殺人未遂容疑で76歳父を逮捕
- カテゴリ:日記
- 2025/08/06 15:01:44
古谷隆信容疑者76歳が逮捕されたのは、自らが自首したからだという、驚くばかりの事件が、テレビで報道されていました。あまりにも日常からかけ離れた事件って、私の想像力の欠如かもしれませんが、嘘の話のようにも聞こえます。どうして?どうして?なぜ?いつも衝撃的な事件で思う事をいつもアホみたいに何度も同じく問い続けてしまいます。アホなんかなやっぱり私って。と、なんも人の気持ちわかってない事に、自分の想像力の無さに、こんな人も本当にいるのか、という事実に、鳥肌がたつ。
本当に悲しい殺人事件のニュース。そういう報道があると、地球上で一日でも殺人事件がなかった日は無いっていうのは本当かもしれない…と悲しい気持ちになる。人が人同士で争っている。その理由は…?と、考えてもさっぱり推理できない事のほうが多いけど、古谷容疑者の場合は、悲惨な暴力が背景にあったという。
暴力をふるい続ける人は殺さない、被害者が殺す。
これは本当になぜなのかと思う。古谷容疑者を加害し続けていた長男という人物、これもまた恐ろしい人物であるが、その暴力を行使していた人って、殺さないんですよね。殺さないまでの暴力をふるい続ける。でも、ふるわれ続けた被害者は、殺してしまうんですよねぇ…。これは本当に人って、誰が恐ろしいかって、「私暴力ふるわれてるんです…」っていう人ですよね。もういつかニトログリセリンのごとく暴発するのが確実なのが、暴力の被害者といえますよね。怖いですよね。そう考えると、暴力は被害者も加害者にしてしまう本当に何もうみださない、ブラックホールでしかないものであり、ダメっ!絶対!のものなんですねぇ。
肉親憎悪の念
この前誰だっけ…日本の小説家で江戸川乱歩の小説で、肉親憎悪という言葉を使って親子が憎しみあい罵りあうのを描いた作家をこの日記にも書いた。肉親憎悪、という言葉が戦後から、あったからには、現代でもやはりこの憎悪という感情はさほどマイノリティーな感情ではないのだろう。という事が、今日の古谷容疑者の事件でも、実際にそういう事って肉親憎悪って、あるんだなぁと実感として心に沁みた。
暴力
女親と娘の場合の虐待、暴力と、男親と息子の間の暴力虐待というのは、同じともいえるが、少し違うかもしれないと、古谷容疑者の事件から学んだ。というか、生きてる年代も違うし、事件の原因には日本の「家の恥」という概念が見え隠れします。もしそんな概念に縛られなければ…という気もしますが、それが男と女の違いかもしれません。私は女のほうにいるから、古谷容疑者の事件をみて「なぜ…なにもそこまで」とか考えるかもしれませんが、男には、男として生きてきたから、譲れなかった…できなかった。相談という事が…という、家の恥、家の名、男として。とか、そういう女にはとても追いつけない妄執が渦巻いているような気がします。女親と娘だったら、もっとバレずにヤっちまって、自主せずにしれっと生きてたんじゃないか、とか思いますが、古谷容疑者のしたこと、自首という行為には、どれだけ男の人が自分と社会が切っても切り離せないものであるのかを、教えられた気がしました。そういう意味では、江戸川乱歩の夢遊病者の死にでてきた親と子の肉親憎悪が、どれだけまだ救いのあるものだったのか、絶望的だとおもえたあの作品の中の親子を超える絶望が、現実ではありえるという事が、嘘でもなんでもないこの今の時代のこの現実という現実こそが、最も恐ろしい絶望的な状況を創出しうるという事が、本当に生きることって恐ろしいというか、人間って恐ろしいというか…。色々と考えさせられるものがあります。不可解な犯罪を知れば、あの人って…と恨めしく思う人にも、でもあの人もどんな酷い境遇だったかもしれないと許せる一助になると私は思うんですが。どうだろう?