Nicotto Town



マッチングの神様S2 後半の感想の続き

ヒツジ・自然:キラキラ   三寒四温、春の始まり

もらったステキコーデ♪:19

(二つ前の日記の「マッチングの神様S2 29・30話 32-36話」の続きです。)


・ジョシュ&キャシー組は 最終回に至るまでに離脱していた。

なので 最後の誓約式=永遠の誓いに臨んだ4組目が、
マイケル&ステイシー。

17話の私の予想に反して、マイケルは ステイシーの心を射止めるべく頑張ったらしい。
 酒の出るパーティへの参加を自粛したり いろいろと。

最後の誓約式では、めっちゃ いい男(全身全霊でステイシーに惚れてます)感を漂わせて 愛を誓っていました。

 なんか 素直な若者のような表情で びっくりした。

途中経過を飛ばしてこのシーンを見た私は、まるで別人のようなカップルのこのお二人に \(◎o◎)/!。
まるでキツネに化かされたよう。
 でも ラブラブ ハッピーならいいんじゃない
と思ったのですが・・

・なんとまあ、番組終了後に開かれた2回の同窓会で爆弾が投下されました。

曰く、マイケル&ヘイリーのキス騒ぎのあと、失意のステイシーとイヴァン・アレクシス・マイキーの四人で酒をのみ
その後 マイキーとステイシーは酔っぱらって一夜を共にし、
マイキーはパンツ1枚で目覚めてあわてて 部屋を飛び出したらしい。

で、そのことを知ったナターシャは 第3回の誓約式で思いっきりマイキーを責めてやろうと思ったのに、第3回誓約式では マイキーから友情エンドに持ち込まれたので、ものすごく腹がたったから 復讐のために このことを同窓会で暴露して マイキーをなじってやるとマイキーに リアルで連絡した。
なので マイキーは 自分からこのことを全体会で発表することに決めた とのこと。

それをまあ ヘイリーの伴奏つきで マイキーが紛らわしくもマイケルへの謝罪という形で発表

ほかの参加者は 「裁判だ~」といきりたって、ステイシーに白状せよと迫る。
 それをがんとしてはねつけるステイシー
(どうも 彼女は マイケルの出方を見て 自分の態度を決めるつもりだったように感じる)

一方のマイケルは 状況への対応を考えあぐねていた。
 最後は マイキーを「10秒野郎」と嘲って逃げを打つ
 やり玉に挙げられるステイシー
 ステイシーは 沈黙でかわす

うやむやのうちに会は終わる
 ジョンの阿呆(笑)

「実験」と称するなら グループワークの基本
・実験中の出来事は 実験の中で話し合う

 セッション以外の場で 打ち合わせをしない

・真偽不明の話を持ち出して メンバーを攻撃しない

・実験の本来の課題(カップルとして 二人の仲を進展させる)ことに集中する

の3点から外れる行為を 厳しくたしなめるのが、進行役のジョンの責任なのに それを一切していない。

 番組の視聴率稼ぎなら、参加者たちのマウントの取り合いが
一つの見せ場なんだろうけど、
S1は それで ぐっちゃぐちゃの展開でしたが、一応それはペア相互の対抗戦の様相でした。

ところが S2では、ペア対抗戦ではなく、最初からマイケルのように 個人的に ほかの男達への対抗心・マウント合戦に意欲満々の男がいて、そこに 番組序盤でペア相手から見切りをつけられたヘイリーが、カップルつぶしのための謀略を次々としかけ・・
 ペア対抗戦ではなく、ただの 乱戦模様に。

このあたり 番組参加者への事前教育が不足していたのでは?

S1では 一応 パートナーの社交性により対外的に不具合が生じた時に、相方にいかに対処するかという課題に沿ってペア対抗戦をやる予定だったようですが、実際の進行は・・参加者の個性が強すぎて ぐちゃぐちゃでした。

ところが S2では 最初から、マイケルの言動に切れたマイキーが、自分の社会的メンツ(リアルでの面目)を保つために
サッサと退場。(たぶん ナターシャの10秒発言を盾に何らかの圧力をかけて 強引に友情エンドを演出)

一方 ヘイリーは マイキーとステイシーの一夜を利用すべく
イヴァン達を巻き込むべく画策を続ける
 イヴァンもまた マイケルから個人攻撃された恨みがあるから ヘイリーの策に載ろうかどうしようかグラグラ

(なんとなく アレクスは騒ぎに巻き込まれることを望まず
 最終的に リアルでこのカップルが湧かれたのは
 イヴァンの最後の選択にアレクスが不快感を抱いたことにあるのではないかと思う)

・ちなみに マイケルがヘイリーにキスした証拠の動画はなかった、ステイシーを動揺させるために鎌をかけたが失敗したとヘイリーはカメラの前でしゃべっていた。

・一方 ステイシーがマイキーに送ったというスマホのメッセも、その読み上げられたメッセを聞いた印象では、特に深い意味もなく、酔っぱらって寝込んだマイキーが目覚めて部屋を飛び出していったのをからかったもの(実は何もなかった)感がありありだ。

 ただ ステイシーが 「浮気されたら浮気しかえす」なんて最初の頃言っていたから、偶然の出来事を あとでステイシーの方から自分の憂さ晴らしに利用できるように ややこし気なメッセを送った可能性はあるなと 私は思った。
 少なくとも 4人で酔っ払ったときには、ステイシーは マイケルがヘイリーと浮気して 自分は捨てられたと感じていた時の出来事なので。

 がしかし この参加者たちは、当時のステイシーの気持ちを尋ねることなく 「浮気だ 白状しろ」とステイシーを責めるばかり。
 本来なら このグループ全体の中で マイケルが男性陣を個人攻撃して引っ掻き回そうとした当初の動きの反動として
攻めにくいマイケルに、自業自得の復讐劇が始まっただけじゃない! というべきところだと思うのに、なぜかみんなマイケルのパートナーであるステイシーばかりを、マイケルのキス事件の時も今回も責めているのが 不思議だし 異様だと思った。

ちなみに マイキーが脱ぎ捨てたまま残していった服が
ステイシーの名前で イヴァン達の部屋に送られてきたから
ステイシーの浮気確定だとイヴァンは主張したが・・
 それもまた 変な話だ

「なぜ?イヴァンの部屋に送ったの?本当にステイシーが送ったの?」とだれもステイシー本人に確認しないのだから。

ちなみに イヴァンの部屋に服が送られたとき、マイキーはどこにいたのでしょう?既に実験を立ち去っていたのでは?

(まあ 普通は 酔っぱらって寝込んだ男の服を
 別の男性と恋愛中の女性から直接 問題男の自宅に返却するのは気まずいので
 その場に居合わせた マイキーの友人男に送るぐらいのことは 女性ならやると思うけど。)

そういう意味では ちゃんと互いに話し合えば済む話なのに・・

 最後 メンバー全体に対して ステイシーが キス事件の時も今回も私ばかりが責められると一言抗議して終わり
ジョンはだんまり 二人のアドバイザー女性も。

カメラは ステイシーの言葉を聞いて 気まずそうな顔をするアレクスの顔を写していた。
 彼女を一方的に責めた 部外者の女ども 恥を知れ!

それがまあ、最終回参加までは ラブラブ(イヴァンが熱烈にアレクスに惚れていた)だったイヴァンカップルが その後別れた理由カモ なんて私が憶測した理由。
 そして この二人が イヴァンの言うように、「二人の関係を深めるために 誓約式に出ることなく 番組から途中で消えた」理由は この マイキー泥酔事件にあると思う

(字数制限により コメント欄に5個投稿に続く)

アバター
2024/02/29 20:51
(↓の続き)

つまり、「男だから 女だからという社会的通念」を設けることに異議を感じながらも
無意識のうちに 私も 「これだから男はいやーね」とみている部分があったなぁと
認識して反省しました。

根っこの部分が同じでも、表出部分で 男女の行動に差が出るのは
すでに 男として女として生きる上で、
その私が見ている目の前の男性や女性たちもまた、「その男(女)であるがゆえに周囲から受け入れられやすい行動」を選択しているからだと 認めたほうが
現実的に機動的に対応できるということ。

あまりにも 男女の既成概念の押し付けに反対する立場にこだわっていたら
現実的対処を誤るなぁ と 言ってみれば当たり前のことに 改めて気づいた次第。

というか 若い頃はそういう柔軟な観点を維持しようと頑張っていたけど
いつのまにか そうやって努力し続けることに疲れて
思考が硬直化していたなぁと実感

そうやってきづいたからって 何が変わるわけでもないけど・・
気持ち的には 「不可解」なんて悩まなくて済むようになったので すっきりとしました。

(だって 若い頃は 若い男性からの直接的行動に悩まされる部分大きくて
 しだいに 「男という生き物」を 客観的に俯瞰する余裕がなくなって
 生き抜くためには 「これだから男は 腹立つ!」と割り切って対応せざるを得なくなったから。
 なので 「男という生き物」が 若者からおっさんに変貌していく過程が不思議だなぁと思いつつ
 目の前のおジンどもの存在そのものが謎だという気持ちが抜けなかった)

そういう意味では この「マッチングの神様シーズン2」を 部分的ながらも視聴してよかったかな。
 気分的に余裕をもって 他者の行動を眺めることができたから。

 やっと 「男という生き物」が 自分やほかの女性と同じく「成長する存在=人間」なのだなぁと思えるようになりました。

以上 感想おわり!
アバター
2024/02/29 20:29
あーそうそう、マイケルって 結局 この番組に出演して 徹底的に自己演出してたと思う
 男集団でマウントをとろう
  そうやって己の力を示そう とか

 どうやら その行為が場違いもしくは失敗だと認識し、ここは ジョンの忠告に従って
 ステイシーとの関係を強固に気づくことこそが この番組での勝ち組に至る道 と認識して
 一転して 関係改善に真摯に努力する理想的パートナーの道を歩みだしたり

 もともとステイシーは 夫となる人物とのパートナーシップを重視する感覚の強い人だったようで
 そういう意味で「タッグを組むにふさわしいパートナーには忠誠を示す」のようでもあり
 そういうステイシーに マイケルも満足していたようですが・・

 最後の最後、ステイシーと連携をとるよりも 「俺は俺」の姿勢をとる方が その場において有利と判断して行動した
最後まで打算優先、自分の感情すら平気で切り捨てる男だったのねー と思います。

なんかこう 「古い時代の男の生き方」のひな型を見た思いがする。
 ある意味 リアルや小説世界の「大人の男達」の行動の謎 と私がこれまで思ってきた事柄が
 こう初々しい若者の姿として この番踏みの中で見えた感じで 妙に納得がいきました。

けっきょく 感情を深める生き方をするか、己の行動理念というか勘定優先の人生観に基づいて生きるかの違いだったのかと 改めて納得。

若い頃は 「女=感情的、男=打算」と形式化して こういうもんだと 周囲から言われていて
なんで そんな男女差をあてはめるの?? とそこらへんで引っかかっていましたが・・

結局 この番組ではを通して感じたのは
 打算的なん男もいれば女もいる
「感情」や「成長のために必要ならば感情も掘り下げて考える」男もいれば女もいる
ただ そうした生き方を 男がとった場合 女がとった場合とで 周囲の反応が ものすごく違う
ということでした。

そういう気付きを強化したのが アマンダの態度と服装
 彼女は 大股開きで足を組んだり、普通に女らしい座り方をしたり
 服装も 男性的イメージを取り入れたり きれいなお姉さんになったり マダムになったりと
 その時々の彼女の感覚に合わせてどんどん変わるし 
 それが その時々に見せる彼女の表情とマッチしているし
 人間としての 多様な一面が ごく当たり前のように表現されていた
アバター
2024/02/29 20:10
↓の補足の続)

ただ あえて言うなら、そういう若い日の己の素直な感情への解釈を
自分がつらく感じた体験の内容とダブらせて 誤解釈してしまっていた点が
己の未熟さ 判断ミスだったなと 気づきました

昔は 知性をふるって、「立場は異なるが テーマが共通するシーンでの、複数の感情を関連づけるのは誤解釈の元」と自分をいさめつつ 正しい判断をしようとがんばってましたが・・
長く生きれば生きるほど 似たような異なるシーンでの感情が 同一のものであるかのように誤解釈する現象がおきてしまうのが 「人間の記憶違いという機能的不具合」でありまして
そういう罠にはまると それに気づくのがむつかしくなるから
人間 歳をとるほど 面倒ッチイ存在になるわけで・・

あはは そういう意味で あほな自分(老いた姿)を認識してしまいました。
 そっちの方が はずっ

でも たまには 感情のたなざらしをしないと、こういう誤謬にも気づかないわけです
 気づいてよかった~ と自分で自分を慰めておこう

 と同時に
 いろんな意味で恥ずかしいふるまいをここでさらしてしまった私は え~ん え~ん と泣きます。
  誰かなぐさめてくれ~ とばかりに(滝汗)←アホですね

・ある意味 昔は 葛藤しながらも、物事を直視していた自分が
 最近 かなり ボケてきたなぁと自覚しつつも そのボケ具合が自己認識できなくて靄っていたのです
 で、今 そのボケ方の実態=「過去のつらかった感情に関する記憶」のゆがみに気付いて
 我ながら びっくりしました

 そういう意味では これまで吐き出しそびれた過去のつらい感情は
 吐き出して、捨てるか 整理することも
 今を すっきりとした気分で生きるためには必要だなぁ と再認識したことを
 己に定着させるための この蛇足的投稿であります

すみません 独り言に突き合わせてしまって
 でも ここまで読んでくださった方に御礼申し上げます

延々たる独り言に付き合ってくださってありがとうございました

   (;^_^A m(__)m

露悪趣味ではない感情吐露ってむつかしいですね

だんまりでは 腹ふくれ 変な風に発酵してしまう
だからって 何でもかんでもしゃべり散らせばよいというものでもない
 「聞かされるにもなってくれ」「口は災いの元」と言ったことわざも真なり

いろいろむつかしいね
アバター
2024/02/29 19:49
(補足)
「本文の続き4」に書いた 己の若き日の姿を なぜ恥ずかしいと感じるのかというと
10代~20代前半にかけて、「自己の生き方に迷った」時に 真剣に 身近に居た先輩たち、日頃なにくれと声をかけてくれた 私から見て「おとなー」と感じる先輩に 自分の迷いを打ち明けた時に
真剣に話を聞いてくれたと感じられたあとの 先輩たちからのお言葉が「そういう人生への真剣な態度が立派だ。勉強になった」というただの感想だったという経験が数回あったからです。

あの時は 「人が真剣に悩んで相談をもちかけているのに、何?その観客的感想は!」って思い
そうした経験を何度か経て 人に 自分の悩みを打ち明けるのをやめてしまいました。

そういう過去があるから、自分が 自分の友人から悩みを打ち上げられたとき
当時の私は一所懸命に 友の心に耳を傾け 友の成長に役立つようにと願ってそばにいたのだけど・・
その結果心の中で私が最後に思ったことの一つが 「友の生きざまから学んだ」という感想だったという点を 恥ずかしく思っていたのです。
 もちろん 私は そんな「観客的感想」を友に言ったことはありませんが。
 ただ ひたすら 友の喜びに満ちた報告を笑顔で受け止め「よかった よかった」という言葉で友の健闘を称え 友の明日を祝福していましたが・・。

ただ 改めて 自分の投稿分を読み返してみて
別の 若い頃の己を恥じる必要がなかったのでは?って思いました。
 だって 私は 若い頃 先輩たちから投げかけられた言葉を 友の前では言わなかったし。
 まあ 先輩たちが 私が何について悩んでいるのがさっぱりわからないながらも、なんか知らんが私が悩んでいる様子を察して話を聞いてくれて、そのあと〆の言葉に迷って ああいうセリフを言ったのだということは 当時の私も気が付いていて、でも それって 自分にとってはつらく響くコメントだったよなーと感じたのも 私としたら ごく当たり前の感想だったわけだから。

ならば 私が 真剣に友からの打ち上げ話に耳を傾け、友の成功を祝いつつ
友の話に向き合った己の内面の動きを自覚したとしても それは何ら恥じることはないよ
と思い直したわけ。
 むしろ 友に対する言葉を ちゃんと言っていいこと 不都合なことを選択していた
 若い頃の私は偉い! と 今の私は褒めてやるべきではないかなぁ、と、
アバター
2024/02/29 19:28
(本文の続き5)

とまあ リアリティショーに けっこう 感情移入して、ふがいない己の若い日の姿まで思い出してしまった 私の つぶやき投稿でありました。

恥ずかしいので そのうち この番組にかんする一連の投稿は 非公開にする予定です。

ただ この日記で メディア批判ばかりしているのも何なので
 少しだけ 自己開示もかねて 番組への素直な感想を投稿しました。

私だって 精一杯生きてきて 今の私があり、
その思いをここの日記欄を書き連ねているわけだから。


うーん リアリティショーの影響力 すごいわ。
 と 自分の投稿を見ていて思います。

ただ こういう 外部から持ち込まれた心の動きは 一度 吐き出して すっきりしたほうが良いと思うので 恥を覚悟で投稿してます。

 すみません。
アバター
2024/02/29 19:24
(本文の続き4)

・ところで このシーズン2参加者のその後を紹介している某ブログによると

マイキー:筋トレに励んでマッチョなボディになったらしい
 よっぽど10秒発言がこたえたんだろうなぁ
 そのショックを 番組内で癒すことのできなかった彼は、リアルに戻って そっち方面で発散してるのか
   うーん もしかして マッチョ志向の男性って その根源には性的自信の無さの代償性があるの?
   なんて 思ってしまいました。

 ちなみに フロイトさんが展開した精神分析手法というのは、「過去を物語にすることにより消化して 今の現実対応をより良きものに改変するきっかけとする」という イリュージョンを活用した現実対処法らしいです。 若い頃の私には そんなめんどっちいことしなくても・・って思いましたけど

 ただ その物語を より現実に適応するための分析的処方の集積(研究の進展)はすごって思いましたけどね。でも、そんな優秀さは分析医のごく一部だけが有する能力ではあります。 ゆえに 一般人は関わらない方が無難な世界だと思う、特に日本では。 あれはあくまでもキリスト教徒向けの手法だと思う

・あと シリーズ後半のコニーとジョネセンのパートだけ抜き出して見ていて思い出したのは
 成長したいと願う人の手助けをして、その人が成長する姿を見て学ぶジョネセンから、20代前半の私の姿です。 その頃の過去の自分を振り返って少し恥ずかしくなった。

 当時の私は 「自分の現実」にお手上げして、それでも自分なりに真摯に生きてましたが
 それでもちょーっと 自分の人生において及び腰の自己を情けなくも感じ
 でも 「自分がすでにクリアした課題」に 別のアプローチをしながらもがいている人から相談を持ち掛けられたときには、その人の心に沿う形でその人の話の聞き役を務めるよう心掛け、その人がその人なりの課題解決に至ったときには、心底 良かった!と思うと同時に、
「私は私なりの選択の結果の次なる課題に対処しなくては」と気を引き締めたものです。
  つまり 自分と同じ失敗をほかの人にはしてほしくないと心から願いつつ
  自分が選択しなかった道を歩む人を応援し、その方がその方の目指すゴールにたどり着いたことを祝福する心境 と同時に 私は私の選んだ道を歩み続けなければとさらなる覚悟をした若き日々のことを思い出した
アバター
2024/02/29 19:19
(本文の続き3)

ただなぁ 
18世紀、イギリスのセツルメントをアメリカに持ち帰ったジェーン・アダムスのハルハウス、(そこから公民権運動も派生した
参考https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/4929/ アメリカ大使館)や
設立当時のYMCA活動
それが 時代と国境を越えて 日本の大阪の1970年代からのグループワーク研修になったり
別ルートから来たグループダイナミックス等々のセッションになったり
産業ルートのレーダーシップ論 (これは1970年代に日本に来た社会学系の流れかな??)

そういうあれやこれや歴史を思うと・・いつのまにやら それが TV番組の演出に 名称と形式の一部がとりこまれていることに・・
 つまり 適当に楽しんでそれで終わりと割り切ってしまっていいのかなぁとか
 でも 真剣に対応しても 現実的意味 あるのかしらんとか
 自分とのかかわりの距離感を迷ってしまう微妙さ(;'∀')

まあ セツルメントそのものが、クウェーカー教徒ファミリー出身のジェーンの感性に
ん?と考え込んだ7歳の私には、なぜ そのような活動を特別なものとみなすの?人として当たり前の行動なのでは?不思議なものに思えたのですが。
(ジャッドソン作 村岡花子訳 「ジェーンアダムスの生涯」岩波少年少女文学全集26 全国学校図書館協議会選定 必読図書の金シールつき 昭和37年第一刷 昭和42年第5刷)

そっから いろいろな「運動」の形態や、それらに情熱を注いだ先人たちの活動を知り
各種「運動論」を知り
でも 自分が個人として生きるのは それとはまた別の視点、「主観(=倫理観 価値観 感情etcを統合する自分)」がなくては 社会生活営めないよね、でもそういうこと 家庭でも学校でも習ってないので むしろ 片っ端から それらを否定する大人・年長者に囲まれて生きる私って ほんと苦労な人生、これがマイノリティであるということ?他者から見るとそうは思ってもらえないのだけど・・とぼやきながら生きてきた人生を 思い出してしまいました。

そういう 冷めた目で 改めて こういうリアリティショーを見ると あほらし の一言なんですが・・
でも 一所懸命生きている参加者の存在は 魅力的でもあります

 やっぱり リアリティショーって怖
アバター
2024/02/29 19:15
(本文の続き2)

とまあ ぐちゃぐちゃな シーズン2でありました。


全体を見終わっての感想

・グループセッションを装ったリアリティーショーって 観客にとっては興奮を誘う見世物だなぁと思います。

 と同時に こういう番組を見て面白がる私って 野次馬根性そのものだなぁと自覚

そのうえで 改めて思うのは

①グループセッションの形を取り入れながらも、全体を面白い見世物に仕立てるTV番組を見て
 グループセッションそのものが そういうものだと誤解する人が増えると困るなぁ。

・若い頃 私は 実務の上での課題達成のためには、①課題達成に向けたリーダーシップ ②メンバーの感情面に配慮した集団維持機能の両面が必要であるという観点から、
こういうグループセッションのファシリテーター研修に参加したことがあります。

それは いわゆる産業活動におけるリーダーシップ論が 労働者をコマのように扱う非人間的理論であることに疑問を抱き、40年前 アメリカ研修を経て帰国した人達のグループワーク論も しばしばそういう観点から扱われていることに疑念を抱き、
じゃあ グループセッションにより参加者個人の気付きを促すということをうたい文句にしているグループダイナミクスの現場ってどんなん?という観点から ファシリテーター研修に参加したのです。

 で その結果、私の性格は、「グループダイナミックスはきっちりと見える、でも そこに参加しているメンバーの情動の源についつい視点がいってしまう(深読みする傾向がある)から、その場の流れに即した対応に機動性が欠ける」と気づき、実務での課題は きちんときちんと その場で解決していくよりしょうがないなと、私は グループセッションのファシリテーター向きではないわ と思い、以後 その手の世界とは縁を切りました。

そういう経験をもとに この番組を見ていると・・
 うーん 野次馬的刺激、リアルで「デバガメ」できない好奇心を満たすには
 こういう番組は面白いけど、
 真面目に見ていると疲れるし・・この世界(こういうものを見ることに)ハマるとやばそう
と思いS3以後が気になりつつも ちょっと 観るのをお休みしようかなと思いました。

なんかね リアリティショーって SNSと同じ疑似的世界だから
 ハマると感性が 今とは違う形に流れてしまいそうで・・ やばい気がする
アバター
2024/02/29 19:11
(本文の続き1)

ちなみに マイキーは マイケルの彼女(ステイシー)を寝取ってやったと全体会で公表することにより マイケルへの復讐をしたかったのだと思うが、マイケルからひところ「10秒楽しめたか?」と言われて撃沈 ほんと ケツの穴の小さいエゴだけが肥大した男だ!!
 しかも マイケルの復讐に利用されたステイシーの尊厳を完全に無視してる。
 というわけで どうせ この元童貞坊やマイキーには
ステイシーとセックスする力もなく タダ泥酔して寝込んで(酔っ払いにありがちな服脱ぎ行為の果てに)目覚めてうろたえて (やってしまったかも そのように他人から非難されても言い訳できない事態に陥った!)という罪悪感ならぬ恐怖感から逃げ出しただけじゃなかろうかと思う。

なにしろ 全体会前に ナターシャから「私はあなたを非難する」と脅され、「僕から話すから君は黙っていて」と言い訳しており、そのくせ 全体会では「僕が事実を公表しても僕に利益はない!なのに自分から話した ゆえに僕は嘘つきではない」と叫んでいましたから。
 いやぁ あんたは 公衆の面前で自分の不貞を責められたくなかっただけでしょ。

 なにしろ マイケルのキス事件の時に「酔っぱらってたんで覚えてない」というマイケルを嘘つき呼ばわりして責めていたマイキーですから。

 ほんと自己保身の塊のマイキーの発言には 信ぴょう性が感じられない。



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