毎年この季節は
- カテゴリ:日記
- 2025/08/13 11:16:01
日航機墜落事故。私はこの時アメリカのある場所に旅行していました。
ホテルに戻ってテレビのニュースで、突然なにか真っ暗な山が映し出されて、飛行機事故があったと。
それが日本だったと知った時、その場から動けなくなりました。
あれから40年、テレビでその報道が繰り返されると、申し訳ないと思いながらテレビを消してしまう。つらすぎて見ていられない。昨日も残された遺書が映し出されて、その時の悲しみを感じたらもう、、、、
そして、終戦記念日が近づくと、テレビの報道も、日本が戦争を起こしたから2度と繰り返すなという正義が振りかざされる。謝罪し続けないといけないという正義。
原爆を落とされても日本が悪いと。声高にアメリカを責める論調にはなぜかならない。
あの時、戦って、飢えで命を落とした兵士たちは80年経っても謝れと言われていることを知ったらどんな気持ちだろう。
戦争がいけないのは誰だって知っている。その歴史を繰り返してはいけないとは誰もが思う。
それでも、あの時代戦った人を静かに弔いたい。
靖国神社に行くことが戦争美化に繋がるとは私は考えない。
そんな私の正義は、違う考えを持つ人の正義とは相いれない。
SNSでもテレビでもこの季節は、正義がぶつかり合う。
だから心がもちません。
なるべく戦争を扱った番組は見ない。風化させてはいけないのはもちろんだけど。
私の父はシベリア抑留して、長い時間シベリアで捕虜として生きました。
その体験を聞いた時に、そこで生きることができなかった多くの兵士がいることを知りました。
ただただ静かに手を合わせたい。それだけ。
あのデモは中核派なんですね。あさま山荘、三菱重工爆破、暴力で世の中を変える思想でしょうか。
かつて大学にはヘルメットかぶった人たちがいましたけれど、今でも中核派には若い人もいるのかな。
昔、日本赤軍というテロ組織もありましたね。すごい時代だったな。
極左共産主義の人たちは過激ですね。所かまわず反対の声をあげてる。
実は私の父はずっと昔は共産党支持だったんです。今思うと、ソ連で共産主義を叩き込まれたのでしょう。
晩年は全く違いましたが。
政治に声をあげるのはまだわかりますが、あの広島の慰霊祭を邪魔するのはどう考えても、、、、核廃絶、戦争反対を掲げるのならだまって追悼しろって思いますけどね。そんなことしているから理解されないんじゃないの?
まあ、これが彼らの正義なんでしょう。絶対に相いれない正義。
お母さま、本当に命が助かってよかった。それがさんえんさん、娘さん、お孫さんへとつながりましたね。
生きられなかった人の分まで生きなくちゃね。平和が続きますように。
こうして思うと、命って奇跡ですね。(私の父も何度も何度も死を覚悟したそうです)
デモですね。
あれは中核派です。核廃絶、戦争反対の同じ思想ではあるのだけれど、それを求める角度と色が一般市民と違います。また、訴え方も違います。政治の在り方を問題視しています。共産主義ですね。たとえば天皇制廃止とかいろいろあります。反帝国主義です。まあまあそもそもの原因はそこにもあるよねって部分もありますが・・なんとも過激。彼らの活動(デモ)はこういった戦争関連で政治家等各国の指導者が集う所(G7もそうでしたね)です。ですから広島に限ったことではありません。
飛行機は・・自分も緊張します~~。今月末に香港行くんですが・・緊張する~~(>_<)。
シベリア抑留・・もう言葉にはなりませんね。生きて帰ってくださったことになんと言葉をかけられることができるんでしょうか。
これは言ったかも知れませんが、戦争当時広島も働き手の男性は戦争へ行くものですから広島の路面電車の運転手は多くの若い女性が担っていました。母も運転していました。原爆投下の日、母は同じ運転手の休みだった同僚から用事があるので変わってほしいと頼まれて運転を交代しました。そしてその同僚は出発して原爆の直撃にあい亡くなられました。母は被爆しましたが命は助かりました。もし交代していなかったら・・。
今回原爆2世3世4世で灯篭流しをしました。その人の分も大切に生きよう。そういった思い。平和の思い。追悼の思い・・言葉にならない思いを込めて流しました。
大きな旅客機事故が起こると、そのあとに飛行機に乗るのが怖くなります。
当時、JALで日米を往復していた身でも、乗らずにはならない環境でも怖かった。
今でも離陸時と着陸時は身構えてしまいます。
さんえんさんは被爆2世でしたか。広島や長崎に暮らしている方は多くがそうなのでしょう。
その方たちの思いは、私たちが安易に語られるものではありませんね。
戦争を終わらせるために仕方がなかったというアメリカの理論がどれだけ被爆者を傷つけるものなのか。
それに乗っかって日本が悪かったから原爆を落とされたという日本人でさえそんなことを言う一部の人たち。それだけは私は受け入れられない。
ひとつお聞きしたいのですが、原爆慰霊祭でいつもデモをして妨害している人がいますが、あの人たちは何を訴えているのですか?
父は私に戦争を語りませんでした。今から思えばソ連に思想教育もされたと思います。
唯一、孫(私の娘)が学校の宿題で、おじいちゃんから戦争の体験を聞くというのがあって、実家に行ったときに、詳しく話してくれました。父が亡くなる前に聞けたのは貴重でした。
それとともに、よく生きて帰ってくれたとの思いが溢れました。帰還したときは、ガリガリにやせていて幽霊のようだったと私の祖母が言っていました。
ずっとずっと当たり前にひとりひとりが明かりを灯して暮らせますように。
静かに手を合わせましょう。
もうすぐ終戦記念日ですね。戦争の犠牲になった世界のすべての人に黙祷しようと思います。
私は原爆2世であり現地(広島)の人間であり、今のおおかたの広島人が原爆をどうとらえているのかを身にしみて知っています。今回広島知事が、長崎では市長がスピーチをしました。何かと異議をつけて反論する自分ですが、ちゃんと思いを(市民・自分の)正確に伝えてくれたスピーチに感謝しています。そのスピーチが世界に届く(効果ある)はずもありませんが、まぎれもなく本当の思いを言ってくれたことに救われます。
お父様も大変な思いをされたんですね。夜にウォーキング&ランニングをできるだけ行っているんですが、一軒家やマンションそれぞれに家庭の明かりが灯っています・・当たり前ですが(;'∀')。その明かりひとつひとつにストーリーがあるわけですね・・当たり前ですが(;'∀')。
私たちは、ただただ静かに手を合わせたい。それだけ。私もです。それが灯篭流しです。
原爆を2度も落として、一般市民を大量に犠牲にした。にもかかわらず、アメリカはその原爆を正当化する。
たぶんアメリカでもこの原爆の被害についてはそんなに知られていない。
私も広島の原爆資料館に行きました。辛い歴史がそこにありました。
80年経っても敗戦国はなにも言うことはできない。それが現実。
せめて、日本国内では戦争で犠牲になった兵士、一般市民に静かに手を合わせたいですね。
当時、ものすごくこの広島原爆の勉強に熱心な先生と、
そうでもない先生の空気感を、中学生ながら感じてました。
実際、被爆者の方の現状を知るのは、とてもハードなことで、
ショックも大きかったです。
原爆記念公園で、慰霊祭も行いました。
その修学旅行から、40年以上がすぎ、
果たして、何か変わったことがあったのだろうか、
自分にできることがあったのか、
ものすごく、むずむずしています。