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ゲシュ崩ログ 432 シザーハンズ

子供が寝静まって、アマゾンのプライムで無料の映画を見た。シザーハンズである。以下ネタバレあるのでアマゾンプライムで無料で見てからどうぞ!

面白い~。この映画を初めて見たのは、5歳くらいだった気がする。子供にもわかる映画で面白い。今大人になってもまた何倍も面白い。ちょっと待てと。


子供の頃の感動ポイント
子供の頃に見たシザーハンズ、一番のみどころは、やっぱり音楽でした。音楽がもう感情をどストレートに表現している。意味がわからないシーンの大半は音楽でカバーするのが映画のいいところ。

大人になってみたシザーハンズ
 大人になってみたシザーハンズは、この映画は今見ても古びてなくて、凄いな~とか多面的な見方をする。そして色々なアメリカの時代とかどうしてそれが日本で受けてるのかとか考えながら見る。めちゃくちゃ面白い。作品の背景とかまで考えると、もういっぱい面白ポイントがある。やっぱり面白い。シザーハンズの主演ジョニーデップは、映画で恋人に裏切られる役をやっている。「このヒロインクズすぎる」とジョニーの恋人役がクズすぎるストーリーなんだけど、この当時の若きジョニーデップは、自分が年とってから自分の奥さんに多額の慰謝料を請求される事をまだ知らないんだよな~とか考えてながらみるとイケメンが可哀そうでかわいそうで。イケメンに歴史ありですよと感慨深いとか、もう、色々面白ポイントがいっぱいある。なかでも、ジョニー演じるエドワードというキャラクターに対して。

エドワードという存在
 エドワードという存在はいったいなんだろう?どうしてそうなのだろう?手がハサミで、本人の意思に関係なく触れるもの全てを傷つける。たとえ大切な親であれ、恋人であれ。このなんだこの設定?と思う不思議なヘンテコな主人公。これはいったいどういう可哀そうな不幸な設定なんだろう、と小さい頃ずっとおもってた。可哀そうでかわいそうで、なんて悲しい物語なんだろうとずっと思っていた。大切な人と一緒にいられないまでの圧倒的なシザーハンズという魔力のせいで、物語は人を複雑な気持ちにさせる。

大人になってみて
 エドワード本人はなんてピュアで、かわいくて、純粋な人なんだろう。何も悪くないじゃないかという描かれ方。むしろいつも被害者の気配を帯びている。だけど彼は、被害者でいながらいつも加害者にされる。そのあまりの残酷な悲しさ。彼は被害者だ!なのに、シザーハンズのせいで彼はいつも加害者だ。そのどうにもならなさ。これは映画の中の荒唐無稽な物語だと思っていた子供時代…。

現実のほうが
 でも大人になってみて、異端者とか犯罪とかを考えられるようになって、この映画のエドワードの話が、まったくの作り話に思えない。映画よりも現実の本物の生活のほうが、物語よりももっとこうした被害者であり加害者というケースって、多いのでは?と思ったりして。シザーハンズが名作といわれる理由はいっぱいあるけど、エドワードのあまりのピュアさと犯罪に巻き込まれる体質等に、「これは作り話」と一笑に付すことなんてできないと思うようになった。

呪いではなく、祝福。
 子供の頃は、エドワードのシザーハンズの設定が、残酷な不幸な呪いのように思った。シザーハンズでさえなければ、エドワードは大切な恋人とずっと一緒だったのだとか普通に幸せになったのだとか考えて無情さに憤っていた気がする(笑)
 でもちょっと待てと…。大人になってから、この設定をよくよく考えてみて、なんだかこのエドワードの誰彼傷つけるこのシザーハンズという設定は、呪わしい不幸なのかと思ってたんだけど、もしかしたらこれはエドワードのピュアさを守るための苦肉の策であり祝福だったのかもしれない、と作品の中のキャラクターに対する愛情が芽生えた。

子供を残していく親の気持ち
 エドワードの親はかなり年老いて、エディを中途半端なシザーハンズのまま死去する。これも不幸なんだけど、もし子供を残して自分が先に死ぬとしたら、親としての気持ちは、誰彼を傷つけてでも、我が子が生き残るような方法があるならば、そんな方法ででも長生きして欲しいとか考えるんじゃないだろうか…と、新しい視点で映画を見るようになった。もしかして、エディがシザーハンズなのは、不幸な事故なんかじゃなく、ある程度あの年老いた親の意向だったのかもとか。腕を普通にする時間がなかったような描写なので、そうじゃないのかもしれないけれど、最後まで腕をハサミから腕にしなかった理由があったのではないかとか。色々深読みしてしまう。だってハサミの腕なんて、一番危険なのになぜ最初に義手をつける作業にとりかからなかったんだろうとか。親心というのは、そういうものじゃないのだろうか。そう考えると、エディが孤独で暴力と生きなくてはいけないのは、親のせいともいえるのだ。

誰よりも強くあれ
 この映画の主人公を、子供の頃みて「なんて悲しいかわいそうな主人公なんだ」と異端者である人間を、かわいそうだとずっと思っていた。上から目線で…(笑)
でも、この映画やっぱ凄い。面白い。大人になってみると、やっぱりこれは壮絶な愛情にあふれてると思うんですよね。エディという存在が、結局誰にも好かれなくても、彼はそれでも健気に生き続けるんですが、それは彼がシザーハンズだったからだと思うんです。エディの本来の性格は、ピュアで誠実で自己犠牲的。そんな彼は、シザーハンズでなければ、もっと哀れな悲痛な犠牲者被害者だったかもしれない。そう考えられるくらい、エディは天使のように仏のように慈悲深い存在。そんな彼だからこそ、シザーハンズという呪いが、エディにはあるのかもしれない。彼はシザーハンズであり、周囲を意思と関係なく傷つける。でもそれは、彼を不幸にしたけれど、彼を守ってもいたのだ。その事実に、気づけるようになったアラフォー。

大人になって、この映画見返して、エディが下に見られる可哀そうな存在だと思えなくなった。彼は本当に素晴らしいかけがえない人間で、そして親の愛を受けているのだ。それがシザーハンズなのだ。と考えられるようになった。そう考えると、この映画がただの哀れな異端者映画とは思えなかった。エディは悪かどうかとか、誰が悪いとかそういう映画じゃなかったのだ。この映画は、ただひたすらエドワードを愛している。異端者で、騙されやすいといえるほどにピュアで、そして誰より親切な、奇跡みたいな異端者のエドワードに、ただただ愛していると愛している世界中の誰より愛していると伝えている映画だったんだ!と思えた。でもそんな愛が、エドワードにとって幸せなのかどうか。もうさっぱりわからない。誰にも判定できないんじゃないかな。でも、誰を犠牲にしてでもシザーハンズを装備させてでも、老いた親というのは、子供を思って死ぬのだろうと、私は信じられる。この映画にそんな深い愛情を見る私も、異端者なのだろうか。すべての人が、きっとこの映画のそんな根底にあふれる弱くもろいでも強い、最弱で最強なエドワードへの愛情にどこか気が付けるほどに、ただひたすら、へんなユーチューバーみたいな異端っぽい感じのエドワードへの愛に満ちているので、その心地よさに人は感涙するのではないだろうか。そう思うようになったよ。三十年かけて。




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