『インターステラー』
- カテゴリ:日記
- 2025/08/31 18:00:54
久しぶりに観て・・・
たとえば、ある晩、僕は冷蔵庫に残っていた赤ワインをグラスに注ぎながら、クリストファー・ノーランの『インターステラー』を観た。
宇宙の果てまで旅する物語だ。けれど、僕が見たのは、宇宙ではなく、父と娘の間に流れる時間だった。
映画の冒頭で、主人公クーパーはトウモロコシ畑を走り抜ける。風が吹き、粒子が舞い、時間が少しだけずれる。僕はその瞬間、村上春樹の小説に出てくる「井戸」のような感覚を覚えた。見えないけれど、確かにそこにあるもの。たとえば、失われた猫の記憶とか、耳の形をした静寂とか。
ノーランはブラックホールの中に「愛」を置いた。それは少し唐突で、少し詩的すぎる。でも、僕はそれを否定しない。なぜなら、僕たちはいつだって、論理ではなく感情で動いているからだ。クーパーが娘マーフに送るメッセージは、重力を通じて届く。それはまるで、遠く離れた恋人に送る手紙のようだ。届くかどうかはわからない。でも、書くしかない。
映画の終盤、クーパーは五次元空間に入り、過去と未来が交差する。そこには時間の直線性はない。あるのは、記憶の断片と、選ばれなかった可能性の残響だ。僕はそれを「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の地下世界に重ねて見た。そこでは、時間は溶け、言葉は意味を失い、ただ心だけが残る。
『インターステラー』は、科学の映画ではない。
それは、孤独と希望の映画だ。そして、僕たちがどれだけ遠くへ行こうとも、誰かの「ただいま」を待つ気持ちが、重力よりも強く僕たちを引き止める。