Nicotto Town



遠い昔の思い出で


  モンパルナスの審判
琥珀色の液体が グラスの底で揺れている。
向かいの席には 誰もいない。
だが 使い古されたタイプライターの残響と
強い煙草の匂いが そこには確かに居座っていた。
「書くことは 死ぬことだ」
そんな幻聴が 冬の隙間風に混じって届く。
俺は 何も答えず ただ酒を喉に流し込んだ。
火を吹くような熱さが 胃の腑で静かに暴れる。
窓の外では 雪がパリを窒息させようとしていた。
かつて ここで夢を見た若者たちの
血とインクの跡は もうどこにも見当たらない。
あるのは 磨き上げられた真鍮の鈍い光だけだ。
俺は 手帳を閉じ 鉛筆を折った。
本当のことを 一行だけ書ければいい。
それ以外はすべて ドブ川に捨てるべき虚飾だ。
店を出る時、給仕が「ムッシュ」と声をかけた。
俺は チップを多めに置き 夜の冷気へ踏み出す。
背後で ル・ドームの重い扉が 
歴史を閉じ込めるように 静かに閉まった。

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