難しい政治の話
- カテゴリ:日記
- 2025/12/31 08:52:26
難しい話行きますよ。
最近、ちょっと政治学というものを勉強してまして、恥ずかしながら
分かったことを書いていきます。
まず、ヨーロッパにおける政治学というものは、古くは古代ギリシャの時代に
遡ります。この時代、ソクラテスやプラトン、アリストテレスらが人間の自由と
理想社会の実現について構想を始めます。
このとき、奴隷は人間として考慮されていなかったので、彼らの自由と理想社会は
誰かの犠牲無しには成立しないある種の欺瞞がありました。
時を経て中世ヨーロッパでは君主制が盛んになり、そんな中でキリスト教が発生し
キリスト=法、実際はカトリック=法、途中からプロテスタント=法のような
宗教上の宗旨や王侯貴族の欲望の実現が法のように機能していました。
この法は、現代の錬成された法律とは異なるものです。
しかし面白い事にカントらのような哲学者によって、王政による制約がある中でも
人間の幸福の追求や理想の実現について様々な科学的考察が行われました。
科学的考察というのは文字通り、情緒や情動に流されない分析的・科学的な考察
です。
やがて近代へと時代は移り、ミルやベンサムのような快楽を優先させるような
功利主義者や、マルクスのような社会主義者、アダムスミスのような経済学者が
現れました。
さてこれらは高校の公民で習う内容ですが、問題はここから。
実に1800年代から今に至るまで、政治学というものは発展し続けてきました。
特にアメリカ合衆国では政治学が盛んで、ハンナ・アーレントやシュトラウスの
ような第二次世界大戦の亡命者らも活躍しました。
アメリカ合衆国においてはプロテスタントの教義が幅を利かせていることもあって
まさにキリスト教の教義と古代ギリシャからの政治学を支持する者との間に熱い
論争が起きました。
人間の自由と権利とは何か、そこに守るべき古くからの因習や、キリスト教的教義
は必要なのか等の論争です。
論客には日本人が良く知っている「マイケル・サンデル氏」もいます。
政治学を学ぶとここら界隈が分かるのですが、マイケル・サンデル氏は特に政治学における
「正義」についての研究家です。
実はこれは本題ではなく、ここからが私の言いたかったことです。
日本は第二次世界大戦で敗戦国となりました。
そしてアメリカから憲法を与えられました。
これは日本が、彼らの提唱する正しい政治学を現実のものとして実践したとき
果たして彼らが理想とする「理想国家」になれるか実験国家になった事を意味すると思われます。
つまり彼らにとって政治は科学的考察に基づいた政治学の実践なので
まさに日本が実験体になった事を意味します。
そして、その結果が今の日本です。
平和を維持しながら文明を発展させ、寿命が延び、比較的安全で社会保障が充実しました。
この実験は成功しました。
ところが問題が一つ。肝心の日本人政治家がその事に気づいておらず
今の憲法はアメリカからの押し付けなので気に食わんというのです。
有名大で政治学を学んだはずの連中がまるで分っていない。
日本の憲法はアメリカ本国では実現できなかった理想的憲法であり、キリスト教の
教義にも縛られない完全体に近いのです。
どうした事か、大学で政治学・法学を専攻したはずの内閣府の大臣たちがまるで
理解していないのです。
皇統は男系男子でなければならないとか、やたら好戦的であるとか、特定の国家に
忖度したり、まるで政治を分かっていない。
一体、彼らは何を教えられてきたのでしょうね。































それにしても我が国の大臣は高学歴なのに全然行動と釣り合ってなくて
なんでかな~講義してくれた先生がダメだったのかな~と思っちゃいますね。
世界と戦えるリーダー・・・今のところ思いつかないです。
大臣になる人には、もう一度政治学を基礎から学び直して欲しいです。
とても勉強になります。
頭の良い人ほど?枠にとらわれがちな気がします。
自分の意見が絶対というか…
あと、頭の良し悪しで優劣つけたり、尺度としてみてる気がして、
そういうアホな政治家は日本を良く出来るとは思えないです。
自己を犠牲にする勢いで世界と闘えるような人にリーダーになって欲しいです。
「まつりごと」というのは民の幸せを願うものと
勝手に思っております。まー上に立つもののレベルで
民度が分かるらしいので、少しでも民度を上げるために
来年も精進したいかなーヽ(^o^)丿