Nicotto Town



不死についてのお話。

人は死について考える事が絶対にあると思う。

命と言う物はきっと、何よりも「掛け替えのない物」そう考える人も少なくないのでは無いだろうか。
ただその中でも人間と言う生き物は、ありとあらゆる生物の中で「観測」「現代の研究」でわかっている範囲内で自らの意思で「死」を選ぶ事がある不思議な生き物でもある。
そう言った自ら「死」を選択して生命活動、「人間」としての存在を断つ人もいれば、逆に不死を望む人もいる。

具体的に言えば、人が死を避ける例として「錬金術」と言う物がまだ盛んだった時代に、ありとあらゆる権力者が不死を望んだ。
その不死になる方法が、錬金術によって成し遂げられる。
俗に言う「賢者の石」と言うものだった。
ただ賢者の石で不老不死になるにはそれを飲み込む必要があった。
その結果、「錬金術」によって産み出された賢者の石のプロトタイプを飲み込んだ結果、皮肉な事に絶命してしまう権力者もまた絶えなかった。
錬金術とは化学であり、化学とは錬金術だと私は思う。
実際、錬金術で賢者の石を作ろうとする中で「王水」等の現代も存在している物質が構築された事も事実なのである。

そして私は、自分がもしも「不死」になったらを考えてみた。
「友達が皆先に亡くなってしまう」
それに耐えられなくて不死を望まない人もいると思う。
ただ私はそれ以上に、長く生きていく中で私の身体の部位が切断されてしまったりした場合。
本来で有れば死ねるはずなのに、そのまま一生死ねないまま生きたまま朽ちていくのが怖い。
「永遠」は私にとって、それが幸福な事であれ不幸な事であれどちらにしても恐怖である事には変わりない。

そう思うと、おおよそ80年くらいと言うのは丁度良いのかなって思って生きてます。


補足: この記事は筒井康隆氏の短編小説「永遠に」と言う作品の影響を受けています。

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