景子の首まわりがタプタプし
  • てしまったまま映ってしまっていたあー。
  • ・さて、ラストの茶々の短文手紙の解釈。
  • 史実上は無し?今回の大河では、西軍の仕掛けも茶々、東
  • 軍への短文は見破られてはいるが、あおりの手紙。東軍と
  • 西軍をぶっつけて、消耗させ、別策にて豊臣復権案があっ
  • た。との新解釈が出るのか!!!それ、すごいかもーっ。
  • ・ラストの探訪部分で、按針は漂流が「2年」と聞こえた
  • のは幻聴??2年はどう考えたって無理っしょや。補給、
  • 寄港しながら、何やってたんだ??

 いよいよ次回、千代とともにどう散るか、真田も出て来
るし、小早川をどうこずくか、秀忠遅延、大谷吉継の散り
方、等々、見どころ満載だあーーーーーっ。
                   かな?
♡・・*・・♡・・*・・♡・・*・・♡・・*・・♡・・*・・♡・・*・・♡・・*・・♡

アバター
2023/11/05 15:58
新説が定説になるかどうかはまだ分かりません。
しかし、関ケ原の頃の新たな資料が毎年の様に発見され従来説の一つが否定されたりしているのは事実ですので、もしかしたら今後、三成は心ならずも家康と敵対せざるを得なくなった悲劇の人、となる可能性もなくはないかもしれません。

五奉行を退いた後の三成は家康に対して協力的であったらしいですし、個人的には新説を支持したいところです。

三成挙兵後、家康に届いた淀殿からの手紙は事実です。
ドラマでは家康・三成双方を引っ掻き回す女狐の浅知恵的な感じになっていましたが、実際は事態が色々急変して何が何だか分からない、助けて~、という状況を把握しきれずオロオロしている感じだったらしいです。

ウィリアム・アダムズが乗船していた船(リーフデ号)が漂流2年というのは正確ではありません。
母港であるオランダ・ロッテルダムから出航してから2年とするのが正しいです。
出航時は5隻の船団でしたが、アメリカ廻り航路だった為に2隻はスペインに拿捕され、はぐれた一隻(ヘローフ号)はオランダに帰還。
旗艦ホーペ号とリーフデ号の2隻が日本を目指すものの、太平洋横断中飢餓や壊血病に苦しめられた上に悪天候でホーペ号が沈没、リーフデ号のみが漂流の結果九州の黒島に漂着。
出航時110人だった乗員は漂着時には24人まで減っており、更にその後10人が死亡した為最終的な生存者は14人です。
ウィリアム・アダムズは弟のトマスと共にリーフデ号に乗っていましたが、トマスは現在のチリで原住民の襲撃を受け戦死しています。
水・食料の補給の為に寄港した際に襲撃を受ける事は珍しくなかった模様。
アバター
2023/11/05 15:15
ドラマでは三人で読まれていた、長い直江状。
家康を激怒させ上杉征伐を決断させたと言う曰く付きの手紙ですが、偽書疑惑があります。
全文偽書説、偽書ではないものの後世に改竄された説、真書説(追而書(追って書き)部分は後世の偽作)があり、現在でも結論は出ていません。
というか、真書だと主張している人でさえ追而書(現在の追伸に相当する別書)は偽作だろう、と言ってるんですよね。
その追而書が家康を激怒させた煽りの部分らしいのですが。

直江状を書かせた上杉景勝ですが、秀吉の御掟を破って福島などの大名との婚姻を行った家康を非難していましたが、彼が行った街道整備、橋梁修理はともかく新城である神指城の築城や浪人を集めたりした事も(既にある支城の整備はグレーゾーン?)、御掟に違反する行為です。御掟を盾にとって家康を批判するのは、ダブルスタンダードそのものですね。

個人的には、景勝をあまり高く評価しておりません。
叔父である謙信の時代は、寡兵で織田の大軍を破って退けていた上杉軍ですが、景勝時代になると柴田勝家に追い込まれていて実は風前の灯でした。
謙信が神懸かり的に強かったと考えても、景勝の能力は低くはないにしても高くもなかったのでは、と思わざるを得ません。
謙信の後継争いである御館の乱でライバル景虎に勝てたのは、直江兼続ら上杉譜代の家臣の支持があったからで、その支持も景勝が謙信の実の甥というのが大きいのではないかなぁ、と思ったりします。
景虎は長年の宿敵だった北条からの養子でしたので、そのあたりが弱かったのかも。
謙信自身は景虎を可愛がっていて将来を期待していた、とも言いますし。

さて、ドラマでは三成が主体になって挙兵していました(その裏には淀殿の影が、という演出で)
上杉が直江状で家康を煽って上杉征伐に出る様に仕向け、その背後で三成らが挙兵する、というのが従来の説。
ですが、三成が真田昌幸に上杉との仲介を依頼する書状が発見され、上杉と連携した上での挙兵だという説は否定される様になりました。
更に、そもそも首謀者は三成ではなく毛利輝元であり、三成は引き摺り込まれただけ、という新たな説も出てきています。しかも、輝元の意を受けて三成を引き込んだのが大谷刑部だというので、ドラマとは真逆になります。
大谷刑部が飲んだ後の茶を三成が躊躇わずに飲んだ、という逸話も後世の作り話ですし。
アバター
2023/11/05 14:24
こんにちは^^

今回も色々な事件が起きたので、系統だって解説が非常にし辛いです。
家康暗殺未遂事件、加賀征伐(セリフだけでサラッと終わってましたが)、直江状、上杉征伐、三成挙兵。
ここにウィリアム・アダムズまで組み込んでくるとは・・・
というか、アダムズは出るのにヤン・ヨーステンはスルーなんですね。
八重洲の名前の元になったひとなのに。八重洲に胸像もあるのに。

家康暗殺未遂事件ですが、一次資料が全く無く実際に起こった事件なのか信憑性に難ありという意見もあります
重用の節句の賀に大坂城に伺候した家康を襲うという計画は杜撰ですぐに漏れてしまい、増田長盛や長束家正らによって家康に密告され、当日家康は厳重な警備の下で伺候した為、実行役の大野治長と土方雄久は手を出せずに暗殺は未遂で終わった、とされていますが…

何と言いますか、お粗末なんですよね。

家康と本多正信が、前田家を押さえつける為に仕組んだ謀略だ、という説もありますが、こちらもまた資料がありません。
ありえなくもない、と思ってしまうのは両者の胡散臭いイメージの所為。

大野治長が修理と呼ばれていたのは、彼が従五位下修理大夫という官位を得ていたからです。
修理、修理亮(しゅりのすけ)が通称でした。
修理大夫は令外官の一つで、本来は内裏の造営・修理に関わる役職でした。
この時代は既に本来の役職など関係なく貰ったり自称したりしてましたけど。

家康暗殺未遂事件に関わった者達は、本来なら斬首か切腹が相当の筈なんですが追放と言う生温い処分で済んでいます(前田家の場合は征伐が計画されたものの、芳春院(利家室のまつ)を人質として江戸に送って恭順をしめしたので征伐中止)。
この追放処分も、翌年には赦免。
寛大すぎる処分の為、却って裏を疑ってしまう、というのはありますね。

処分された四人は、関ケ原の戦いでは全員が東軍として参戦しています。
大野修理のみは大坂方として最期を遂げますが、他の三人は徳川方について天寿を全うしております。
大野修理は淀殿の乳母の息子で、淀殿とは近い関係なので大坂方につくのは納得できる事ではありますね。





Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.