Nicotto Town


✿古山詩織✿さんの日記


歳老いて実家暮らし~ずっと実家のまま編1~





さて、歳老いて実家暮らし。

の本日は~ずっと実家のまま編1~ですね。



昨日のブログには、私が結婚・出産をしなかった場合の

自分の実家暮らしをお伝えしましたが、

本日は、以前から積もった話が多い実家を出て結婚した編

のお話です。


私は、一度は入籍をして結婚して子供を産みましたが

結果、様々な事情から離婚する事になりましたが、

一部では、「おんぶに抱っこ好き」で実家に出戻ったのでは

ないか・・・と思われているのかも知れませんが、

ハッキリ言います。

それはありません!断固として!

離婚する事が決まった時に、私は早々に実家暮らしでは

無く賃貸物件を見つけて、当然の事ながら自立する事を望ん

でいたので不動産屋さんに手付金の話を出す途中で

(勿論、手付金は私が支払うのですけど)


母親に・・・

「これでは、私がやっちゃいられません。あなたも周も

これだけしょちゅう高熱を出しているのでは手伝いに行く方

が大変だし、これではあなたの所に行くタクシー代だけでも

掛かるし、結果2世帯分のお金が掛かるから経費が、

余りにも勿体ないだけじゃない。同居にしてよ!」

と言われ、当時、我々は私が39℃の熱を出してやっと

解熱すると今度は周が39~40℃近い熱を出すという繰り返し

を年中やっていたので、あの頃は、私達親子は、どれだけ

発熱ばかりしていたかわかりません。

それで、結局、そこからず~と実家暮らしになった訳ですね

ウチの事に詳しく無い人達はわからない事も多そうですが、

「離婚して子供連れて出戻って一戸建ての実家暮らしねぇ

優雅な生活な訳?」

と思われた方もいそうだけど、ウチ実家はそんなに甘い家では

ありません。

さて出戻りの私達を引き受けた代償として

〇今後は、詩織及び周の話の決定権は、すべて実家の伯母、

母親の順に付き合わせる事。

〇子供の学校関係の費用等も出資してあげる代わりに進学

希望校及びPTA関係の付き合いは、すべて詩織が付き添い

帰宅後PTA関係の出席した時の話しは報告をする事。

周の進学希望校は実家が決定します。(合否は関係無く)

〇(1988年当時の時代背景として)基本的に、周が20歳に

なるまでは正社員の仕事は特別な事態が起こらない限り、詩織

には差し控えて欲しい。常に子育てを中心として家庭に落ち

着きながら実家の伯母・母親のお手伝いをして時にあまり負担

にならない程度のアルバイトは場合によっては考慮する。

〇家から外出する時は、どのような要件でも近所のコンビニ等

から外出届けは出す事。


という現在の御時世では、有り得ない事項ばかりで

日本は真面目に変わった・・・ホントに変わったんです。

それで、ここまで付き合って来たんだけど苦しかった。

独立する事に、どれだけ憧れていたかわかりませんが、

独立したい時に、酷い発熱の繰り返しに親子で襲われていた

ので結果、実家に出戻る事となりました。

当然の事ながら、女子校だった私の場合クラスメート達は

「あの子の人生と私の人生は違う。」

これは良しに付け悪しきにつけ必ず付きまとう物で女子校の

定番なのでしょう。

まぁ、望む事は無い離婚を経て、同じように❀古山詩織❀より

裕福な生活の人あり、裕福では無い生活の人もありでしょうが

病んだ話はしたくないけど、私は決して影からクラスメートに

嫌がらせや意地悪はしませんでしたけど私は(当時として)

「ウチは、子供の頃から受験の話に出られる事は無いし、

まず私は実家に戻れないし、生活費等節約しているし、

ウチの〇〇とは違う。」と悪気は無いかも知れませんが

言われ、*ウチの〇〇とは、クラスメートの子供の名前です。

しかし、私は私で定職も無く実家で、こずかいも無く子供が

20歳になるまで正社員も特に決まったパートがある訳でも

無い訳ですから、家庭訪問をしてくれたクラスメートに

家庭料理と、ちょっとした気持ちだけですがお子さんに

新品のお洋服などプレゼントして

「お互いに色々大変だけど頑張ろうね。」

と言って、そこで励まし合いながらお別れして置きましたが

一時、毎年年賀状が送られて来ていましたが、真面目に私は

「私より、彼女の方が大変な話で無い所に出られますように。

これではお母さんになってから苦労だろうしなぁ・・・」

と常に思っていましたが、(自分で言うのもどうかと思うけど

私も相当いい人。)

彼女の方は新築クラスの2LDKのマンションに場所を取れた

ようで記念の年賀状の写真を送ってくれて、更にウチは

もう二度と経験したくも無い、幼児期からの「お受験」

で大騒ぎしている時に、ハワイの豪華なお土産センターには

出入り出来なくても、何だか日本の関東地域の汚そうな海で

は水浴びせずに、一日中、お子さんとハワイの海岸で遊んで

いるだけだけど・・・と言っていましたけど、私は迷う事無く

そっちの方がずっと幸せ!そう思って見ていましたが、

ウチはお受験の方角で「何が楽しんだか・・・幼児の受験」

という感じでしたが、こっちはこっち。そっちはそっちで

僻む事もなく生活しましたが、本当は、そーいうクラスメート

の生活に出て行きたくても行けない私。

その代わりに、このキツイ実家暮らしでしたが自分で選んだ

人生だから仕方ないと・・・(*_ _)

それで、人のせいばかりにして、僻んでも出来た話に出れる

訳ではないし・・・

八方ふさがりは同じです。

それで、子育てに追われる日々の中、外国人では決して

ありませんが、「一連の一流のフランス生活」に思う事無く

惹かれ、いつか行ってみたい。

世界中の子供から高齢者まで憧れのフランス。

が出来上がってしまい、すべてのフランス文化に恋をしながら

生きて、あんまりフランス人の男子は好きじゃないけど、

全ての話が好きで、後に気が付いたら、命を落とす以外は

私だけでは無く女性はフランス好きで子育ての休憩時間

には私もフランスだけじゃーないけど映画館に行っては、

「フランスに行ったタイムトラベル」になって、そんなこんな

で結局、日本であまりに地震が頻発したのでマズイ!

今のうち真剣にパリに行っておかないと・・・間に合わない

プチパリにも居ないという私は、あんなに花屋の話に全力を

尽くしたのに・・・(*_ _)

それで慌ててお買い得にもならないツアーで

「世にも怖い。白百合フランスツアー」となって日本出発

したのは❀古山詩織❀御年50代という凄い年収でした。

20代から憧れていたパリにやっと50代で到着。

それも、たった1週間だけ・・・

返せよ!私の話し。何が交換だよ!

一応、言って置くから・・・北フランスも思う存分観て居ない

し、南フランスは必ずこれから行くし、それ以外も行く場所

は多いし、最大3ケ月は現地で地図とパンフレット片手に

出かけないと、なんの為に20代から苦労して来たか・・・



それで、ウチは一連の騒動に(イギリスの話しから)

巻き込まれて、皆様!資産家になって如何ですか?

私の責任ではありませんよ。

(御不満な話が出ても・・・何でも私にブツけていれば

出来る!なんてありません!)



さて本日のブログに追って

明日は「歳老いて実家暮らし。~ずっと実家のまま編2~」に

続きます。
















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