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偶然、中村玉緒 認知症で「快活な表情消えた」報道にショック広がる…パチンコ通いから一転の闘病生活(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース

https://news.yahoo.co.jp/articles/9c2880d101b8902463445be7901bb98bd8f21361
10/9(木) 21:25配信

の記事を読んで 疑問を抱き、中村玉緒の家族について調べてみた。

というのも、この記事からは、彼女の夫・息子に続いて娘にまで裏切られているかのように読めることに、以前からの疑念が再熱したから。


以前から、
・夫 勝進太郎の「パンツは もうはかない」事件
1990年、ハワイ(米)入国時、マリファナとコカイン所持で捕まった後のインタビューで。
 ↑
 なぜか その後 急に「夫大好き」発言がふえた。
 夫をかばうにしても 自分が責められないよう そつなく振舞ってるなぁ。まあ あきれはしても 嫌な感じはしないからいいかぁ・・・

・息子 奥村雄大の座頭市 日本刀事故 1989年

・1997年「夫死後の巨額借金返済に奔走する妻」としてバラエティー番組への露出激増
 
 ↑あまりにも屈託なさそうなおばちゃんに、かすかな違和感
 そこまで 明るく振舞えるの?(ここまで自分を演出できるすごい精神力)

・2019年 息子の孤独死の後、悲劇の母として、息子の自立を促すために 2017年以後息子と手を切ったが・・と悲劇の母を演じる玉緒

 ↑さすがに・・
  母としては自己中すぎる発言では?
  息子は虐待(母からのスポイル)被害者だった可能性もあるでは?という疑問をどっかに投稿した。

・そして今回、老人ホーム生活と、娘と疎遠とあたかも娘から捨てられたかのような印象を与える記事

 ここに至って はっきりとした不信感を抱き いろいろ調べてみた。

その結果 次々と出てきた新情報

中村玉緒の息子鴈龍が死去!直前に絶縁を言い渡していた!
https://koimousagi.com/37125.html (個人サイト)

従来からのイメージ通りの情報の最後に付加されていたのが
 元「勝プロダクション」関係者の談話として
・武ちゃんが自分から怠けようとしたとは考えらえれない。
 思うように地ごとが来なかっただけではないか

・(2000年に上演された雁龍さん主演部隊「悪名」では)嬉々として演じていた。大張り切りだった。役者の仕事が嫌いなわけでは決してなかった。

を読んで、さらに徹底して調べてみた。

その結果

鴈龍、あるいは鴈龍太郎——奥村雄大さんの死について。|田崎健太(ノンフィクション作家)
https://note.com/tazakikenta/n/n2eaf87239329
2019年12月6日 11:11 田崎健太(ノンフィクション作家)

の記事発見! それを読んで愕然とした。

息子雁龍氏は 完全にメディア報道により、「ダメ人間」と烙印を押され、人生をつぶされた人ではないか!

あれだけ 家族を語っていた中村玉緒は 事実を公表することなく、ただただ 自分は「不詳な息子を思う母」を演じて自分の好感度上げに 息子を利用し、そのネタではやっていけなくなったら、さっさと息子を自分の人生から追い払って、それすら「息子のため」と美談に仕立て上げた とんでもない人!
(こういう母親は おおいけどね~) と絶句した。

ちなみに 雁龍氏の いろいろな写真を見て感じたのが、
・この人 穏やかな人の好さそうな感じ、喧伝されている悪たれ坊主とは違う

・ここまで太ってたら 出演作を見つけるのも大変だろうなぁ
 デビュー当時は細身のかっこいい人だったのに
 同居家族との食生活に問題があったのかな??

 玉緒は細めなのに、夫も息子も(娘さんも)太る一方
 おかしいのでは?
 「餌付け(甘やかし虐待)」で太らされていたの可能性は?? とまで思った

そしてさらに検索を続けて・・
中村玉緒 長女が車いす生活に…81歳で直面した逆介護の悲痛 | 女性自身
https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/1978558/
2021/06/25 14:42

「長女・Aさんは10年以上も(玉緒の子x人事務所の)社長を務め、玉緒さんを公私ともに支えてきました。しかし病気のために歩行も困難になり、社長を退任せざるをえなくなった」

そのため代表取締役には81歳の玉緒さんが就任しました。役員は玉緒さん、Aさん、そして長男の鴈龍さんという家族経営の会社でしたが、鴈龍さんも2年前に亡くなっています」

文面通りに読めば、息子雁龍氏は死ぬまで役員だったことになる。当然 帳簿上は役員報酬を受け続けていたはずだが、実際には孤独死(心不全で急逝したが死後何日も発見されなかった)もしかして 役員報酬を玉緒がちょろまかしていたの??という疑惑すら・・

「Aさんは勝さんのように豪放磊落で、ふくよかです。かつては女優として活動しており、勝さんの主演ドラマなどにも出演していましたが、ある時期から母・玉緒さんの付き人や個人事務所の社長として裏方に徹するように」

・秋に娘さんの体調が悪化して車いす生活になると
 翌年の6月には 娘と別れて暮らす玉緒の記事が出ている。

中村玉緒の家系図は?幼少期は舞伎界名門で何不自由ないお嬢様!
https://koimousagi.com/11371.html (個人サイト)

の家系図を見てもわかるように、玉緒は 歌舞伎界の名門のお嬢様!

玉緒と勝のwikiからは、
女優になりたい玉緒が 学生時代から 大毎で素人ながらも大女優待遇で採用され、端役をこなしているころ、大毎社長お気に入りながらも主演作のヒットを出せなかった勝進太郎と結婚

(建前は 勝の求愛となっているが、面食いお嬢様と 長唄三味線の名家の息子でスター候補生でもある色男とのウィンウィン婚だったような気がしないでもない)

まあ 勝も妻を大切にしていたようだし(笑) 

・「奥村利夫」は役者「勝進太郎」としての人生を死ぬまで演じ続け、

 歌舞伎界の名門お嬢様は、親の威光も夫の活躍も最大限に使いつくして、自分が望む生活を手に入れ、

夫亡き後は、「相愛の妻」物語で己を飾りたて 夫の名声を己の芸歴の引き立て役として最大限に使い、

息子の名誉を守ることなく、息子に降りかかった禍すら
己を引き立てる「息子思いの母役」として活用して芸能活動を展開、

その息子が 自分の芸能活動の足かせになってくると、「息子の自立を促す」という名目で息子をすて、

その結果息子が孤独死したら、バッシングネタにされないように「悲劇の母」として自分を売り出し・・

最後は 手足のごとくこき使ってきた娘が肢体不自由になったら、娘を放り出した したたかな女だなと思った。

それで老人ホームに入って認知症
それも 一つの演技だったとしても驚かない
 (人間歳をとれば 認知が衰えるのは当たり前のことですが
  したたかなお年寄りは その「衰え」すら武器にして
  自分の立場を築くというのは、「名門の末」にアルアル話なのであります)

というわけで 玉緒さんは 見事に 自分の生涯を
自己プロデュースしてしたたかに生き抜いてきたすごい人だなぁ、
それで 愛し愛され幸せな生涯だったなら ある意味うらやましいが・・ 

#日記広場:コーデ広場

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2025/10/10 11:43
(↓の続き)

言い換えるなら 雄大氏は 一度も薬物を利用したことはなかったのではないか?

妻であり母であった玉緒が 家庭内に薬物があったことを知らなかったと言い抜けるのは無理がある
息子が薬物に手を出していないことも 夫が薬物を使っていたことも知っていたはず

なのに 事実を語らず 記者の想像・捏造記事にまかせ、 悲劇の妻・悲劇の母を演じ続けてきた。

 それが意味することはなにか?!


逮捕されれば 尿検査もされる

それで 薬物使用が確認されたのは 勝新太郎のみ


 想像をたくましくすれば、父から命じられて?あるいは父から大麻を遠ざけるために
 大麻を処分しようと大麻を持ち出した娘と息子が 大麻密売容疑やら大麻取締法違反やらで逮捕された可能性だってある。

 そして1度目は姉弟で処分しようとして 密売容疑をかけられたらから
 2度目は 息子が一人で処分を試み・・
  ゴミ箱に捨てるわけにもいかず モタモタして再逮捕されたという物語だって 描くことはできる
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2025/10/10 11:38
(↓の続き)

 どんな風に雄大さんが亡くなったのかは、あまり知りたくない。勝新太郎の息子を演じることに疲れたのかなと思う。少しではあったが、縁のあった弟分として、向こうの世界で大好きな父親、勝さんに会って笑っていることを願っている。

◇ ◇

田崎氏に 心からのお悔やみを申し上げます

 そして 彼のためにも 雄大氏の名誉が回復されることを 心から願います。

雄大氏に無罪判決が下されたのも 当然の琴であったと理解しました。
 でも 世俗では 雄大氏が「知らなかった」と言い抜けしたと思われているのではないかなぁ

 気をはっていたら、ジェラルミンの模造刀と真剣の重みのちがいなどわからないだろうし。

 頸動脈から噴き出す血はものすごい勢いで 体内から血が失われるまで(正確には大量出血による血圧低下が進むまで)止まることなく噴き出すことは、 動脈採決時の過失被害者の立場から容易に想像できる。
 手にもっていた刀に触れた人からの出血なら その血を全身であびたかもしれない24歳の若者のショックは想像を絶する。

 その彼をいたわることなく 捏造記事の誹謗中傷の渦に叩き込んで沈黙を強いた母親の非情さ

 そもそも 姉といっしょに 18歳の時の大麻密売逮捕されたのも、
父親の勝が麻薬を常用していたことが関係しているのでは

 1978年 勝のマネージャーと弟子が アヘン所持で逮捕
     勝は26g(当時260万円相当)のアヘンと吸煙器の処分を依頼した疑いで逮捕

 1982年 姉と雄大が大麻密売で逮捕
 1984年 雄大大麻取締法で逮捕

 1988年 父が監督する映画の撮影中の事故

 1990年 勝進太郎 マリファナとコカイン所持で現行犯逮捕

 1991年 勝進太郎 麻薬及び向精神薬取締法違反の容疑で逮捕され、懲役2年6か月執行猶予4年の有罪判決

このように列記すれば、
 1978年の時点で 勝はすでに麻薬に手を出しており
  発覚するたびに マネージャーや弟子、続いて 娘や息子を身代わりしたてて
 1990年まで 各種の麻薬を使っていた 可能性濃厚

一方の雄大は、1984年以後は麻薬類と無縁
 10代で薬物をやると そんな簡単に抜けられないのに、その後人生 薬物と無縁ということは
 過去2回の逮捕も 薬物の所持はあっても薬物は利用していなかった
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2025/10/10 11:38
(↓の続き)

 この日、ジュラルミン製の模造刀に不都合があった。さらに予備の竹光の銀紙が禿げていた。代わりの模造刀を探すには、撮影を中止しなければならない。すでに撮影は大幅に遅れており、監督の勝さんは苛立っていた。スタッフは勝さんと仕事をするのが初めての上、時代劇に不慣れだった。そこで撮影を停めることもできず、残っていた〝本身〟を渡した。斬り合いをする場面でもなんでもないから大丈夫だと思ったからだ。
 ところが、出入りの撮影であったため、多くの俳優がせわしく動きまわっていた。すれ違ったときに、雄大さんの持っていた刀が首筋に当たった。運悪く刀は頸動脈に当たり、血が吹き出た。そして一人の俳優が亡くなることになった。
 報道統制したこともあったろう、事故の背景はきちんと伝わらなかった。
 直後の報道はこんな風だった。
 雄大さんを身びいきで準主役に抜擢したのがそもそも問題だった。彼は甘やかされて育ってきた。その証拠に大麻で二度の逮捕歴がある。俳優として未熟な雄大さんを引き立たせるためにが引き立つために、勝さんがわざと本身を持たせた――。

 こうした世間の思い込みを引きはがすほど、雄大さんは強くなかった。
 勝さんは、本当に優しく、気遣いの人だった。雄大さんは勝さんのそうした部分を色濃く受け継いでいた。ただし、勝さんのような荒っぽさ、気の強さはなかった。それにも関わらず、勝新の強い息子を演じようとしていた。雄大さんは勝さんのことが大好きで、尊敬していた。偉大な父親に近づきたいとずっと藻掻いていた。加えて事故のイメージが彼を圧迫した。苦しかったはずだ。
 雄大さんはしばしば亡くなった俳優の方のお墓を訪れて、掃除、供養していた。
 最後に会ったのは二〇一七年二月のことだった。そのとき彼は今も墓には行っているんだよと言った。
「いっつもね、アサヒビールとショートホープと花を備えて。俺も煙草を一本吸ってから帰ってくる」
 丁度、このとき、雄大さんは引っ越しをしていた。落ち着いたらご飯食べよう、酒を飲みながら話をしようと言って別れた。その後、電話では話をしたが、会ったのはこれが最後になった。
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2025/10/10 11:37
奥村雄大氏の名誉回復を願ってのコピペ
 芸能メディアの忖度・憶測・捏造(創作)記事の闇に飲まれ若者の悲劇


鴈龍、あるいは鴈龍太郎——奥村雄大さんの死について。 田崎健太 2019年12月6日 11:11
https://note.com/tazakikenta/n/n2eaf87239329

 鴈龍、あるいは鴈龍太郎こと奥村雄大さんと初めて会ったのは、今から二十年以上前、まだぼくが二十代のときだった。
 「週刊ポスト」の編集部員だったぼくは、彼の父親である勝新太郎さんの連載担当になり、勝プロモーションに一時期ほぼ毎日、訪れていた。
 勝プロは六本木の麻布警察の裏にある、マンションの一室にあった。貫禄ある勝さんはもちろんだが、その他、事務所に出入りしている、何をしているのか分からないような、胡散臭い人たちに圧倒されていた記憶がある。
 そんな中、気を遣ってくれたのが、年の近い雄大さんだった。
 勝さんは人を褒めるのが上手だった。「うちの雄大とお前を代えて息子にしたいぐらいだ」と言われたこともある。。過去に同じようなことを言われた人間は沢山いただろう。雄大さんも「親父がお前を田﨑君と変えるなんて言うんだよ」と笑っていた。ぼくは長男で上に兄弟がいない。三つ年上の雄大さんという兄貴が出来たような、くすぐったいような気分だった。
 そのうち、雄大さんから誘われて二人で飲みに行くようになった。そのとき、彼の言葉の端々から、勝新太郎の息子であることの大変さを感じた。

 雄大さんは勝さんが監督を務めた「座頭市」で映画デビューしている。準主役の扱いだったため、大きな注目を集めることになった。勝さんの息子であるという期待もあったが、多くは父親の依怙贔屓で抜擢されたという冷ややかな目だったはずだ。その中で監督である父親から認められようと必死だった。勝さんの演出の妙もあったろう、緊張感のあるいい芝居だった。しかし、撮影中の事故があり、正当に評価されなかった。
 これについては『偶然完全 勝新太郎伝』の中で書いた。
 こういうことだ——。
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2025/10/10 11:37
(本文の続き)

息子さんと娘さんにとっては 毒親なのかもしれない・・わからないけど、その雰囲気濃厚、
もしかしたら悪妻でもあったのかも(それを承知で夫婦であり続けたのかな勝は) って思いました。 

まあ 夫婦そろって 役者らしい人生を歩んだと言えると思う 玉緒と勝新は。




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