Nicotto Town



嘘日記:要は、全部最初に済んじゃった後どうなるか

※タイトル通り、嘘日記※

20歳になる前に私には人生で起こるほとんど大体のことが起こったと思う。
たくさんの人に顔を知られること、それにともない人に会わせ、世辞を言ったり取り入ったりして愛されたり憎まれたりすること、それによって愛憎を生み子供を産む痛みを経験すること。

詳細は省くけど、その後に結局私は、それらをすべて(具体的にはその立場と血縁者とほぼすべての知人のことです)失うことになり、今は一人で東京の家賃ばかり高いくせにネズミが多い沿線沿いに小さな部屋を借りて住んでいる。余生60年が始まった。
その最初の二十年で身に入ったお金を8割がた投信と国債と定期にぶっこみ、スペースにして高すぎる十数万の家賃をひいひい払う、貧しいフリーター生活を始めた。具体的にはコンビニのシフトの合間に某出前サービスの配達員をする暮らし。
とはいえ、はからずもミニマリストの暮らしぶりの私にあまり不便もない。

私は、その最初の20年のことを壁にかかった絵のように時々眺めることがあるけれど、正直さして思い入れのある絵でもない。
その20年で分かったこと。面白い人とか変わった人なんていうのは幻想だってこと。
こういうと人間蔑視しているみたいだけど違うんだよね。そうじゃなくて、単に個性ある人ていうのが幻想で、ただ息して眠る人間自体の生態って割と面白いなって(あんまりかかわるときついけどね)。だから、私は息して食って寝る私自身も観察していて結構面白い。
コンビニで品出しをしながら、品出しする腕の動き面白いなって思ってる。制服が半そでだからいっつもむき出しの二の腕にさぶいぼがたっているのに注意を向けるのもまぁまぁ面白い。
朝が寒いのも面白い。空が白くて高いのも面白い。ただ、「やること」のすべてに面白さを全く感じないんだな。要はゲームとか、テレビとか、全部。

私はこのまま誰にも会わず、かかわらず、生きて、生き終わるんだろうなと思う。

私の部屋からは電車の発着がいつも見える。まだ朝の6時、窓を開けるとあさのあのよそよそしいっているかよそよそしすぎて塩素とかシンナーみを若干感じる空気が入ってきて、まだグレーと白のグラデーションぐらいの空を背景に陸橋上を電車が耳障りな騒音を立てて走るのを眺めつつ、思い出すんだよね。最初の20年のこと。
あの暮らしが素敵とは思わないけど、あの時の自分の中にあったもののことを。
凄く生々しい情緒やエキセントリックな感情や、人の中身をむさぼるようにかきむしるような感覚とか、それを脳内がうるさいくらい考えまくって言葉があふれだす感じとか。そうすると無性に泣きたくなって悲しくなるのも事実。

ううん、ようは私、身の置き所がわからないんだなと、雑にコップの白湯飲んで、バイトの準備をする。




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