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劇場アニメ「銀河鉄道の夜」の感想


先日、Eテレで放送されて、録画だけして見てなかった「銀河鉄道の夜」を見た。

なんか、やけに怖かったな。高校生で見た時には怖くはなかったのに。
…って言うか、高校で見た時には意味がわからなかったし、今見ても、意味がわからない。

宮沢賢治全般に言えるのだが、僕には合理的解釈ができないんだ。
特に「銀河鉄道の夜」はわからない。

杉井ギサブロー監督のアニメ・銀河鉄道の夜に関して言えば、キャラクターを猫の姿にするのは解るのだが、中に、人の姿も登場するのが、僕にはうまく説明できない。
一応程度には解けるが、腑に落ちない感覚が残る。

キャラの姿を人でなくするのは、人の姿で描いてしまうと、キャラが「個人」になりすぎるから。
文学としての「銀河鉄道の夜」は、読者に、読者自身や、友人を感じるように書かれている。そこに、人間の絵を描いてしまっては、キャラが「他人」に見えてしまう。

映像化するにあたって、猫の姿でれば、漠然と、その時々で、キャラクターに観客やその友人、知人を思い描ける。
文学と映画の相反するそれぞれの特徴を、うまく溶け合わせたのがあの映画の最大の功績。

他には、
アニメ・銀河鉄道の夜では、スタッフロールが日本語とフランス語で書いてある。
これは多分、宮沢賢治が生前に感じていたであろうことを再現したのだ。

宮沢賢治は、外国語の音の響きに世界の広さ、自分の知らな新世界があると感じていたのだと思う(これは僕の感想だけどね)。
だから、生み出されるキャラクターは、名前が不思議なカタカナになる。
その、他の日本人にはない、宮沢賢治の言葉の世界を表現するのに、多言語が良い。

それでなんだ、たぶん、猫キャラたちの中に、人間を混ぜたの。船の遭難で亡くなったキャラクターを人間の姿にしたのは。
あれで、あの世界に生きる様々な国の人々、人間だけでなく、他の生き物たちも含めた命が、同じ列車に乗る。
そういう意味なんだと思う。

#日記広場:アニメ





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