Nicotto Town



【小説】限りなく続く音 7


 絶え間なく聞こえる蝉の鳴き声をくぐって歩く。気持ちとは裏腹に、坂道は海への足を早める。国道沿いに走る単線の線路をまたぐ時、見下ろした海は朝の陽光の中でまだまどろんでいた。青空に取り残された不安のような灰色を抱えて寄せてくる波が見えた時、(帰りたい)と思った。
 草太はすぐに見つかった。海には入らずに、浜に下りる階段の途中に腰掛けてぼんやりと海を眺めていた。ドーンと響く重い波音。波が高くて入れないらしかった。
 私も草太の隣に腰を下ろして「怖い?」と訊ねた。
「怖いよ」
「私も怖いよ」
 遠い水平線は静かに見えるのに、近づいた波は暗い色彩の中に何もかも呑み込んでしまう口を開くように突然膨れ上がり、荒々しく波飛沫を上げてドーンと吠える。途方もなく巨大な生を目の前にして、小さな生き物は怯える他にないのだ。
 だが、草太は私の質問の意味を取り違えていた。
「俺、時々怖くなるよ。いろんなこと」
「いろんなことって?」
「こんな荒れた海に入ってブイの向こうまで泳いで行きたくなる自分とか」
 草太の言う意味がよくわからなかった。それこそ怖いもの知らずの考えだった。波の轟きがゆっくりと胸の底まで響いた。
「だめだよ草太、今日は泳げないよ……」
「うん」
 遠くを漁船が横切って行くのが見えて、私はふと思いついて岬を指さした。
「草太、今日はあっちの方へ行ってみようよ。展望台があるの」
「どこ?」と目を凝らす草太に「四阿があるだけだけど」と念を押して、先に立って歩き出した。
 弧を描く砂浜に沿った道を歩いて、山へと続く細道の入口で曲がる。養殖場の脇を抜けて、急坂を上ってゆくと、小さなトンネルが黒い口を開けていた。立ち止まって待った。後からついてきた草太は「ちいせえトンネル」と、やっと笑みを見せた。
「真っ暗だ」
「うん」
「おばけ出そうだな」
「行くのやめる?」
「ううん、行く」
 二人並んで歩けばいっぱいになってしまう幅と、大人なら頭がつかえそうな高さの狭いトンネルだ。片側に点々と取り付けられた明かりが鈍い光を落とすだけで、出口の光がやけに遠くに見える。中程まで来た時、暗さが増して思わず足を止めた。
(何で急に暗くなるんだろう…)
「…ああ、明かりが切れてるんだ」
 落ち着いた草太の声に、そちらを見た。顔もよく見えなかった。今度は草太が私に訊ねた。
「怖い?」
「…うん」
「俺も怖い」
 草太は私の手をぎゅっと握って走り出した。
「出るぞ!出るぞ!何か出るぞーっ!」
「やだーっ!」
 出口が遠い。
 緑に光る外の世界へ向かって、私たちは叫びながら走った。笑い声がトンネルじゅうにわんわんと響いた。大声を上げて日差しの下に飛び出すと、辺りの色が黄ばんで見えた。まぶしさに目を細めて止まり、トンネルを振り返った。
「すげえ怖かった!」
「私も!」
 顔を見合わせてアハハと笑った。私の手を握る草太の手にはぎゅっと力がこもっていた。私も手に力をこめて草太の手を握っていた。
 私たちは、本当に、怖かったのだ。

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