おばあちゃんのこと
- カテゴリ:日記
- 2026/02/12 17:21:24
母方の祖母が生きていた時
私は祖母の家に毎日のように行っていて
いろいろな話をしていたのですが
ある日祖母がこう話してくれました。
「うちの家は実は武士の家だった。
でも(豊臣)秀次さんの切腹の時にお寺で切腹しようとしていたら
住職さんが出てきて【この人は良い人だから命だけは助けてください。その代わりにお寺の庇を低くしますから】と言ってくれて命を助けてもらい、その後武士ということを隠して生きてきた」
こういう内容のことをお父さんから聞いたそうです。
その武士の苗字が「タナカ」だとも聞いたそうです。
けれどこのことは誰にも話したらダメとも言われたそうです。
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祖母は生前「歴史読本」という雑誌に
豊臣家のことや、ねねさん(秀次公の命乞いをしてくださった)が特集されると買って読んでいました。
私は祖母と話してきて
ねねさんや秀次さん、そしてお父さんから聞いたという事自体が
祖母の心の支えになっていたと思うので
その話の何でも良いからわかったらいいなと思い
数年前から
ネットや本を調べたり
京都の瑞泉寺に行ったり近江八幡に行ったりしてみたのですが
何もわからなかった(^_^;)
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そして今回、近江八幡の図書館に行きました。
結論を言うと、その事自体はほとんど何もわからなかったのですが…
(※田中角介という秀次さんの家来がいて、切腹したか不明になっていたので
もしかしたらその方か…それかその他大勢の中のひとりか?)
図書館の方にその話をすると
詳しく聞きたいとおっしゃり
その事と、祖母の生家、祖母の親戚の家のことを調べてくださることになりました。
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そして先日電話があり
祖母の生家かはわからないが
同じ苗字の家が何軒かあること
祖母の親戚かもしれない家が
本に乗っていると
教えて頂きました。
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全然何もわからなかったから
(確証はないとしても)
祖母の大切な思い出の実証ができたようで良かったです。
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※できたらタナカさんの命を救ってくださったお寺に
お参りに行きたいとずっと思っているのですが…
やはりご家来衆はほとんど連座されているので
タナカさんの命を守るためにも
このことは口外できなかったし
今も公にすることができないんだと思います。

























そうなんです。秀次さんの家来だったそうです。
曽祖父から祖母に直接伝えられたそうです。
それで一族郎党、秀次さんの側室や赤ちゃんまで処刑されたとなっています。
けれど調べると…有名なところでは、田中吉政など処分されていない人も何名かおられるみたいです。
でもうちの場合、一応切腹した形になっているのかもしれなくて
それだと調べてもなかなか表には出てこないんだろうなとは思います。
秀次さんは、殺生関白と言われ好き放題したからああいうことになったと言われていますが
近江八幡などに足を運んで調べてみますと
高野山のお坊さんなどとも親交が深い方だったとかで世間で言われているのとは
だいぶん違うなあと言う印象です。
それからある本では
秀次さんが、跡継ぎ問題から切腹に追いやられて
それを当時の武将たちがわかっていたので
関ヶ原の時、徳川方につく武将が多く徳川が勝ったと書かれていて
奥の深い事件にうちのご先祖さんが関わっていたのだなあと思います。
タナカという家来を調べていくと
田中吉政と田中角介という人の名前は本に載っていました。
田中吉政は確実に違うので
田中角介の方かなあとも思っています。
けれど本に載っている表を見ると
そういう名前のある家来の下に何百人とついていたみたいで
その人達の名前は書いていないので
もしかしたらそういう何百人の中の一人かな?と思ったり…
(一応、伯父がタナカ家の家系図を彦根城で観たとは言っていましたが、これもわからなかったです)
一族で家来だったのか?その辺も祖母が小さい頃に聞いたとのことで
曽祖父もあまり詳しいことは言わなかったみたいでよくわかっていないです(^_^;)
本当、ファミリーヒストリーで調べてほしいです。
一族郎党みんな処刑されたんでしたっけ。
田中さんは今はよくある苗字ですが、御家来衆の中ではそんなにいなかったのでは。
それとも一族で家来をやっていたのでしょうか。
ファミリーヒストリーで調べてほしいですね。