Nicotto Town



今日の講演会

今日は東大の研究員であり、Grocal Academyの代表理事の方が私の学校にきて、なぜ、探究という授業を行うのかについて講演してくださいました。

聞く姿勢は何でもいい、という日本では珍しい先生でした。
だいたいの学校では体育座りを強要されますよね...
体育座りは囚人座りとも呼ばれていて心身ともに悪影響があるそうです。こんなことをしているのはおそらく日本くらいでしょう。
と、話がそれてしまいましたが...

その先生は探究以外のことも、たくさんお話ししてくれたのですが、おっしゃっていたことでなるほどなと思ったのは、
「校則について考えるくらいなら、法律を学んだ方がいい」です。
その先生は鹿児島に住んでいるのですが、そこには「スカートは膝上何センチまでならOKか」という議論を行っている学校があったそうです。どれだけ暇なんですかね。無意味でしかないと思います。1,2センチの誤差で何がどうなるんでしょうか?
ここで大切なのは変えるべきは学校ではなく地域の人々の意識だということです。学校は地域の人々に怒られたくなくて校則をつくっているわけですから。校則は地域の人々の理想を子供たちに押し付けてできたものです。人々の意識が変わらないかぎり日本からはいつまでも校則は消えないでしょう。私自身校則は無いにも等しい学校に通っているのであまりとやかくはいえませんが...

さて、何のために探究をするのか。
世界は年々高度化しています。
毎日新しいニュースが報道され、様々なメディアやツールを通して、世界は回っています。そんな情報化が進んでも、チャットGPTなどにはできないことがあります。それは、新しいことを探究することです。チャットGPTはわかっていることをつなげるのが上手なんですね。ですがその円の外側、境目で深めているのが博士なのだそうです。日本では博士号を取得する人の数は発展途上国なみに低いです。大学を出て働き始める人が多いと思いますが、学士と博士では働き始める地点が遅いにもかかわらず生涯で稼ぐ量は博士の方が多いのです。では、「探究し、深める博士」になるにはどうすればいいのか。自分が興味を持っていることを定めなくてはなりません。それを見つけるために,進路を決めるために,探究をするそうです。
私には、夢がまだありません。自分が何が好きで、したいのかもよくわかっていません。自分なりの答えを見つけるために、探究していきたいです。
読んでくださった方、ありがとうございました。




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