Nicotto Town


悠遠の夢語


イデア論と神様のお話。

私は良く人の幸福を願う時に「祈ってます」と言うワードを使う。
ただそれは適切な表現では無く、それこそ「願ってます」って伝えた方が良い事に気づいた。
その理由は私は特に祈る神様がいないと言う理由になる。

前提として「神様」と言う存在を否定する訳でも無ければ「宗教」を否定する事では無い事を理解して読んでもらえると嬉しい。

私はソクラテス氏から始まり、プラトン氏、そしてアリストテレス氏の3人の人物に影響を受けた俗に言う量産型の哲学語る人みたいな感じである。

まずイデア論の簡単な説明として、私達は例えば斬新な椅子を見た時でも大体の場合にそれは「椅子」なのだと認識する事が出来る。
まな板だって言ってしまえば、見方によってはただの板に見えると思う。
ただ貴方はそれをまな板だとちゃんと認識している。
それはイデアと言う「物事の完成形」が存在している世界があって、私達はそれの影を見ている。
生まれながら人間にはイデアの影を見る能力が人間にはあって、だからこそ物事を認識出来る。

そんな様な解釈できっと良いと思う。
そしてそこで問題になってくるのは、イデアと言うのは「完璧な世界」なのだ。
その完璧とされた世界には「神」はいないのである。
だからきっと、イデア論を信仰する物に神の存在を説いたとしても「いや、いない。」と言う事になってしまう。
私はイデア論は好き。
だけど神様がいるって言う考え方も好き。
神話だって好き。
だからきっと、完成された世界なんて存在しなくて何処かに欠けた物があるのだと思っている。
余談にはなってしまうけど、神は7日で世界を創ったと言う言葉を耳にした事がある人は多いと思う。
ただこの言葉には誤りがあって、そもそも人類も何も存在していないところに「日付」と言う概念は存在していない。
だから一見、一週間で創ったんだ。
ってなりがちなのがややこしいって言うお話。

#日記広場:日記

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2025/10/15 23:24
> amilitaさん
これは…高尚と言う言葉で済ませて良いものではなく、私が一般的に禁忌とされる宗教に関連するお話について恐れ多くも語ってしまった事が原因で、これは私の明確な誤りであり罪だと思っています。

西洋の神話、というとギリシャ神話等が該当するのでしょうか。
その認識を元にお話をさせて頂くのですが、確かにギリシャ神話に出てくる神様は傲慢であったり慈悲に溢れていたり、憎しみや怒りの感情も見えてとても人間臭い。
実際の行いは少し規模がでかすぎる物が多すぎて読み物として楽しんでしまっていますが、人の為に何かを与えてくれた神様でぱっと浮かぶのはやはり人類に火と言う文明を与えてくださったと言われる「プロメテウス」でしょうか。

確かに日本の神様もお供えや生贄を要求していますね…。
少し思考がキリスト寄りになってしまい、頭からそういった考えが抜け落ちてました。
祟りなどそういった事が起こると言う俗に言う「禁足地」と呼ばれている場所が私の身近な所にも存在しています。
なので私ももはや、よくわからなくなってきてしまったのですが、神様が必ずしも人を救済するだけの存在ではない、と当たり前の事がやっと理解出来ました。

何もかもが神様が解決してくれるような世の中だったら、今頃人間はもっと堕落して醜い生き物になっていたかもしれませんね…。
そう考えると、最終的に自分で頑張ると言う事が一番しっくり来ます。

その例えに対する私の解釈はやはり、他の方へのお返事にも使った言葉になってしまうのですがやはりお守りの様な存在なのかなって思います。
と言って思ったのですが、そもそもお守りと言う存在自体が神様の力の一端なわけでそう解釈すると私は神の存在を認めている事になりますね…。

あみ様の祈りや願いとその覚悟。
そしてそれで得ようとしている願いの慎ましさを持つ事が出来る事に少し嫉妬してしまう自分もいますね…!
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2025/10/15 23:11
> ナナさん
きっとどちらに賭けた場合でも、オッズが異なる事は無いと思っています。
神様がいると思う人も、いないと思う人もどちらも同様にその思想を人に押し付けなければ自由な物だと思っています。

この世界があまりにも人類が生存するのに適している、と言った面等そういった事からも神様と言う創造主が存在した方が現段階ではこの世の未解明の摂理の説明がしやすいような気がします。

神様がいればサタンもいる、聖書ですね…!

信仰があってもなくても祈っても良いのかもしれないですね…。
私は神様に感謝をした事はありませんが、神をいないと考えて生きている私も何故か時として神に祈る様な時があります。
私にとっての神様はある意味、お守りの様な概念なのかもしれません。

生まれながらに苦しみを抱えていると言ったお釈迦様も、生まれながらに罪人であると言ったエホバもまた厳しいものですね…。
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2025/10/15 22:32
内容が高尚すぎて訳がわからなくなってきました。

神様について私も一言いいでしょうか。

西洋の神話の神様はとても人間臭いですよね。
なんだか人の願いや祈りを聞くというよりも、自分の欲望のままに動いて気まぐれに人を巻き込んでいくという感じがします。
頼まれたのかどうか知りませんが、勝手に人を花にしたり星座にしたり。

日本の神様はもう少し人間と一線をかくしているけれど、やはり願いを聞くけどその分何かお供えや生贄が必要だったり。
元々実在の人物を神格化した神社も多いし。
明治神宮や神田明神、天神様もそうです。

あと神様は祟ったりもしますね。

結局神にせよ仏にせよ、最終的には自分で頑張りなさいよということなんじゃないかと思います。
その頑張りを後ろで支える(?)のが、あれだけ祈ったのだからという気持ち。
お百度踏んだり、お茶断ちしたり。

もう少し生産性のある例えなら、あれだけ勉強したのだから神様も見ていてくれるはず。という気の持ちよう。

私も神様に祈り、願ったりするけれども、結局最後は自分で責任を負う覚悟でお参りしてます。
あまり即物的なお祈りはせず、日々を恙なく過ごせることを感謝するのがいいのかな。
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2025/10/15 22:12
神様がいるに賭けた場合と
神様がいないに賭けた場合とでは
オッズが異なると、
プラトンが言ったのでありましょうか。

神様がいる世界の方が
色々な事象の説明も、
つくのかもしれません

しかし、神様がいればサタンもいるはずで
二元論的な世界になりまする。


信仰があってもなくても
時に祈りたい気持ちになったり
時には神様に感謝したい気持ちに
なったりしますね
私たちは生まれながらに苦しみを
抱えていると言ったのはお釈迦さまでした
話が逸れました

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2025/10/15 20:39
> Ange。さん
ぼ、煩悩を取り払ったAnge様だ…!

そうですね…。
完成した世界等何処にも存在していなくて、この世は全てが得てして不完全なものだと思っています。
神話を語り継ぐことも、見えぬ神を信じる事も、滝に打たれる事も食を断つ事も全てその人が決めた事であって、もしも一般的な人が想像するような神様がいるのであればその様な事を望むのかな。
と思ったりもします。

凄くどうでもいい余談なのですが、イスラム教徒の方は豚肉を食べない事で有名ですが信仰の具合にもよるのですけど「日本まで神様は見て無いから」って言う理由で日本では豚肉を食べる方もいるそうですよ…!

キリストは本当に最も有名で最も信仰されている存在だと思ってます…!
「神なんていない」とAnge様が思っている事を前提に産み出される私なりの回答になってしまうのですが、本当に神様がいるのであれば人を救ってくれるはずなのにって思う事があります。
それこそ、貧しい羊飼いを救った様に。
その聖なる季節もまた、近づいてきましたね…!

私が好きなゲームの台詞なのですが、故郷が雨も降らず砂漠のような地帯で水を得る事すら困難な状況のキャラクターに対して「本当に神様がいるならお前の故郷に雨を降らしてくれるんじゃないのか」の様な事を言うのです。
本当に神がいるのかどうか、いると思えばいるしいないと思えばいないのかもしれない曖昧な物…なのかもしれないですね…。

とりとめに関しては私のコメントも記事も基本的にとりとめもない事なので、謝るような事ではないですよ!
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2025/10/15 20:26
おやまぁ随分と高尚なお話が交わされておりまするねぇ。
( ´ー`)y-~~

完成した世界などどこにもないからひとは神話を語り継ぎ、見えぬ神を信じてすがり、滝に打たれたり食を断ち、祈るのでしょうね。

わたしは基督の降誕劇のひと幕がとても好きで。
救い主の生誕をいちばん待ちわびていたのは世でもっとも貧しく卑しい職業とされていた羊飼いを生業とするひとたちであり、聖夜にまず初めに天使が舞い降りのは、貧しいがもっとも信仰心の篤い羊飼いたちのもとであったことも尊く。
「あなた方の救い主がきょう生まれた」と告げる天使らに畏れながらもひれ伏し涙する羊飼いたち、っていう場面で、毎年聖なる季節には感慨深くなり、涙がでるのです。

神なんて、居ないってわたしは思います。
ただ、神をもっとも必要とするひとのもとには、きちんと現れているのではないかしら。

とりとめがなくてごめんなさい。
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2025/10/15 20:02
> 天仙玉女碧霞玄君さん
こちらこそ、誤解を生む表現をしてしまい失礼致しました。
それと同時に、「祈る」と「願う」と言う言葉について再度考える機会を頂けた事に感謝しております。
ちなみに喧嘩を売られたとは思っていません、強いて言うのであれば久しぶりに人に釈明をしなければいけない場面が訪れてビックリしただけです…!
今日は天仙玉女碧霞玄君様のおかげで久しぶりに、刺激的で楽しい一日でした。

オリンピックの方に関してのコメントは思いつかないのですが、本日はこの様な私とお話をしてくださりありがとうございます。
「正直な言葉」であって「喧嘩を売る言葉」では無かったと思っています。
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2025/10/15 18:18
あぁ、「こうなったらいいな」みたいな希望の表明っていう意味合いね。
確かにありますね。そういう意味も。
納得です。

他人の子だけど、うちの子と呼んでしまうくらいよく知っている子、いや、もう大人だから子と呼ぶのもなんだけど、その子がミラノオリンピックに出られるかどうかの瀬戸際なので「祈る」とか「願う」とか言うと神頼みしか思い浮かばないのです。
失礼いたしました。
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2025/10/15 16:43
> 天仙玉女碧霞玄君さん
まず「願う」と言う言葉は確かに仰る通り、星や神様や他者にお願いをすると言った意味合いもあります。
ただ「願う」と言う言葉には、自分の「心の中で他者の成功を願う」と言う意味合いも含まれている言葉でもあります。
これについては、辞書等にも載っている通りの事なので相違は無いです。
私の文章が拙いばかりに誤解を生んでしまい申し訳ない反面、願うと言う言葉には上記の意味も含まれる以上、矛盾は無いのではないでしょうか。

そして改めて辞書を見てわかったのですが、「祈る」にも同じ様に自身の中で願うと言う「願う」と言う言葉と同様の意味が込められていたので、その点に関しては
「言い換えの理由にならない」と言うよりも、「言い換える必要がなかった」
と言う考えに至りました。
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2025/10/15 15:36
追伸。
別に喧嘩を売っているわけではありません。
一読して矛盾してるなぁと感じただけです。
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2025/10/15 15:34
???
願ってますも願う相手や物がありますよね?
星に願いを → 願う対象が星だけど実際は人知を超越した何か=神様みたいなもの
神様お願い → まさに神様に願ってるやん!
この件は君にお願いしたい → 目の前の相手
祈ってますの言い換えとしての願ってますなら3番目は祈るに言い換えできないので関係なく、言い換えたところで神や仏やそれに準ずる不確かなものに願うことになりませんか?
祈る神様がいないことが言い換えの理由ということになりませんよね?
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2025/10/15 14:46
> takaさん
わ、私も上手く説明出来ない部分というかなんというか曖昧な物なので、わりと雑な文章になってしまってたりします…!
神様にお祈りするよりも、願っているって伝える方がなんだか「私」が「貴方」を想っている事が伝わって良いかなってちょっと思ったのです…!
是非一緒に願いましょう…!
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2025/10/15 14:22
頭が白くなるような^^;
でも、「祈ってます」→「願ってます」
これはいいですね^^
今度からこれを使わせて頂きます。



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