今に始まったことではないxx
- カテゴリ:コーデ広場
- 2025/07/11 03:07:00
続く教員の性暴力「由々しき事態」、文科省が緊急会議 私学にも課題(朝日新聞) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/f387de8d2ca8d25f852fdc8b5ae031b2f57cc320
7/10(木) 15:54配信
↑というけれど、こんなの、教員免許をばらまき量産した「デモシカ教師」(団塊の世代)のころから 居ましたよ!
ただ 昭和の末年までは、戦前に教育を受け、次世代育成に希望と理想を託した人たちが 60歳定年まで 煙たがられながらもにらみを利かしていたから、大事になりにくかっただけで、
しかも ポスト団塊の時代に、児童生徒数の減少にあわせて、 教員採用をゼロ採用にしたり、講師を何年もやらせて 議員の口利きで採用したりと、教員の人事採用に関する不正・恣意的な運用が全国で一般化し、平成以後は 教員人事そのものを政争の具にして もうめちゃめちゃにしたから
スマホ登場とともに 一部教員グループがトップ争いのようにスマホを使ってアダルトサイトや 児童ポルノに手をだし
職員室内でも見ていた。
その現状を校長・教頭も承知で黙認していた。
そんな学校が蔓延したその結果なんだから。
しかも 「性教育」なんてことを突然言い出して、
「性器教育」を強引に推し進めたのも平成
あの当時 性教育担当の教員、特にそれを推進する男性教員が、児童の精神的発達・情緒的発達・知的理解の発達
そういう総合的な発達段階評価を無視して
ただ 性器やセックスに関する知識の伝授などを強引に進めようと熱弁するので、
なぜそこまで熱心に推進するのかと 対談をすすめると
(つまり児童の発達・理解にそぐわない「知識の提示」は「教育活動」ではないという私の立場から)
ボロボロ その人たちの口から出てきたのは、
「受け持ちの児童にムラムラっと来る己の欲情」であり、
「男とはそういう生き物なんだから 女の子には 男の生態を理解させなければいけない」という主張で
その主張と 教える内容が乖離している
そんなのが 珍しくなかったもの。
まあ そういうやりとりが 教員グループの中で公開討論の形であらわになれば、
やみくもな性教育の推進にも歯止めが一時的にはかかります
が、それでも 当時は メディアも文科省も「性教育」と大騒ぎしていたから その抑止効果はせいぜい1年分しか持ちませんでしたけどね!(つまりその年度だけは 推進を先送りという程度の抑止力)
それに 30年くらい前に流行った 若者の婚活事業(今のアプリの前段階のやつね)、あれに登録している独身男子教員たちの本音も 結構エグかった。
受け持ちの女の子のパンツと胸への欲が半端なかった。
当時は私も若かったので、(自分の身を守るために)
そういうクライエントについては報告書だけだして 以後のかかわりを辞退しましたけど。
ぜーんぶ そういう報告書は 没られてたんじゃなかったっけ?
表面化した問題行動はなかったということで。
かろうじて 当時 週刊誌連載小説その他にあふれかえっていた、教師・看護婦に関するエロの抑制に一定の効果は出せたと思いますが。
でも エロ商品の媒体が 紙媒体から電子媒体に移行しただけともいえますが><
(ほんと 鼬ごっこですよ この手の問題は)
そして30年 今の現状
・それでも私は その時々に 自分でできる範囲で
いわゆる「性教育」推進者が持つ危険な素因だの、
男子教員・男子保育者になりたがる人間の一部にみられる危うさだの、も 指摘してきましたよ。
たとえ保守的と言われようと、何でもかんでも「推進」すればいいってもんじゃない! と 多様な視点から指摘してきましたが。
でも まっとうな ”教育対象者の「発達」「成熟度」に合わせた教育を”という論点は
ぜーんぶ、「運動論」「推進論」に押し切られ
そういう旗を振る人 波に載って先陣を切って業績稼ぎを狙う人 それに載って己の欲を満たそうとする人、
あるいは その波の中で 「『己の悪しき部分』への抑止力を失っていく人」の問題は
なおざりにされ続けて30年ですわ
だって、被害児童 被害女性の声を抹殺し
被害者をそしる風潮
見たくないことを指摘する人間を、裏から引きずり落とそうとする人間が
この世の中には あふれかえっているわけですから
(そういう輩に 錦の御旗を与えつつけたのが 日本のマスごみでしたけど!!)
まじめに問題点を指摘して、イデオロギー論者から職からおいおとされていった先輩たち(男性専門職)、保身のために発言を控える同僚(チョイ年上)そして そのような事態を問題と意識しない連中(同輩 後輩)
・なーにが 由々しき問題ですか
戦後80年 一貫して放置 もみ消してきたくせに!!
「いたずら」「出来心」「まあまあ」で済まされてきた
その手の犯罪は 常に変わらず身近にあり続けてきましたよ
それを 昔は 女性たちの縦横のつながりで さり気にフォローしてきましたし
そういう地域のつながりが消失してからは
各自が 各々の職場で 己の職権の範囲で 何とか予防と「課題の解決」の努力を積み重ねてきましたけど・・
それでもね メディアと政治家が ギャーギャー言い出した平成以後は 多勢に無勢で もう どうしようもありませんでしたわ!!
ほんと わが子を守るので精一杯
みんな 「我」のことしか 考えない それで手がいっぱいの風潮になっちゃったのが「今の現状」では?
・教員による性暴力と性差別なんて 戦後80年
どこの義務教育校でも存在してましたよ!
・それを 学校内で対処できたか しなかったか
そこが問題なんです!
そして それは 人事(組織管理や評定の在り方)と
「教員養成と教員採用に関する人」と「実働中の教員」の「資質問題」に直結しているのです!
そもそも 役割と責任と権限をバラバラにして、「責任ある立ち場の人間」から「職務権限を奪った」のが 阿部政権下の教育行政・議員どもによる改革法案でしょうが!!
もはや 管理職が管理職として機能できなくなり、教員組織から自浄能力がなくなったのが平成以後の日本の学校組織!
・学校内から スマホ・モバイルの類を追放するのが 一番簡単と思うけどね
銀行なみに 職場での私物の扱いを厳しく取り締まればいいだけの話、ていうか そうする必要があると思いますよ
良くも悪しくも 学校・教員というのは 「人間味あふれる存在」ですから。
「場の管理」の徹底による綱紀粛正が 最もストレスの少ない形で効率よく抑止力を発揮すると考えます。
・ある中学教師曰く ある日突然 受け持ちの女生徒との胸にムラムラするようになったそのきっかけは 夫婦仲のもめごとだったそうですから
(仕事はいつもストレスフル:教職の特徴
夫婦共稼ぎで わが子が思春期になれば 家庭もストレス源
妻も夫もストレス満杯状態なら 夜の営みもうまくいかず そんな時に 唐突に 職場で目にする女子生徒にムラっと来ちゃったそうです)
状況的には理解できる
男ってそういう生き物だと言われれば
まあ そうとも言える
だからって いきなり 「性教育」と唱えて「セックスのやり方などを受け持ちの子に教えるな!!」
いくら 当時 性教育推進!が「流行の先端」時代だったからって
「新潮45」は、2018年8月号で 水脈氏の論文を掲載し
それに対するレインボー集団からの総攻撃(誹謗中傷の荒らし・嵐)に対する反論として
2018年10月号を組んだ
この10月号は ものすごく中身が濃く 多くの寄稿者が「誹謗かわし」の為の表現にこだわったのか、
非常に読みにくいものになっていたが そのどれもが まっとうな内容であった
がしかし そこで展開された論議が議論の対象とされることなく
イデオロギーを振りかざしたレインボー集団による物量作戦に、、株式会社新潮社の佐藤隆信代表取締役社長が屈服
「新潮45」そのものが廃刊となった
それはまた 日本における 「ホットな話題 先駆的な問題提起に対して 討議する場を提供する出版社・雑誌の役割」の終焉 というより壊滅した瞬間 でもあった。
ちなみに 私は、2018年8月号と10月号をもとに 10月号発売翌日に10時間かけて書いた この問題に関する投稿をネット投稿した瞬間に消された(原因不明)経験をしている
あれ以来 私は推敲した論文形式の投稿をすることをやめた
その結果が 今なんだけど
ちなみに、杉田氏の8月号の寄稿は、「行き過ぎた論調」へに批判であり、LGNT当事者への批判ではまったくなかったのだけど、ある意味背伸びした作品(専門的であろうとして失敗・初歩的なミスもある内容)であった為に 一部用語のみをつまみあげられて、杉田氏自身への人格攻撃にすり替えられてしまったという
「圧力団体を敵にまわした社会的弱者(=女)・『したたかさに欠ける不器用な人間』の末路」の典型みたいなものでしたが、彼女は何とか 政治家として今もまだ生き抜いていますね
だから 私は彼女の応援はしない(彼女の今の所属グループの思想とは相いれないから)が 彼女を否定もしないというスタンツなのです
あの「杉田論文バッシング 女性差別を根底に秘めた人格攻撃」がなければ、水脈さんは 彼女が持つリベラル志向をもっと前面に出した成長を遂げることができたのではないかなぁと、私は思っています
「その芽=成長の可能性」を完全に踏みにじられたのが残念です
それが 圧力団体の暴力性であり、非人間性という本質をあらわにした一件であると私は視ているのです
今に至るまで 杉田氏を悪とみなした「論文」しかネット上に残らない現実が恐ろしい
・日本を kのような機能不全状態に押しやった・追い込んだ元凶として
↓
・日本を このような機能不全状態に押しやった・追い込んだ元凶・主戦力・主導者として
◇ ◇追記付きで補正すると
日本を このような機能不全状態に押しやった・追い込んだ元凶・主戦力・主導者として
メディアと圧力集団の責任を 私は この日記でず~~っと 訴え続けているわけでもある
日本のメディアと圧力集団に比べれば
「イスラム社会の宗教的指導者」のほうがまだましである
なぜなら 「宗教的指導者」は実態が明白 また 彼らが組織改革運営の責任を取るということが明確なのだから。
日本のメディアと圧力集団というのは、
メディア:覆面集団
記者という個人たちが 己の発言(記事)に責任を持つことを拒否して
自分たちの感情的発言(=記事)が絶対的正義と主張し続け
日本社会を先導しているという自負心を全面に押し出し
自分たちの基準で「報道をしない」自由をふりかざし、
一人一人が選んだ獲物を、集団で断罪することに血道をあげている組織
そのくせ「記者個人」・己の素顔を隠し身元を隠し続け、身内でかばいあっている集団
自分たちの不祥事を隠すために お手盛り第三者委員会・自分たちが選んだ『識者』等に絶対的権威をまとわせて
自分たちがターゲットに選んだ生贄を断罪したあげく 社会的抹殺を執拗に実行する
(昨今では フジTV:中居氏の問題)
圧力団体
どこかから金をもらって 恣意的な主張を「絶対的正義」と叫び
メディアと組んで 政策そのものを動かしていく集団
議員とメディアと癒着した存在
今も昔も 「じんけーん」と叫ぶのが大好き
ソフトなタイプでは「動物愛護」である
ターゲットの発言を捻じ曲げて拡散して 社会的排除・暴力的排斥するのが得意技
昨今ではレインボー集団による杉田水脈氏への 執拗なネガティブキャンペーンと暴力的威嚇・脅迫行為
(ちなみに 杉田氏の「生産性」という用語そのものは 某学派の経済用語であり、個人の人格を貶めるものではないのだ。そのことを指摘した「LGB問題のパイオニア的存在であるゲイの男性」も 圧力団体からフルボッコされて生活をかなり脅かされていましたが。)
・日本を kのような機能不全状態に押しやった・追い込んだ元凶として
↓
・日本を このような機能不全状態に押しやった・追い込んだ元凶・主戦力・主導者として
構成員が抱く『所属する組織・制度』への信頼が壊れ
「責任感」がなくなり
無秩序がはびこることにより、「法」への信頼が消失し
「恣意的な法の運用・制定」が始まり
無法者社会へと一気に突き進むことである。
この「恣意的法の運用・制定時代」の象徴こそが 阿部政権 であったのだけど。
今や 「無頼漢の象徴」が フジTVとA家である
「被害者面して騒ぐ保護者」に関しては、そうなるに至った経緯(子供を預かる場の機能不全)という
本質的課題もあるので 頭っから否定してかかるのは良くないけど
逆に言えば そういう保護者のこどもは 本質的な素因と環境的な要因が複雑に絡まった「発達課題」がくっついているから、まともにかかわった教師と児童がバカを見る(不利益を押し付けられる)という現実が伴うことも また事実なのである
要は 「学校教育現場 そのものが 不合理極まりなく 不正がはびこる場である」
ということだけが 日本全国に言えることであって
それ以外のことは ほんとに ケースバイケースで 上っ面だけの「報道」から わかることなんて何もない! ということです。
まあ 地元紙は その辺わかって 慎重な定型文で報道しているから
報道そのものは無機質で良いのだけど。
そこに「色」を付けて 騒ぐ輩・金づるとして利用とする「記者・メディア」がはびこっていることそのものが問題なのだ。
そう言う意味では 全国展開 全国区で荒稼ぎする 記者・メディアって ほんと糞
責任感なく 己の主張だけを強弁して好き勝手する輩でしかない
言葉をかえせば よその話題で 騒いで憂さ晴らしする読者も糞ということになるのだけど・・
それを言うと 私の投稿も同類といわれかねないな (;'∀')
というわけで
「身近な問題を 地元で解決できなくなったことが 一番の問題=現在の課題」と締めくくっておく
それはまた
「当事者」の範囲を明確にして、当事者の責任を問えない構造そのものが問題 ということであり
「当事者間での解決」ができないときに、仲裁・判定を下して 問題解決に導くのが「裁判の役割」
という基本がないがしろにされいてる 今の 日本の制度の機能不全が問題
ということでもあるのだけど
・・そして 日本を kのような機能不全状態に押しやった・追い込んだ元凶として
メディアと圧力集団の責任を 私は この日記でず~~っと 訴え続けているわけでもある
https://news.yahoo.co.jp/articles/bc0dad4a1a01b137ce70f5e4252fd47413a63c38
7/11(金) 13:42配信 中国新聞
勤務する小学校で児童を羽交い締めにしたとして暴行罪に問われた広島県福山市立小の男性教諭(37)の判決公判が11日、広島地裁福山支部であった。松本英男裁判官は無罪(求刑罰金20万円)を言い渡した。
起訴状などによると、男性は昨年5月10日、掃除の時間に校庭で上履きのまま遊んでいる当時6年の児童(11)を目撃。逃げる児童を注意しながら追いかけ、右腕をつかむなどした後、児童が足で蹴って暴れたため羽交い締めにしたとされる。
福山東署が児童の保護者から被害届を受け、昨年12月に傷害容疑で書類送検。福山区検は暴行罪を適用した上で略式起訴した。一方、男性は福山簡裁の罰金10万円の略式命令を不服として、正式裁判を申し立てていた。
公判は今年4月に始まり、検察側は「児童が痛みで抵抗できなくなるまで羽交い締めを継続しており、過度な力の行使であることは明らか」などと主張。弁護側は「暴れる児童を止めるためで正当な行為」と反論し、無罪を訴えていた。
男性は現在、別の小学校に勤務している。
◇ ◇
・この件に関しては 記事からは何も判断できなかった。
ただ 「学校」という所は、まっとうに教師をやっていれば、逆に迫害される場所であるということは事実なので、
問題児・被害届を出す保護者・自己保身管理職・がワンセットになったケースでは、略式起訴で済まそうとした検事(丁寧な調査をせず 一方の言い分の身にモノとづいて 己の判断を正義とする検事)が 一番問題なのだ。
なので きちんと 裁判所で審議した判決を 受け入れるのが一番良いと思う
何しろ教師にとっては 失業か否かという生活が懸かっているのだから。
男子生徒と一緒になって猥談するのが 生徒と親しくなるコツだと主張する男子教員も珍しくないし
同じく女子生徒とみだりに接触する男子教員もありふれている(とがめられない)のが 平成以後の学校でしょうが
大学の教員からして ハーレムづくりに励んで
単位評定でパワハラ・セクハラやる人がどこの大学にでもいる状態で 被害を訴え出た子がさらに追い込まれるのが日本の大学でよくある話なのに!!