霧島、部活やめるってよ
- カテゴリ:日記
- 2025/08/30 01:16:07
久しぶりに観て・・・・
霧島がバレー部をやめたという噂は、校内ヒエラルキーの均衡を鋭く断ち切った。彼はエースであり、勝利の象徴であり、同時に青春の光の中心でもあった。その不在はただの空白ではなく、周囲の人間を強制的に位置からずらし、世界の輪郭を歪ませる刃のようなものだった。
バレー部のキャプテンが、苛立ちと焦燥の入り混じった表情でスパイク練習を続ける場面がある。霧島がいれば簡単に決まったはずの一打が、床に無様に弾かれていく。その反復は、エースを欠いた組織の無力さを冷酷に示していた。そこにあるのは単なる部活の不調ではなく、序列の頂点が崩れた社会の縮図だ。
一方で、映画研究部の生徒たちはその騒ぎを外側から観察している。彼らはカメラを回しながら、校内のカーストを映し出す。鋭利なガラス片のように、スクールカーストの歪んだ断面が彼らの画面の中で反射する。
しかし同時に、この映画はそこに救いをも描いている。霧島の不在が作った裂け目から、意外な線が交わる。映画研究部の少年と、孤立していた少女のささやかな交流。その一瞬は、破綻の中から生まれる新しい秩序を思わせる。
この作品の魅力は、青春の儚さをロマンティックに飾り立てないところにある。むしろ、青春の不安定さを鋭く切り取り、その痛みに光を当てている。そして同時に、その痛みの奥にかすかな幸福を忍ばせている。
夕暮れの屋上に吹く風の中で、彼らは確かに失ったものを抱えながら、それでも自由の匂いを吸い込んでいる。その姿に僕は、痛みと幸福が不可分であることを感じる。
バレー部ってイケメン少ないイメージだけど
今は違うね~@@