Nicotto Town ニコッとタウン

スマホ版あります♪



ゴミのような人間。適応障害繰り返す奴。いま。

ニコッとタウン懐かしいと思いつつ、まだ存続していたことに少し驚いた。IDもパスワードもあやふやで入れるとは思ってなかったけど、入れた為健忘録として残す。

私は新卒で入った介護の会社を1年半ちょっとで休職。原因は適応障害。施設の女王かのような看護師(女)にだいぶ責められていたというか標的にされたのが決定打だったように思う。2ヶ月休職したうちに2ヶ月日勤のみの勤務にしてもらったが、夜勤もやってもらわないと正社員として雇ってやらんと言われて、無理だと思い辞めた。
ご入居様には最後まで辞めるとは言えなかった。色々酷いこともあったけど、情もあったから。

それから失業手当もらいながら仕事にありついたが、まあ無理だった。とある病院の介護補助。精神的にも体力的にもダメだと思い1ヶ月半程で退職代行を使って辞めた。

それからふらふらしつつ、単発の仕事や御中元やカレンダー処理などの期間限の仕事をやったりしていた。

ある時母親がコープ生協系の仕事のチラシを持ってきて、行くように勧められた。お仕事見学会、面接受ければQUOカード500円分みたいな感じだった気がする。
仕方ないので行ってみた。説明を受け、施設内を見学する。履歴書代わりに経歴を書く紙を貰って書いたら、何となく逃げられず面接を受けていた。

採用の連絡は早かった。仕方なく、半年は踏ん張らないと次の仕事に就きづらいと思いながらパート社員として入職した。
仕事は特に体力的にしんどいものだった。しかし1日の処理数は決まっている為、自分が処理できなかった分は他の人の負担になってしまう。
必死だった。周りは女性は少数で男の人ばかりの部署。追いつく、というかせめて少しでも他の方に負担を掛けないようにと必死だった。
要冷施設だった為、眼鏡が曇ることにある時勝手に1人でブチギレて翌週コンタクトになっていたのは良い思い出かもしれない。
そのうち10歳年上の上司とお付き合いを始めて速攻アパートに転がり込んだりしたが、そのへんは割愛。

気がつけば5年経った4月のある日。
朝から涙が止まらなくて、どうしても、出社したくなくて。
それから行けない日が増えて。なんとか会社の前まで行った日もあった。それでも気持ちが悪くなって会社には入れなかった。

再びの 適応障害 だった。

職場の管理者の体制が変わってから意見などを言うのを諦めて、我慢してしまったのが積み重なったのが原因かと思う。 

私は自分で自分の限界もわからないのだ。
ぷつんと何かが突然切れる。

2ヶ月休職。医者に無理言って復帰した。
当たり前だがそれは間違いだった。少し無理して長めに勤めた日、学生だった時ぶりにひどい過呼吸を起こし事務所に駆け込んだ。

結局また、会社にいけなくなった。

それからまた休職。医者ももう簡単に復帰を許さない。先日、今年一杯の休職の診断書が出た。

これが私のくだらない情けない現状だ。






いまもむかしもわたしにとってはじでしかない

だからごめんなさいしないといけないひとはたくさんいる

しかしむしろあわないのがあいてにとってしあわせだと

わたしなどいなかったことにするのがいい

おとなになってもくずはくずだったよ

すくなくともわたしのばあいはね

さよならばいばい

たびにでれるといいね

#日記広場:日記

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2025/11/06 04:01
失礼しますm(__)m

恥ではない。旅に出てはいかん。

感受性が強く、かつ、真面目過ぎるだけ、と察します。

夕月さまに幸あることを願います。



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