Nicotto Town



【小説】限りなく続く音 22(完結)


 翌朝、皆で揃って海へ向かった。明け方に降った雨が道路を濡らしている。日が昇ると、蝉たちが一斉に鳴き始めた。また暑くなりそうだ。父が空を見上げて「また降るかもなァ」と言い、「大丈夫ですよ」と夫が答えた。
 監視所には『注意』を意味する黄色い旗が立っていた。少し波が高い。息子が波打ち際へ駆け寄るのへ、母が「気をつけてよ」と繰り返した。私と夫はパラソルを立てて、シートを広げた。父が息子につききりでいるから大丈夫だろう。夫は昨日の運転の疲れがまだ抜けないのか、日焼けローションを塗ってシートに横たわると、あっという間に鼾をかき始めた。
「千夏もあれから海に入らないねえ」と母が言った。
「うん。…でも、今年は泳ごうと思って」
「そう」
 波音はずっと変わらない。おそらく、これからも変わらないのだろう。
 永遠に響く海の言葉。
 それが何を叫んでいるのか、知るのがずっと怖かった。
 日がさっと翳って、ぱらぱらと雨が落ちてきた。波打ち際で遊んでいた息子と父が慌てて戻ってくる。飛び起きた夫が雲の流れを見て「すぐに止みますよ」と言いながら、息子の体をタオルでくるんだ。程なく、雨は上がった。息子が父の手を引こうとする。父は「今日は水が冷たいわ、体あったまってからな」と息子を座らせた。
 雲がどんどん流れて、真っ青な空が広がった。私は太陽の熱を受けて、顔を上げた。
 太陽の周りを、丸い虹が囲んでいる。
 私はそれを指差して、息子の名を呼んだ。
「草太、見てごらん、丸い虹だよ!」
 草太が虹を見上げて目を細めた。
 名前を呼ぶたびに、あの夏がよみがえる。
 絶え間なく降り注ぐ蝉の鳴き声、波の上を渡る潮風、風に揺れる梢のざわめきと家を満たす風鈴の涼やかな音色、「ちなつ」と私を呼ぶ草太の声。
 あの夏は海のように終わりなく私を呼び続けるだろう。だから私も呼び続けよう。
 その名を。
「草太、一緒に行こう」
 私は草太の手を取って、海に向かって駆け出した。


(了)


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